ほんと歴史て不思議 定説て何
国利や八溝衆の主だったものと会うことになった。
まず何はなくても状況確認です、はい基本です。
まず河川での砂金採りであたりをつける事が多いと、で常陸では久慈川、八溝川、矢祭川、里川、大沢川などかなりの所で採取できるということ。採取は鍬などを自分たちで加工して道具を作るそうだ。現在でいう「ちゃっか」とか「あおり」とか「じょれん」とかいうやつね。
量が多ければその上流で探す。粘板岩や砂岩の石英脈を見つけると比較的含有されていることが多いらしい。聞いてもよくわかりませんでした。(この時代だと見てあたりをつけるんだから、逆に金の粒が見えないくらい細かいほど含有量が高いとは思わないだろうし。精錬技術が高くないととりだせないよね。)
炉はたたら炉、ふいごはあると。そりゃあるよね、刀や槍の穂先だ鍋だとかあるんだし。出雲のたたら製鉄の優秀性が今一つ分からない。天秤ふいごでの負担軽減と送風力の上昇、半永久炉
としての価値か。送風力が上がり火力のアップとかなの。ま、これも自分には分からないから、一応まねだけしてみようか。かなり炉の地下を広く深く掘らないといけないし、木炭製造による木の乱獲伐採で影響でていたと、どこかの展示パネルに書いてあったな。植林や伐採場所の段々畑としての有効活用とあわせての開発しないとな。段々畑も作ればよいじゃダメで、崩れるのよね。排水と補強を考えないとさ。そうだ、炉の排水もあった。排水処理大事だよ。
精錬なんかもっと分からない。灰吹き法なんか石見銀山のところが有名だけど、確か平成9年に飛鳥京遺構で原理が同じ凝灰岩坩堝(骨灰じゃなく凝灰岩坩堝ですぜ。)での銀精錬をしたものが見つかったのにね。それでもその後に早稲田大の入試で石見の灰吹きの方が初だったか新しい技法とかで出ていたよね。一族秘伝じゃ分からないし、歴史に残らないしね。あ、甲州の黒川さんとこでも坩堝がでたけど金属精分が見つかっていないので、棚上げだっかとか未確認情報があったね。
後は金と銀の分離の金銀吹分けね。租銅からの抽出は灰吹きよりは合い吹きとか南蛮絞りのほうがしっくり来るかな。
水銀アマルガム法はやりたくないよね、水銀が面倒だから。他の人がやる場合は残留水銀とかは硫黄と混ぜてね。毒物劇物取り扱い責任者試験テキストに出てたよね。その後の保管法も考えないといけないしさ。
前に軽石や軽石風化土を持ってきたもらったのはここで使うのよ。凝灰岩軽石ね。ヒ素処理や精錬で出るスクラブ(卑金属のくずね)処理も担うのよ。高温処理でないから低コストです。
排水も吸着ろ過法を繰り返すね。本当は電気分解とイオン膜浸透とかすると良いのだけど、今できる軽減方法なのですいません、後は化学工業系転生者に任せよう。
後は窯から擬似レンガを作っての反射炉計画かな。何段階か必要ですね。確か那珂川河口に水戸藩による反射炉跡があったよね。でもまだプレートが不安定で地震のきついのが来るし、このあたりへの津波の影響がわからない。それなりの防波壁を作らないと大変なら、奥地とかかな。
鉱山近くなら楽だけど、煙や人や物の流れでばれるだろう。周りを平定しないときついよね。
よく出る質問ですよね。耐火煉瓦をどうする。やはり窯から作るよね。陶磁器作るなら。アルミナ成分などのつなぎが必要だろうしさ。その土地にあわせた岩石などから工夫するしかないよね。このあたりだと結晶質石灰岩かな。雲母片岩なら長瀞とか四国とかさ。それで一次反射炉を作る。
そこから高火力で作成し、二次反射炉を作るとかかな。
「朝孝、戦の時はどこにいた?」と塚原朝孝に尋ねた。
「西山の砦ならどこにも飛び出せるかと思ってましたが、逆に出遅れました。残念です。」
「それでも少しは働いたの?」
「数名ほど。」(それでもすごいわ、自分には無理だ。)
「しばらく小姓として警護とか色々やって。」