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Do as I say, not as I do.

 放心しながら「死ぬ……死ぬ……」と呟いている翔を抱えながら、美女はビルの内部へ入るためのエレベーターの前に立つ。


「シィァン、悪いけど降ろすよ」


「え? あ、うん」


「よし、じゃあ行こっか」


 そうシャオレイと話している途中、チーン、という翔にとっても聞き慣れた音が鳴った。


 それは、エレベーターが到着した音。


 扉が開き、黒服のアジア人が数名降りてくる。


 彼らは二人を取り囲んだ。


「シャオレイ様、お疲れのところ申し訳ありませんが……グエン様がお呼びです」


「お父様が? わかった、すぐに行くわ。シィァンもついてきて」


 翔は今の状況がまったく飲み込めていなかったが、とりあえず頷いておいた。


 エレベーターに詰め込まれて、密閉空間の沈黙に耐える。


 ――なんだ、なんだこれ。


 ここは死後の世界、すなわち天国であるはずである。しかし今の状況はどうか。


 右見ても黒服。左見ても黒服。


 目の前には自分を庇うようにシャオレイが立ってくれている。少し下に目を向けるとたわわな胸が……顔を赤くしながら、翔は目を瞑ることにした。


 翔にとっては非常に緊迫した状況であるが、そんなこともいざ知らず、エレベーターは甲高い音を立てて停止した。翔も降ろされる。


「お嬢様、この少年は?」


「途中、何者かに追跡された際に逃亡を援助してくれた現地人よ。私の部屋に通しておいて」


 翔を攫った時とは打って変わって、真面目な口調で話すシャオレイ。


「承知しました」


 そう言って、黒服は無言で翔についてくるようジェスチャーを交えながら促す。


 シャオレイは翔に軽く手を振って、数人の黒服を伴って離れていった。


 翔は残った二人の黒服に黙ってついて歩きながら、少し考えを巡らせようとする。


 何故彼らは一言も喋らないのだろう。


 ジェスチャーなどでこちらに動くよう指示してくる。さっきも普通にシャオレイと日本語で会話していたので、不用意に部外者とは言葉を交わさないようにしているのだろうと結論付けた。


 そうしている間に、黒服はある部屋の前で立ち止まる。扉に数字が書いてあるので、ホテルかマンションで間違いはないだろう。


 無言で入るように促され、黙って従う。


 部屋の中までは黒服たちは入ってこなかった。これがさっき言っていたシャオレイの部屋ということか。


 ――確かに……女性の部屋だ……。


 翔は、部屋に散乱している下着を見て静かにそう思った。随分とズボラな性格なのだろうか。


 もしかして、と翔は一つの答えに行き着く。


 これが天国が天国たり得る所以なのだろうか。


 高校二年生、十七歳でこの世を去った西道 翔は言わずもがな童貞であった。初恋は学校の先輩であったし、それも失恋に終わった。


 つまり、その短い生涯の中で全くと言っていいほど女っ気が無かったのである。


 そんな彼の目の前に今、ブラジャーパンツブラジャーパンツブラジャーパンツ。脱いだまま散乱したであろうシャツなどエトセトラエトセトラ。


 翔は苦悩する。シャオレイがいつ帰ってくるかはわからない。もしあの女体を守る神聖な鎧たちの山に埋もれてハッピーデスアニバーサリーいやっほうとエキサイトしてしまえば、我も時間も忘れてしまうに違いない。


 そんな場面を、戻ってきたシャオレイに見られてしまったらどうしよう。

 ……天国でエロいことしたら地獄に落とされたりしないだろうか、と翔はとにかく苦悩する。どうするのが正解なのだ。


 天国での身の振り方なんてわかったもんじゃない。どこまでがセーフでどこまでがアウトなのか。


 しかし、こうして悩んでいる間も時間は待ってはくれない。さっさとブラパンツフェスティバルに興じるのか興じないのか決めねばならない。いつシャオレイがこの部屋に戻って来るのかわからないのだから。


「…………」


 そして、翔は答えを出した。


 掃除、である。


 開いたままのスーツケースを発見し、彼は乱れた部屋の掃除に乗り出した。


 勿論、建前である。


 これならば、下着に触っても無問題。彼女が帰ってきても、掃除しているのだから仕方ないと思われるはず。


 生活力の高さを見せ付けながら、終ぞ触ったことのなかった下着に触れ合うことが出来る。


 翔は恐怖した。シャオレイが帰ってきたからではない。自らの天才的発想に、である。


 とりあえず、携帯でひたすら写真を撮っておいた。目に焼き付けても記憶とは薄れてしまうものであるからして。


 そしてひとしきり撮影したあと、翔は下着ふれあい広場の掃除を始める。



      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



 翔と別れた女性、シャオレイは黒服と共に歩き、ある一室の前で立ち止まる。


「お父様、シャオレイです。入ります」


「……入りなさい」


 扉越しにくぐもった声が返ってくる。それは、シャオレイが敬愛する父の声そのものであった。


 部屋に入ると、父ではない人物が部屋の奥に座っていた。


「ハオユゥ叔父様!? どうしてここに…… !?」


「壮健そうじゃないか、シャオレイ」


 そこに居たのはシャオレイの父ではなく、その弟であるハオユゥであった。無線機のようなものを手に持ち、口の前に構えている。


 しかし、彼が発したそれは父の声そのものである。


「……その声は、一体?」


「変声機さ。ある程度録音した声をコピーして喋ることが出来るパーティグッズだそうだ。この国で売っていたのでね」


「……ふう、驚かせないでください。ところで、お父様はどこに?」


「知りたいかい?」


 変声機を口から離し、元来の彼の声で問う。


「ええ。そもそもお父様に呼ばれて来たので……」


「風呂に入っていると思うよ? 見てみたまえ」


 部屋の玄関に立っていたシャオレイはその言葉を聞いて、すぐさま備え付けの風呂場を覗いた。


 入っているという話なのに、電灯がついていない。だが、扉は開け放たれていた。


「お父様……? …………ッ!?」


 浴槽の中に、見知った人間が……いや、シャオレイの実の父が入っていた。


 頭から血を流し、動かなくなった姿で。


「ハオユゥ叔父様、これは一体……!」


 シャオレイが慌ててハオユゥの方を向くと、視界にハンドガンの銃口が映る。


「な、にを……」


「まだわからんかね? 既にこの世にいないグエンに代わり、この私が龍同盟の長となった、ということだよ。奴が父から盟主を継いでからというもの、敵対組織の人間は殺さん、麻薬も武器も量が減る……代わりに表の顔の製鉄に力を入れようとする始末。当然、殺されるだろうさ」


 そう言って、ハオユゥは下卑た笑顔をシャオレイに向けた。


「抵抗しないことをオススメする。なに、殺しはせんよ。まあ、死んだ方がマシだとは思うかもしれんがね。おい!」


 ハオユゥの発した声により数人の黒服が部屋に入ってきて、シャオレイの身体を押さえつけた。


「ぐっ……何を!」


「暴れて仕事を増やさんでくれよ? グエン派を皆殺しにして……あと、また娼館も立てねばならんのだから」


「な……」


「君も娼婦になるんだよ、シャオレイ。いや……その前に」


 ハオユゥはしゃがみ込み、床に押さえつけられたシャオレイを仰向けにするよう黒服に命じた。


「立派な娼婦になるように仕込んでやらねばならんかな?」


「貴様ァッ!」


「おっと、暴れるなよ? お前……日本人を連れ込んで来ていたな? 探偵に追われていただとかなんとか言っていたが……あのガキは私の命令一つで死ぬということを忘れないことだ」


「どこまで……どこまで貴様は!」


 シャオレイの目尻には涙が浮かんでいた。だが、耐えねばならない。巻き込まれたというのに、笑顔を見せてくれた少年のためにも。


「保険も掛けておかねばな」


 ハオユゥは、シャオレイの首筋に注射器を刺して液体を注入した。


「あ……こ、れは……?」


「お前の中の情報粒子を止める物だよ。普通の筋弛緩剤なんぞはデミネフィリムには効かんからな」


「ど、こまで……!」


「そうら、動けんだろう? さて……まずはその胸から見せてもらおうか」


「…………ッ!」


 唇を噛み締める。リクルートスーツのボタンが一つずつ、ゆっくりと外されてゆく。


 そんな折。


 三発の銃声が響き渡った。


「おや……どうしたことかな?」


 呆けたように、ハオユゥは言う。


 少しして、開いたままの部屋の扉から黒服の一人が入ってきて、言った。


「ガキに突然襲われ、銃を奪われそうになったので始末しました。死体は如何致します」


 そう言って、黒服は笑う。それを見てシャオレイは直感する。嘘だ、と。


「放っておけ。この周辺のフロアは全て貸し切ってある。銃声もバレまい」


「わかりました」


 シャオレイから、抵抗する力が抜けていった。


 無事に帰すと約束したのに。怒りに身を任せて暴れようにも身体は押さえつけられ、情報粒子もマトモに使えない。


 これは、きっと報いなのだ。


 今まで殺人こそしなかったものの、違法薬物の密売や武器の横流しといった犯罪も多く行ってきた。


 関係のない人間を巻き込んでしまったこともある。あの少年だけでなく。


 そう思って、シャオレイは涙を流しながらハオユゥの陵辱を受け入れようとした。


 辛うじて残っていた、瞼の裏のモニター機能もオフにする。それは彼女にとって真の意味で目を瞑るということ。


「安心しろ、私は紳士なのでな……ゆっくりと可愛がってやるとも」


 一つ、また一つ。ゆっくりとボタンを外されてゆく。


 肌が徐々に顕になってゆく。


 時間をわざと掛けているのだろう。その方がシャオレイを辱められるのだから。


 瞬間、悲鳴が響く。


 否、シャオレイのものではない。


 野太い、男たちの声だった。


 ボタンを外される感覚だけでなく、押さえつけられていた感覚さえ無くなっていた。


「いよっしゃぁ! 信じて正解だぜ見知らぬオッサン! じゃあ次ぃッ!」


 シャオレイにとって聞き覚えのある声だった。聞こえるはずのない声だった。


 急いで、瞼を閉じたまま瞳を再起動する。そこには、翔の姿があった。シャオレイに駆け寄ってきている。


 周囲には、先程までシャオレイを弄ばんとしていた黒服とハオユゥが倒れ伏していた。


「シィァン……!?」


「馬鹿な……頭をぶち抜いたってのに……!」


 先程の黒服が倒れたまま、驚愕したように言う。その声は弱々しいものだった。相当のダメージを受けたのだろうか。


「ダメ、逃げて……顔を覚えられたら、シィァンまで狙われちゃう……」


 シャオレイは、そう翔に懇願する。


 だが。


「うるせえ! 後先考えてりゃこんなことしねーんだよ!」


 怒ったように言いながら、翔はシャオレイを背負う。


「畜生! 服脱がせやがったせいでダイレクトおっぱいだクソッタレ! 童貞の純情ってのはァ――――」


 尋常ならざることを叫びながら、何かを手のひらいっぱいに握っている。シャオレイには、小さな丸い石のように見えた。


「簡単に弄ばれちまうんだからァ――――ッ!」


 それを、窓ガラスに向けて投げる。ばら撒かれた石のようなそれらは窓に触れた瞬間、激しい音を立てて破裂し、ガラスは容易く砕け散った。


 だが、ガラスの先には果てしなく広がる空しかない。ベランダ等は付いておらず、そもそも開くことさえできないような窓であったのだ。


「う、おおおおおおおッ!」


 そこから、翔はシャオレイを背負ったまま飛び降り――いや、ジャンプした。


 どうして。


 どうして自分がこんな目に遭わねばならないのか。


 そう、翔は心から思う。


 どこで何を間違えたのだろう、とも思う。


 走馬灯のように、今までのことが思い起こされてゆく。


 トラックに轢かれそうになった時さえ流れなかったフラッシュバック。


 それは、翔がアドレナリンでトチ狂いながらシャオレイを助けた、きっかけになる記憶。


 ほんの数分前の出来事である。



      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



 シャオレイの部屋に、横たわった遺体が一つ。


 黒服が突然入ってくるや否や、翔の頭などに鉛玉をプレゼントしたのであった。


 その正確無比な射撃に、翔は二度目の生涯を終えた。


 ……はずだった。


 みるみるうちに彼の額に空いた通気孔が塞いでゆく。鉛玉は内側からひり出されるように排出された。辺りに飛散した血飛沫が、どんどん元通りになってゆく。


 まるで、巻き戻し映像のように。


「…………あれ?」


 生きている。頭ぶち抜かれたはずなのに。


 翔は少し考えて、天国なんだからそりゃそうかと一人で納得した。


 彼は少し怒りながら片付けを再開する。ここがあの世だったから良かったものの、現世なら死んでたぞ畜生め、ぷんぷん! といった具合に。


『おォい、フォークリフトの荷物よろしく運搬されてた坊主。聞こえてるか?』


 突然、部屋のどこかから男の声がした。まさか……彼氏!? きゃあ不潔、と翔はアホみたいに喚く。


『抜かせ。オレァ四十過ぎた女にしか興味ねェよ……なんてバカ言ってる場合じゃねえな。おい、坊主。今、通信機でそっちに声を飛ばしてるんだが、この機械を見つけられるか? あの時、お前の服に引っ付いたはずだが……落っこちてるかもしれねェ』


 言われて、翔は自分が着用している学生服を見る。半袖の白シャツ、その脇腹に得体の知れない丸い物体がくっついていた。一目見れば虫かと見紛うほどの大きさだ。


「見付けたぜ」


『よし、なら次だ。いいか、フォン・シャオレイが今ヤバい状況だ。だが助けを送ることは出来ん。だから、このオレが、お前が白馬の王子様になるお膳立てをしてやる、いいな?』


「ま、待て待て! 状況がそもそもよく分かってねーのに、そんな急に!」


『早くしねーと、あのねーちゃんのポルノが店に出回っちまうぜ? まあ聞け、悪いようにはならねえ。オレの言う通りに動けば、オレの言った通りの結果になる、わかるか?』


 翔は一瞬考えようとしたが、やめた。ゴチャゴチャ考えている暇なんてないと、そう思ったからだ。


『取引だ。お前があの女を助けられたら、オレがお前のどんな質問にも答えてやるよ。代わりにお前は言う通りに動け。どうだ?』


「いいぜ、乗った。アンタのことは良くわかんねえが信じてみることにする」


『へっ、いいじゃねえか。これから三つの道具をそっちに転送する。通信機からはなるべく手を離しとけ、転送に巻き込まれんようにな』


「良くわかんねえけど、わかった」


 バンザイの構えをしていると、虚空から三つの物体が突然現れて、床にゴトリと落ちた。


 一つは、まるでガチャガチャのカプセルみたいな透明の容器に、大量の黒く小さい石のようなものが入っているもの。


 もう一つは奇抜なデザインの銃であった。オモチャかと見紛うようなふざけた見た目をしているが、ハンドガンであるらしいということはなんとなく翔にもわかった。


 最後の一つは、ドリンク剤だった。日本語で「ガンバリミンEX」と書いてある。怪しさしかない。


『いいか、まずフォン・シャオレイがいる部屋に入ったら、その銃を敵らしいもん全部に撃て。シャオレイには撃つんじゃねえぞ?』


「これ、弾出んのか?」


『出ねえ。それは言っちまえば人間を麻痺させるモンだ。撃たれりゃしばらく身体が痺れる。長い時間座ってから立った時の感覚が全身に現れる……日本製の罰ゲーム用パーティグッズを……ちと魔改造したもんだ』


「危ねえなおい」


『で、次だ。カプセルなんだが』


 翔はそれを拾い上げる。思っていたよりも重く、一瞬戸惑ったが。


『それ、強く落とすんじゃねえぞ。爆薬だからな』


「先に言えよ!」


『つっても、ガラスに触れなきゃただの石粒だけどな。それはガラスだけを砕くモンだよ、火事だなんだって時に日本の消防士が投げてバックドラフトを防ぐんだと』


「どっちもメイドインジャパンじゃねえか」


『ああ、たけーんだから有難がりながら使いやがれ』


「……そうさせてもらうよ」


 翔はカプセルをポケットに入れ、麻痺銃を手に持つ。


『さて、流れの確認だ。お前は部屋に突入して悪党共全員を痺れさせる。どういう配置になってるかはわからねえから気を付けろ。今この瞬間にあのねーちゃんはヤられてるかもしれねえしな。……そういうとこ、見れるか?』


「…………わかんねえ」


『そう言うと思ってあのドリンクだ、キくらしいから飲んどけ。なに、市販品だから安心しろ』


「ああ」


 言われるがまま、翔はガンバリミンEXを飲み干す。少し甘みのある、こざっぱりとした味だった。


「……なんかイケそうな気がしてきた!」


『効きがはええな、おい。プラシーボキメてんのか?』


 ドリンク剤をよく見ると、人間のアドレナリンを分泌させるものらしかった。どんどん翔の気分が高揚してゆく。


『いいか、部屋は一番奥の偉そうな部屋だ。そこにはバカでかく一面ガラス張りの部分がある。それをあの粒で叩き割って飛び降りろ』


「死ねってか!?」


『話は最後まで聞け。迎えに行ってやるから、そこに関しては心配すんな。というか、お前が窓から飛び降りるとこまで想定してんだ。オレはそれを拾って逃げるための準備でそっちに行けねえんだから。ヘマしたら許さねえぞ?』


「わかったよ。任せろ」


『へっ、日本人の高校生にしちゃイイ根性してやがるぜ。ああそうそう、通信は切っとく。あの連中にこの回線を覚えられちまうと面倒だからな』


「ああ……色々ありがとよ」


『おう、また後でな』


 通信機から声は聞こえなくなった。


 翔は部屋から飛び出し、ホテルの廊下を駆ける。


 その一番奥、開け放たれた豪華な扉の部屋に六人ほどの黒服が玄関でしゃがみこんでいた。


 不意打ち上等。オモチャの銃を狂ったように乱射した。


 アドレナリンという脳内麻薬をガンバリミンEXによってキメにキメたトリッパー翔は、異常なテンションでシャオレイを救わんと奔走したのであった。



      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



 翔は、窓から跳躍した。


 果てしない大空へ。


 その瞬間、翔の左脚に強い衝撃が走る。


 跳んでから、重力によって地に落とされるその一瞬。


 シャオレイは背後に視線を向ける。そこには、倒れ伏したままハンドガンを翔に向けていたハオユゥの姿があった。銃口から硝煙がゆらゆらと立ち上っていた。


 何をやり返すでもなく、翔とシャオレイは落下を始める。


「シィァン、脚が!」


「痛くねえ! それより、俺から離れるんじゃねえぞ!」


「でも、シィァンが……!」


「さっさとしろッ! オッサン!」


 背を地に向け、空を見上げながらしかし、空から離れてゆくように落下する翔とシャオレイ。真上には太陽が照っており、翔は思わず片目を瞑った。


 その時、ホテルの屋上から、巨大な人型の何かが飛び降りた。太陽の影になって黒く染まったようになり、細部までは目視できない。


「……ロボット!?」


 それは、翔がテレビでよく見ていたような、人型ロボット。


 落下する翔たちに一瞬で追い付き、落下しながら、掌を受け皿のようにして二人を受け止めた。


 胸の部分のハッチが開き、中から男が現れた。


 翔が人質にされる寸前、シャオレイを追っていた男であった。


「な……」


 シャオレイは驚いている。


「安心してくれ、敵じゃない……はず」


「その前にまずこっちに入ってこい! 話は後だ!」


「わかった!」


 ロボットは掌の上に翔たちを乗せたまま、胸の前まで腕を動かした。


 翔は、コックピットの中に入る。


「複座式で良かったと思ったのは初めてだぜ。後ろに乗ってな、王子様とお姫様よ」


 中は少し細長い空間だった。手前と奥に座席が一つずつ配置されており、手前の座席は背もたれが折りたたまれていて、足の踏み場になっている。


 コックピット自体は全体的に丸みを帯びていて、翔はカプセル錠剤のイメージを抱いた。


 そして何より、上部分と横部分が全てモニターになっていることに翔は少年ハートを隠しきれない。


 うわあ、ロボットだあ。コックピットだあと瞳をキラキラさせていると、男に早く座れと促された。


 手前にある座席の背の部分を踏んで、コックピットの奥へ。


 そして、奥の座席にシャオレイを座らせる。


「オッサン、俺はどうすりゃいい!」


「床に座るか、そのねーちゃんの膝の上に座るかだ、好きにしな!」


「じゃあ床で」


 翔はアドレナリンをキメていても紳士であった。


「よし、乗ったな!」


 そう確認しつつ、続いて乗り込んできた男は前部の座席の背もたれを元に戻し、そこへ座る。


「シートベルトを締めてな。坊主は適当なとこにしがみついてろ、揺れるからな!」


 翔は、ひとまず前の座席にしがみついた。その姿勢のまま、横のモニターに視線をやる。


「そら、行くぜ!」


 男の繰る機体は人型から、飛行機のような形状に形を変える。だが、それは翔が元いた世界の戦闘機ではなく、SF作品に登場するような宇宙船のようなものだった。内部にいる翔は変形したことなど知る由もないが、後にその目で見た時、彼はそういった感想を抱く。


 機体の前に緑のモヤが現れ、その中に機体は入り込む。側面のモニターしか見ていない翔は青空が突然、緑色に変わったのでギョッとした。


 だが翔は基本的にアホなので、すぐにうひょーすげーとモニターに流れる映像に釘付けになっていた。緑の雲のようなものがトンネル状になっている特異な空間に、翔のテンションは上がりっぱなしだった。ガンバリミンEXによる底上げも含めて。


「……お願い、私はどうなってもいい。だから、シィァンだけは……」


 そんなアホ少年を尻目に、シャオレイは、そうポツリと呟いた。だが、男は高笑いしてから言う。


「中国語で言われてもわかんねーよ、英語で頼むわ」


「……これでいいかしら」


「なんだ、ちゃんと話せんじゃねえか。百点あげちゃうぜ」


「ならもう一度言うけど、私はどうなっても……」


「なーに勘違いしてんだ。オレはお前みたいなガキなんぞ興味ねえよ。熟れた四十、五十代の女が……いや、それよりもだ。グエンはどうしてる?」


「……知り合いなの?」


 シャオレイは少し驚いたように聞いた。


「グエンから依頼を受けて動いてたんだぜ、オレたちはよ。娘を保護してくれってな」


「そんな……じゃあ、まさか全部気付いていたってこと……?」


「あー……逝ったか、アイツ。まあ、依頼を受けた時点でそんなこったろうとは思ってたがよ」


「なら、朝に追い掛けてきたのは……」


「全部伝えようとしただけだっての。……ったく、ほんと無駄に疲れたぜ……だがまあ、そこの坊主に感謝しとくんだな。オレはあのホテルに入ることさえ出来やしなかったんだ、チェックインもしてねえ部外者だからな。あの状況でお前を助けられたのは、マジでコイツだけだったんだぜ? 俺の指示通りに動きやがった」


 そのあと男は翔に視線をやって、「ま、こんな能天気なやつだとは思わなかったけどな」と言ってまた笑った。


 しかし、シャオレイは何か、翔に関して大事なことを忘れていたような気がしてならない。少し考えて、そして思い至る。


「……! そういえば、シィァン、脚の怪我は!」


「んあ? あ、そういや撃たれてたような……あんま痛くなかったけど」


 シャオレイは慌てて翔の左脚を見る。


 だが、どこにも傷は無かった。ズボンさえ、穴どころかかすり傷一つない綺麗なままである。


「嘘……確かにこの目で見たのに……」


「はっは! デミネフィリムの目を誤魔化すたァ、やるじゃねえか坊主!」


「いや、一から百まで意味わかんねえんだけど……」


 翔はアホなので、未だにこの世界が天国だと思っている。その旨を彼は伝えてみることにした。


 ここって天国じゃねえの? と。


「……ほう?」


「…………えーと、シィァン? もしかして、頭とか……打った?」


 男は興味深そうに眉を動かしたが、シャオレイには本気で心配されてしまった。


「そもそも白人も中国人も日本語で喋ってやがるし、なんだ、天国のグローバルスタンダードなのか?」


「ガンバリミンEXが効きすぎちまった……って訳じゃなさそうだな。ま、確かにさっきまでいたとこはこの世の天国かもしんねェけどよ。日本語ってなァどういう意味だ……?」


「私のシィァンに適当言わないでくれない? ……ほんとに大丈夫? そういえば、ホテルでも撃たれたって……」


「やめてっ! 可哀想なものを見る目で俺を見ないでっ!」


「……こりゃ、すげえ面白いもん拾ったかも知れねェな。マイクが喜ぶぜ、おい」


 男はそう言ったあと、小さく笑みを浮かべた。


 機体は、既に緑の空間から抜けようとしていた。

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