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愛犬物語

 実は何度か犬を飼っていた時期があったりするんだ。

 今回はその中でもミルクという名の犬の事を書いてみようと思う。

 え? 

 名前が恥ずかしい?

 そんな事は知ってるよ。

 でもさ。

 他所の家から貰ってきた時には既にその名だったんだ。

 馴染んでる名前をこっちの都合で勝手に改名させるってのもかわいそうだろ?

 だから、敢えて名前は変更しなかったんだよな。

 そんでもって、犬種はマルチーズ。

 思わずモフりたくなる事請け合いな真っ白な毛並みと、絵本に出てくる子豚のようにクルリと曲がった尻尾がチャームポイントだ。


 さて、このミルクという犬は少々個性的だったと思う。

 俺が本を読んでいれば本の上に座り、ゲームをしていれば、コントローラーを握る手の上に座る。

 澄ました顔で私別に構って欲しい訳じゃないんだからね! といった感じで俺の方に顔は向けない。

 まぁ、それでも横目でチラッチラしてくるから、構って欲しいのはバレバレなんだけど。

 要するに素直じゃないんだな。

 まぁ、この辺は動物を飼ってるあるあるなのかも知れない。

 次辺りから徐々に個性的になっていくぞい。


 何故か弟に対してやたら厳しい。

 いや、何時も厳しいって訳じゃない。

 弟と二人きりって場合は、ミルクも普通に弟に甘えたりするらしい。

 ところがだ。

 俺が姿を見せた瞬間に、此奴の態度は激変するんだな。

 今まで弟の膝の上に乗っていた癖に、弟に咬みつき始めるっていうね。

 しかも全力でガブリだ。

 あれを超える程の手の平返しは、未だに見たことがない。

 えげつないぞ。

 がっつり穴が開くからな。

 そして急いで俺の御機嫌を伺いに来る。

 私は浮気なんてしてませんよ!

 あんな奴、大嫌いなんですよ!

 そんな感じでメッチャアピールしてくる。

 まぁ、現実でこんな女がいたりしたら、最低と言わざるを得ないけども、犬だからセーフ。

 そんな露骨さが超可愛い。

 

 他にも、屁が嫌いらしい。

 ぶっ放すと、その場にいる連中のお尻の匂いを熱心に嗅いで回る。

 それで、犯人見つけたらメッチャ吠えるんだよな。

 親の仇見つけたって位の勢いで吠えやがる。

 嗅いでる最中に鼻先にぶっ放すとショックでその後3時間くらい自分の小屋に引き篭もる。

 その間に触ろうとすると咬みつく位には怒ってる。


 あと、ミルク自身がぶっ放した癖に、俺のお尻の匂い嗅いでキレ始めたりする。

 俺はしてねーよ。

 人の所為にするんじゃねぇよ。

 明らかにお前がぶっ放しただろうが。

 何で俺に対して唸ってるんだよ。

 責任転嫁にも程があるわ。


 因みに、すかしっ屁には反応しない。

 どれだけ臭くてもスルーしやがる。

 音が嫌いなのかと思わなくもないけど、口で似た音を出したとしても匂いを嗅いでセーフなら別に怒らないんだよな。

 でも、握りっ屁には超キレる。

 正直な話、キレる基準がさっぱり分からん。

 

 あと、暴力は凄く嫌いらしい。

 自分はやたら咬みつく癖に、誰かが叩かれたりすると叩いた犯人に対して全力で吠えて抗議するんだよな。

 それでも叩くのを止めない場合は咬みつく。

 でも、たまに間違えて叩かれた方に咬みついちゃったりする。

 そんな時は、あ! 間違えた! ごめんね、ごめんね! ってな感じで急いでゴマすりに来る。

 そんなお馬鹿っぷりが堪らなくラブリー。

 

 そんなミルクだけど、喘息持ちだったり、癌を患ったりと結構ハードな人生というか、犬生を送っていたりもする。

 特に癌が発覚した時は、手術で死んじゃう可能性も結構あったらしい。

 幸い摘出が上手くいった御蔭で元気になったんだけど。

 獣医さんにはひたすら感謝だよ。

 それでも再発の可能性ってのはやっぱりあるらしい。

 だから、定期的に健診したりと結構気にしたりしてたんだ。


 でも。


 春から初夏に向けたある日。 

 何時ものようにミルクをモフっていた時の事。

 ん?

 あれ?

 ミルク、お前太ってないか?

 いや、太ってるというよりか、妙に腫れているような……

 そう言えば、ここ数日、挙動がおかしかった気もするぞ。

 まさか、癌が再発?


 …………


 えらいこっちゃ!

 医者!

 医者はどこだ!

 愚弟よ!

 暢気に寝てんじゃねぇ!

 車だ!

 今すぐ車を出せぃ!


「ん……眠いから嫌だよ」


 あ゛?

 お前の都合なんざ聞いちゃいねえんだよ。

 ミルクと親兄弟の命なら、俺は躊躇わずミルクの命を選ぶね。

 グダグダ抜かしてないでさっさと車を出せっての。

 だが、ここまで言っても、愚弟の野郎は動物病院まで運転していくのに不満あるらしい。

 

「兄ちゃんが運転すれば良いじゃん」


 こんな事を言い出す始末だ。

 この馬鹿野郎が。

 俺が運転したら、病気で心細くなっているであろうミルクを、抱きしめていてやれないだろうが!

 そんな事も分からねぇのか!

 よーし、分かった。

 もしも、もしもだ。

 お前がグズった所為で、処置が間に合わなかった場合。

 楽には死なさせない……

 いや、違うな。

 楽に生きさせないけど、その覚悟は出来てるんだろうな?


「いや、別に運転しないとは言ってないよ」

 

 だったら、さっさと動け!

 事態は一刻を争うかも知れないんだからな!


 そしてやってきた動物病院。

 この病院は24時間診察してくれる有り難い病院だ。

 院長はお袋の友人で、俺とも二十年以上も前から面識があるし、ぼったくられる心配もない。

 以前に癌の治療を行って以来、定期的に健診にも来ている掛かり付けの病院ってやつだ。

 時間は既に深夜と言って良い時間帯だ。

 流石に普通の入口の方は閉められている。という訳で、深夜外来の方のインタホンを鳴らしてみる。


「はーい」


 直ぐに女性の看護師さんが現れる。

 素早い対応が素晴らしい。

 生命を扱う場である以上、迅速な対応ってのは重要だよな。


 深夜にすいません。

 うちの犬の様子がおかしいのでちょっと見て欲しいんですけど。


「はいはーい!?

 ちょっとそれ、大丈夫ですか!?」


 いやいや、大丈夫だと思ってたら、病院なんて来ませんって。

 何言ってんの?


「怪我ですね!

 先生を呼んできますので、少しお待ちくださいね」


 うん?

 怪我?

 何だか会話が噛み合わない。

 何で看護師さんは怪我だと決めつけているんだ?

 疑問に思いながら手元のミルクに視線を向けてみる。

 そこにあったのは純白の毛を深紅に染めたミルクの姿。

 完全に染まってるって訳でもなく、斑模様って感じ。

 ああ、納得。

 理由はこれか。

 おっと誤解しないでくれよ。

 別にミルクが吐血したって訳じゃないし、怪我をしたって訳でもない。

 ミルクの毛を紅く染めた染料。

 それは俺の血液だったりする。

 

 だって咬みつくんだもの。

 何でこんな事になってるかと言えば、単純にミルクってば病院が嫌いなんだよ。

 癌の治療で訪れた時は、物凄く弱っていた時だったし、手術後は暫く痛みもあっただろう。

 さらに狂犬病を初めとする各種の予防接種で注射をしたりもする。

 ミルクにとって良い思い出の全くない場所、それが病院だったりする訳だ。

 そりゃ、そんな場所に連れてくれば、全力で抵抗するってなもんで。

 その全力で抵抗した結果が、俺の腕に穿たれた幾つかの穴だ。

 茶化す訳じゃないけども、北斗七星みたいになってるわ。

 要するにあれだ。

 看護師さんは俺の血で染まったミルクを見て怪我だと勘違いしたって訳だね。

 っていうか、ミルクってば滅茶苦茶元気だな。

 元気過ぎて本当に病気なのか疑問に思えてくるレベルだ。


「飼い主さんの怪我だったんですか……

 それ…… 大丈夫ですか?

 あの、うちって人間の治療は出来ないんですけど」


 大丈夫か大丈夫じゃないかと言えば。

 大丈夫。

 狂犬病のワクチンもしてるしね。

 でも痛いよ。

 超痛い。

 だけどミルクの命には代えられないんだ。

 だからお願いします!


「それでは、ミルクちゃんをお預かりしますね。

 暫くお待ちくださいね」


 看護師さんに連れられていくミルク。

 ううむ。納得いかねえ。

 何で俺には咬みつくのに看護師さんには咬まないんだよ。

 まぁ、納得はいかないが、咬みついて怪我でもさせた日にゃ、色々面倒な事になるのも間違いない。

 俺は診察が終わるまで、大人しく待つしかないだろう。

 そんな事を考えていると。

 

「なぁ、兄ちゃん。

 僕、帰って良い?」


 物凄く眠そうな感じの弟が帰って寝たいアピールをし始める。

 おっと、すっかりお前の存在を忘れてたわ。

 お前の御蔭で助かった。

 褒めて遣わす。

 褒めて遣わしはするが、答えはNOだ。

 今、お前が帰ったら、俺はどうやって帰るんだよ。

 歩くと家まで1時間半掛かるんだぞ?

 俺は嫌だよ。1時間半も歩くのは。

 だから、そこの椅子借りて寝とけ。

 終わったら起こしてやるから。

 

 そして待つ事一時間ちょっと。

 診察室の扉が開きミルクが飛び出してくる。


 子豚尻尾を千切れんばかりに振りたくって俺の膝の上に飛び乗ってくる。

 そしてベロベロと俺の顔を舐め回し始める。

 テンション上がり過ぎてフガフガ言ってやがる。

 まぁ、いきなり病院に放り込まれて不安だったんだろうな。

 大体病院来ると毎回こんな感じになる。

 本当に可愛いなぁ、おい。

 コイツが縦横無尽に駆け巡ってるって事は、診察終わったっぽいな。

 

 そして運命の時間。

 向かい合う俺と獣医さんと看護師さん&ミルク。

  

「結論から言いましょう。

 ミルクちゃんのお腹は病気で腫れている訳ではないのですよ」


 病気じゃ…… ない?

 マジですか。

 良かった。

 病気じゃないのか。

 ん? 

 それじゃ、何なんだろう。

 明らかにお腹がぽっこりしてるよね?

 まさか本当に怪我してるのか?


 そんな俺の疑問に獣医さんは苦笑気味に口を開く。


「まぁ、ワンちゃん達にとっては恋の季節ですしね。

 よくある事ですよ」

 

 

 こいのきせつ?


 …………


 こ、恋の季節だとおおおおおおおお!?


 ちょっと待て!

 相手はどこのGermany!

 うちの娘に何してくれとんじゃああああ!

 見つけ次第にぶち殺してくれる。

 いや、それ以前に室内飼いだぞ!?

 一体どうしたらそんな事になるんだっての。


 俺の動揺を察したらしいミルク。

 どうしたの? 大丈夫? って感じで再び俺の顔を舐め回し始める。

 うんうん。優しいなぁ。

 大丈夫だ。

 お前は何も心配するな。

 ミルクにも生まれて来る子にも罪はない。

 俺が育ててやるからな!

 予定日は何時だろうか。

 犬の子も十月十日で生まれて来るもんなのか?


「あっはっは。ちょっと紛らわしい言い方しちゃいましたね。

 赤ちゃんは生まれて来ませんよ」


 ん?

 何だと?

 生まれて来ない?

 どういう事だ?

 まさか死産……

 それにしては獣医さんのノリが軽すぎるような?

 ダメだ。

 完全に混乱してるわ。 

 一体何なんだってんだよ。


「だって想像妊娠ですから」


 そうぞうにんしん?

 想像妊娠ってあれだよな?

 赤ちゃんが欲しいって願う人が、妊婦さんみたいにお腹膨らんだり、母乳が出るようになったりするあれだよな。

 ミルクってば、そんなに赤ちゃん欲しかったのか?

 

「うーん。人間の想像妊娠とは若干毛色が違いますよ。

 犬の場合は、恋の季節になると黄体ホルモンというものが分泌されるんです。

 その影響で妊娠しているかのような症状が出てしまうんですよ」


 何を言ってるのかよく分からんけども、つまり生理現象って事か。

 そうか。 

 そういうものなのか。

 全然知らなかったわ。

 ってか、恋の季節って言い方は何とかならんのか?

 紛らわしいんだよな。

 発情期の方が分かりやすくないかい?


「飼い主さんの中には家畜扱いするな! と、怒る方もいらっしゃるんですよ」


 少々げんなりとした表情を覘かせる獣医さん。

 お、おおう。

 確かにそういう人はいるかも知れん。

 ご愁傷さまとしか言いようがないな。

 それにしても、病気じゃなくて本当に良かった。

 無知ってのは罪だな。

 だけど、生兵法は怪我の元って言葉もあるくらいだ。

 やはり疑問に思ったら信頼出来るプロに頼るってのが大事なんだろう。

 獣医さんもこんな夜中に診てくれてありがとうね。


 よし。んじゃ、帰るとするか!

 おい、起きろ弟よ。帰るぞ。

 こうして俺は愛犬ミルクに何事もなかった事を、心の底から喜びながら帰宅したのであった。

 

想像妊娠という呼称が広まっているらしいですが、正確には偽妊娠というらしいです。

しかも全ての女の子ワンちゃん症状が出るという訳でもないらしいです。

偽妊娠したからといって直ぐにどうこうといった事はないようですが、子宮蓄膿症や乳腺腫瘍といった病気の原因になる事は考えられるそうです。

回避するには避妊手術を行うのが一番手っ取り早く確実な方法との事。

病気を発症してから手術するよりもリスクも費用も抑えられます。

繁殖させるつもりがないのでしたら、獣医さんとしては避妊手術をお勧めしたいところだそうです。


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