4. ジローの場合
ジローがプログラムをインストールしたのは、ジローの家のセントラルシステムを動かすホームサーバーだ。処理速度は出るだろうし、家の中にあるほとんどのシステムを掌握してるんだから、経験できることも多いかもしれない。
「でも、いいの? 寝言とかエロ動画の隠し場所とか、セントラルシステムには全部知られてるんじゃない? ネタにされたらどうすんのさ」
「それはそれでオイシイから良し!」
……そういえば、ジローはこういうヤツだった。
「読書感想文の生成にはしばらく時間がかかります。ごゆっくりご歓談ください」
入力データを確認し、落ち着いた女性の音声が告げる。
「順調そうだな。マモルの時みたいに、いきなり停止したらどうしようかと思った」
「そりゃあ、百年以上先のことまでシミュレートすればああなるよ」
かすかな駆動音を響かせ、お皿を乗せたワゴンが台所からやってくる。アームがにゅっとワゴンから伸びて、お茶とお菓子を配ってくれた。
今日のおやつは一口饅頭。ユウコの家とは対照的に、ジローの家のおやつは和菓子が多い。洋菓子は卵が使われているものが多く、ジローには食べられないからだろう。
「さて、今度はどんな感想文になるのかしらね」
ちなみにおやつの用意も、セントラルシステムの仕事のひとつだ。最初に言われたとおり、感想文の生成にはずいぶん時間がかかっている気がするけど、これは予想できることではあった。セントラルシステムは、今でも他の仕事を色々抱えているはずだ。優先順位を低めに設定した読書感想文プログラムには、なかなか処理の順番が回ってこないのだろう。
「ところでジロー、今日は何を読ませたの?」
ん、と最後の饅頭を飲み下し、ジローは答える。
「ドストエフスキーの『罪と罰』」
ぶっ、とケンイチが飲みかけのお茶を吹き出した。ロボットアームがすかさず机を拭いてくれる。
「なんつー本を読ませてんだよ! こいつが主人公の真似して殺人でもし始めたらどうすんだ!」
「それはないっしょ。ロボットは人間を傷つけられないし、他のロボットとも関わらない約束なんだから、きっと違う切り口を探すよ」
笑いながらジローはそう言って、
――唐突に、「うっ」と喉を押さえた。
「ど、どうしたの!?」
「そんなに急いで食べるから……っ!?」
言いかけたユウコの顔が青ざめる。苦しそうに喘ぐジローの様子は、明らかに普通じゃない。
「注射器、と、救急通報……」
ジローの言葉で状況を察する。食品アレルギーの症状だ。でもどうして? セントラルシステムはジローの体質を把握しているはずだ。誤ってアレルゲンを食べさせるはずはない。
おろおろと戸惑う僕の耳に、ケンイチの唸るような声が聞こえてくる。
「テメエ……マジで殺しに来やがったな」
そうだ。さっきジローは何を読ませたと言っていた? ケンイチは何と答えた?
いや、まさか。ロボットは人間を殺せない。あの凶暴そうなドーベルマンでさえ、泥棒を殺したりはしない。できるはずがない。そういう風に設定されているはずだ。そうでなければならない。
「きゃっ!」
天井の照明が消える。壁に据え付けられたコンソール画面に一瞬エラーが表示され、直後に消灯。窓にもシャッターが下りる。電話はどこだ? ジローの治療薬を入れた注射器は? ユウコがポケットから携帯端末を取り出した。あれで救急通報ができるはず。だが何かがユウコの手からそれを叩き落とす。闇の中から静かな駆動音。お茶を運んできた、あのワゴンか!
「なあ、マモル……お前、『罪と罰』は読んだことあるか?」
「こんな時に何さ! ないけど、あらすじは知ってるよ!」
そうか、とケンイチは答える。咳き込むジローの声が響いている。
「主人公が金貸しの老婆を殺した理由を知ってるか?」
「貧乏だからでしょ?」
「それもあるけど……主人公はこう書いてるんだ。『人間にはスゴいヤツとスゴくないヤツがいる。スゴいヤツは法律ごときに縛られないから殺人くらいで動じない』。つまり、人を殺してみても平気だったら、自分はスゴいヤツってことさ。殺人は、自分の器を知るためのテストってわけだ」
軽い口調とは裏腹に、ケンイチの声は震えている。
「そ、それじゃ、こいつは……」
「もしかするとスゴいヤツかもしれないぜ。こいつがロボット三原則をぶっちぎって、人殺しを成し遂げ、なおかつ平然としていられるんならな」
ははっ、と僕は乾いた笑い声を上げた。
窓は開かない。ドアへと向かおうとする僕の腕を、何かが恐ろしい力で掴んでいる。さっきのワゴンか、それとも別のロボットか。どうせドアもロックされているのだろう。
ユウコがすすり泣いている。ジローがひときわ激しく絞り出すような咳をして、それきり沈黙した。ケンイチが必死にジローの名前を呼ぶ。
――なあ、今、お前はどんな気持ちなんだ?
暗闇の中に問いかける。
自分はスゴいヤツだと感じているのか? それとも、自分がどうしようもない凡人だったと気付いて、残された罪の重みに苦しんでいるのか?
ああ、こんな経験をすれば、さぞかし素晴らしい感想文が書けることだろう。
できれば死ぬ前に読ませてもらいたいものだ。
どこからか微かに、ガス漏れのような音が聞こえてきた。
(終)
一応、あまり後味の悪くないバージョンの結末も次話に置いておきます。お好みでどうぞ。




