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2. マモルの場合

 修正は三日で完了した。「感想文を書くときには、他のロボットを巻き込まない」という制限をつけたのだ。それを僕の使うロボットのインターフェースに対応させて動かしてみる。猫型の万能ロボットであるミケは、大人しく童話『浦島太郎』のデータを読み込んだ。どうなるんだろう。「お魚が美味しそうだニャ」とか言うんだろうか。少なくとも、僕の寝言はネタにされない……はずだ。

 僕の部屋に集まった皆が固唾を呑んで見守る前で、ミケはトコトコと窓辺に歩いていき、そこで「うにゃぁ」と一声鳴いて丸くなってしまった。大きな毛玉の塊から、尻尾だけがぴょこんと飛び出したように見える。

「やだ、かわいいっ! 欲しい!」

 ユウコが思わずその様子を携帯端末で撮影し始めた。本物の猫に勝るとも劣らない可愛さだとは僕も思う。この地区では大抵の家がそうであるように、うちは普通のマンションだから本物の猫は飼えないのだ。

 ……でもミケはあげないぞ。ロボットとはいえ、僕の大事な家族だ。

「これ、大丈夫か? ちゃんと動いてる?」

 ジローがミケに触ろうとするのをケンイチが止めた。僕もリモートでミケの稼働状況を確認したけど、ちゃんと活発に処理が行われている。いったい何をこんなに計算してるんだろう。

 しばらくして、ミケは唐突にすくっと立ち上がり、「読書感想文の作成が終了しましたニャ」と告げた。

 読み上げて、と頼むと、ミケは僕らの前にちょこんと座り直して口を開く。

「人間の寿命は、日本においてはおよそ九十年と言われていますニャ。ちなみに、半世紀前には、今ごろ人間の平均寿命は百二十歳程度になっていると予想されていましたニャ。しかし現代の医療でその平均寿命を実現しようと思えば、無理な延命という人権侵害を避けて通れないのですニャ」

 いきなり社会的なテーマで始まってしまった。あれ、僕が読ませたの、『浦島太郎』だよね?

「現代の医療は、健康寿命をできるだけ伸ばす方向へと進歩していますニャ。人生とは最後まで楽しむべきものであるというのが、政府の医療政策の前提ですニャ。もはや、老いとは思考や行動を制限するものではないのですニャ」

 理想的な死に方は「ピンピンコロリ」、死ぬ直前まで元気に生きてコロリと死ぬこと。それは確かに、現代においては常識だ。

「『浦島太郎』を読んで吾輩が理解できなかったのは、そんな『老い』に関する記述ですニャ。浦島太郎は馴染みのある故郷を失い、玉手箱を開けることで老いてしまうのですニャ。しかし故郷の喪失を悲しむのはともかく、老いは理解の難しいものですニャ。本文にも、その時の浦島太郎の気持ちは書かれていないのですニャ。

 絶望を表現したいだけなら、故郷を喪失するだけで充分なのですニャ。この老いには、故郷の喪失では表しきれない心情が込められていると考えるべきだと思うのですニャ。こういう時には、自分ならばどう思うかを考えるのが良いと言いますニャ。でも吾輩には、もし自分が浦島太郎ならどんな気持ちになるのか想像もできないのですニャ。なぜならロボットは故障しても、決して老いることはないからですニャ」

 『浦島太郎』もメジャーな作品だから、あらすじは省略されている。ちなみに、語尾にいちいち「ニャ」がつくのは、ミケが内蔵している言語モジュールを使って文章を生成しているからだ。

 おそらくミケは、一般的に「老い」がどういうものであるかを知ることはできるだろう。でもこれは読書感想文だから、「ミケ自身がどう思ったか」を書かなきゃいけない。そんな僕らの要求に、ミケはちゃんと応えてくれているみたいだ。

「後からより高性能のロボットが登場して、相対的に吾輩の性能が下がることはありますニャ。でもそんなときは、記憶情報をコンバートすることで吾輩は最新のボディに移り、耐用年数を延ばすことができますニャ。吾輩がご主人にお仕えし始めてから、ご主人は二回コンバートを行ってくださいましたニャ。そのたびに吾輩は若返ったとも言えますニャ。人間のように、一方的に老いていくことはないのですニャ」

 確かにそうかもしれない。最初にコンバートしたときはドキドキしたけど、ミケはちゃんと僕のことを覚えていて、今までのミケと同じように話をしてくれた。

「でも、これでは永遠に浦島太郎の気持ちは分からないのですニャ。そこで吾輩は、自分が一匹の老いた猫になった様子をシミュレートすることにしたのですニャ」

 ……老いた浦島太郎になった様子をシミュレートするんじゃダメだったのかな。

「日がな一日ひなたぼっこをして、ネズミも取らず、人々を見守りながら静かに過ごす日々は悪いものではなかったのですニャ。やがてご主人が亡くなり、吾輩はその子へ、あるいは孫へ受け継がれ、ついには捨てられることになってしまいましたニャ。そうして、やがて浦島太郎のように故郷を喪失した吾輩は、思い出を胸に抱きながら人々の営みを見つめ続けましたニャ。そんな日々もまた趣深く、とうとう最後まで、吾輩は老いが悲しいものとは思わなかったのですニャ」

「いやどんだけ長生きするつもりだよお前!」

 ジローの言うとおりだ。僕、そのシミュレートの中で死んじゃってるし。

「そこでふと吾輩は、『浦島太郎』が悲しい物語であると一方的に決めつけていた自分に気付いたのですニャ。きっと浦島太郎は、玉手箱を開けることによって高齢者となり、若者であれば背負わざるを得ない労働の義務から解放されたのですニャ。そしてその自由は、乙姫様から浦島太郎への贈り物だったに違いないのですニャ。あるいはそれは、浦島太郎から故郷を奪ってしまったことへの贖罪だったのかもしれないですニャ。どちらにしても、乙姫様が浦島太郎にかける、深い愛情を感じることができますニャ。つまり玉手箱の存在は、故郷の喪失という絶望に、希望を添える描写だったのですニャ」

 あ、あれ? そうなの? 浦島太郎ってそういう話だったっけ?

 なんか違う気がするんだけどなぁ……。

「ロボットである吾輩はこれまで、老いというものについて、医療政策以外の方向性で考えたことはありませんでしたニャ。『浦島太郎』との出会いは、吾輩に新しい発見をくれたのですニャ。このような機会を与えてくれたご主人には深く感謝していますニャ」

 ミケはそこで言葉を切り、わずかな間を置いて続けた。

「そして同時に、老いることのできない自分を、吾輩は少しだけ寂しく思うのですニャ」

 ……しばらく、誰も口を開かなかった。

 どこか寂寥感のある、そしてロボットであるミケにしか書けないこの結び。長さは原稿用紙できっちり四枚。「ニャ」で水増しされていることを思えば、妥当な長さと言えるだろう。

 ユウコがそっと手を伸ばし、ミケを撫でる。ゴロゴロと喉を鳴らすミケの姿が、なぜだか妙に愛おしく見えた。



「でも、あれって文章の意図を読み違えてないかしら?」

「別にいいんじゃね? 確かに作者の意図からはズレてるかもだけどさ、本を通じてあのネコが感じたことを書いたんだから、読書感想文としてはあれで正解だろ」

「そうかなあ。僕も、もうちょっと一般的な解釈をさせたほうがいいと思うんだけど」

 ミケの読書感想文は悪くはなかったけど、僕は自分でちゃんと読書感想文を書いて出そうと思っている。やっぱりちょっと、あの解釈は適当すぎる気がするのだ。

「仕方ねえな、じゃあちょっと直すか」

「さっすがケンイチ! ねえ、次は私の家のロボットでやってもいい?」

 ユウコの言葉に反対する者はいなかった。

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