とある少年のPK心理
開いてくださりありがとうございます。
ドカッ、パシッ。
続けざまにボールを叩く音が耳に届いた。
ボールの行方を見れば、ゴールポストの横を通り過ぎ、ワンクッションあったのにもかかわらず、勢いそのままに遠く離れていく。
止めた。完璧に読んでいた。
相手の五本目にしてついに均衡が破れたのだ。
その事実をつきつけるかのように、俺らの守護神である川村は、土だらけになっているユニフォームを誇らしげに張り、拳を強く握りながらガッツポーズをし、雄たけびのような声を上げ、喜びを露わにする。
川村はゴールキーパーにしては背が小さめなのだが、相手のキックを読むセンスの高さはなかなかのもの。
五本目にして、左下隅に向かっていく相手のボールを完璧に読み切り、思いきりの良い横っ跳びでボールをはじき、止めてみせたのだ。
ドクンと心臓が大きくなった。
次で勝負が決まる。
俺は地面に目を向けながら、大きく息を吐いた。
ドクン、ドクンと心臓の鼓動が早くなっているのを感じる。
次は俺の出番だ。
試合を決める一蹴りをするために、踏み出そうとした一歩目は、プレッシャーのせいか、まるで地面に縛り付けられたかのように動かない。
ドクドクドクと心臓が震えるように動く。
ようやく動いたかと思えば膝がブルブルと震えるだけ。
さっきまで次は俺だと言い聞かせていたにもかかわらずこの様だ。
「頼むぜ」
声と共に横からポンと背中を叩かれた。
このチームのストライカーの高橋だ。
小学校からずっと同じチームでやってきた彼の言葉は、たった一言だけだったのに俺の心に強く響いた。
「……任せろ」
気付けば足の震えは消えていた。
怖い気持ちは抜ける気配はないが、足は動くようになっていた。
俺は死地に向かうような気持ちでペナルティーマークの一点に向かってジョギングのような形で歩を進める。
先のPKを止めたことによって騒がしかった会場も、一歩一歩、歩を進めていくうちに段々と静まっていく。
不気味とは思わない。
PK戦とはこういうものだ。
次のキッカーが俺だからとかそんな自惚れも湧いてこない。
ペナルティーエリアに入ったあたりで、いつ取ってきたのか、すでに審判の手にあるボールがこちらに投げ渡された。
バウンドしながら向かってくるそれを、いつものように足元で止めて、マークに向かってドリブルしながら一緒に向かう。
マークに辿り着き、そのまま足でボールを止めずに、前屈姿勢のように身体を曲げて、一度両手で持ち上げ、慣れた動作で、目を瞑っておでこにボールを当てる。
そして、祈る。絶対に入りますようにと。
神頼みみたいでなんとも情けないかもだけど、こうでもしないとやってられない。
キッカーの方が有利だとか、そんなものも関係ない。
数秒の祈りの後、ゆっくりとした動作でペナルティーマークのちょうど真ん中になるようにボールを設置する。
だが土のグラウンドであるこのフィールドはなかなかにぼこぼこしている。
ペナルテーィマークの辺りも然りでなかなか安定しないので、止めたいところに止まらない。
もう一度ボールを、今度は片手で持ち上げ、もう片方の手で地面をならす。
平らにした地面に両手でボールを設置した。
ボールが静止したのを確認した後、軸足となる左足をボールとの距離感を計るように、横に並べる。
一歩、二歩、三歩、四歩、そして五歩目で両足を並べる。
両手を腰にあてがい、頭を少しだけ下げて地面を見つめながら、大きく、一度だけ、深呼吸をした。
少しだけ落ち着いた。
ルーティーンも意外に効果があるようだ。
幼稚園の年長から始めて、かれこれ十二年。
十二年もやっていればトーナメントの試合で引き分け、PKになることくらい何回もある。
だから、こんなに緊張するのはこれが初めてではない。
だが、こんなに怖いのはこれが初めてだ。
あれはいつだったか。
確か俺が小学校六年の時だ。
市のベスト八を決める試合だった。
俺はその日の朝、夢を見た。
PKを蹴る夢だ。
自分が何番目のキッカーなのか、今何対何なのか、どういう状況だか分らなかったが、助走を取り終え、キーパーと睨み合っているところだった。
そして蹴り、ネットを揺らした瞬間に目が覚めた。
すごく短い夢だった。
その日の試合もPKになった。
キャプテンである俺は五番目のキッカーを任された。
俺は自信満々だった。
朝見た夢は正夢だと信じていたせいだろう。
そしてやってきた俺の出番。
敵味方全員がすべてを決めて、五対四で俺の出番が回ってきたのだ。
決めればサドンデス、外せば負け。
そんな場面だ。
俺は緊張はしていたが、決して怖くはなかった。
自信があったからだ。
今思えばどこにそんな自信があったんだかと思う。
正夢があるように、逆夢もある。
結果、ネットを揺らすことは出来なかった。
キーパーは触れてすらいない。
俺はふかしてしまったのだ。
PKで一番やってはいけないキックだ。
振り返れば、泣き崩れるチームメイトがいた。
相手は格上で防戦一方の試合だった。
俺はセンターバックとして試合に出場していた。
獅子奮迅の活躍だと言っても過言ではなかっただろう。
だが最後にやってしまったのだ。
取り返しのつかないことをやってしまったのだ。
終わってからお前のおかげでPK戦に持っていけたのだからそこまで気にするなと励まされたりもしたが、その時のチームメイトの顔は忘れられない。
あれ以来、俺はPKが苦手になったと思う。
だがそれは言い訳に過ぎない。
だから俺はずっと練習してきたのだ。
こげ茶色の土のグラウンドに耳が痛くなるようなホイッスルの音が一度鳴り響いた。
立ったままビクッと体が震えた気がした。
この音が鳴った以上俺に逃げ場はない。
キッカーとして選ばれた以上逃げることは許されない。
俺は地面に向けていた顔をボールに向け、間接視野で相手の足だけ見えるようにする。
キーパーの姿は出来るだけ視野に入れないようにするのだ。
キーパーは出来るだけ自分を大きく見せようとしてくる。
実際気迫で負けていたりすると、キーパーは本当に大きく見える。
そのためどこに蹴っても止められそうな気がしてくる。
だから厳しいコースを狙おうとして、結果外してしまうことがある。
中学校の時のことだ。
キーパーと目があった瞬間にきっと俺は負けていたんだと思う。
同じ過ちは繰り返さない。
笛がなって少し経った。
笛が鳴ったらすぐには蹴るなと顧問兼監督に言われている。
これはキーパーのリズムを崩すため、らしい。
うちの顧問はキーパー専門だ。
学生時代県のベストイレブンに入るほどのキーパーだったらしい。
『ずっと集中できるキーパーは普通はいない。絶対気が抜ける瞬間がある。そこで助走を始めろ』
そう言われたのだ。
相手の膝がほんの少しだけ動いた気がした。
その瞬間、俺は力強く一歩目、右足を踏み出した。
ここからはルール上、止まることは許されない。
どんなことがあろうと、ボールを蹴るまでは止まれない。
二歩目で疲労感を感じた気がした。
実際、疲れてはいるがそんなのみんなが一緒だ。
気にしてもしょうがないと自分を叱咤する。
三歩目で景色がグニャリと揺れた感じがした。
何もかもがぶれて見える。だがボールだけははっきりと見えていた。
そして四歩目の左足をボールの横に添えるように、だが地面に足が埋まるくらい力強く踏み込む。
蹴り足となる右足を鞭のようにしなやかに、自分の尻に当たるように振り上げる。
蹴る場所は決まっている。
何度も練習してきたコースだ。
絶対に決める!
強い意志を持って、ボールに向かって、全身を使って、足の指先にまで神経を張り巡らしながら、足を振りおろし、振り切った。
何千何万と蹴ってきたボールの感触が全身に伝わってきた。
良いコースではあったが、キーパーは反応していた。
数瞬でゴールに突き刺さるはずのボールは、異常にスローモーションに見えた。
キーパーはボールと同じ方向である右に飛んでいた。
ボールと相手の手が当たる音がはっきりと耳に響いてきた。
少し古くなっているポストからゴンっと鈍い音が聞こえた。
そしてパサッとネットを揺らす音が聞こえた。
ボールは左側のネットに引っかかったまま動かない。
ホイッスルの音が二回小刻みに、最後に一回、永遠と感じるほど長く、この青い空に鳴り響いた。
一滴だけ、水の粒が、乾いた地面を潤した。
こんな小説にお付き合いしてくださりありがとうございました。
感想頂けたら嬉しく思います。