2/3
その日の放課後、いつものようにスクールバスを降りると、後ろからロディたちを追い越して三人の少年が道を塞いだ。
「おい、ロディ。お前、俺の女に手を出したんだってな? ちょっと俺達に付き合えよ」
いきなりそう言ったのは背の高い濃い茶色の瞳の少年。軍隊みたいな赤毛の角刈りでがっしりとした体つきのこいつは隣のクラスのサムだ。ちょっと大き目の黒いシャツを無造作に着込んだサムはいつも不良を気取っている乱暴者だ。ちょっと後ろには似たような格好の二人の少年がにやにやしながら長い鉄パイプを持って立っている。
「おい、お前たち、何をするつもりだ?」
レイがそう言った途端、サムはいきなりロディを殴りつけた。ロディはそのままよろよろと地面に尻餅をついた。
「ロディには手を出すな。俺が代わりに相手をしてやるよ」
その冷たく落ち着いた声にロディは驚いてレイを見た。てっきり怖くて震え上がっていると思ったレイはまったく動揺もせず、まっすぐにサムの顔を睨みつけている。
「こいつは面しれえな。じゃあ、お前のほうからたっぷり可愛がってやるぜ。お前のほうは後だ、ロディ」
サムは今にも舌なめずりをしそうな顔でレイを見ている。
「ここは通行の邪魔だ。話があるんなら裏の空き地へ行こう」
レイはそう言うと、ロディやサム達を置いてさっさと歩き始めた。
サム達が慌てて後を追っていく。ロディはどうにか立ち上がると後を追いかけた。
空き地では小さな子供達がボール蹴りをしていたが、サム達を見ると慌ててボールを持って逃げていった。
相変らず青いセーターを着たレイが立ち止まると、三人の少年は彼を取り囲んだ。
「いいか。バーバラは俺の女だ。俺のものに手を出した奴は許せねえんだよ!」
サムはそう言いながら、ずかずかとレイに近付いて襟首を掴んだ。
ロディはサムに向かって大声で叫んだ。
「おい、俺は手なんか出してないぞ! あの女のほうから勝手に誘ってきたんだ」
「うるせえ! てめえの言い訳なんて聞く気はねえよ!」
サムはロディを怒鳴りつけると、右の拳でレイの顔を思い切り殴りつけた。
レイは左目を押さえ、口から血を流しながらサムを睨みつける。サムがもう一発パンチを繰り出した。だが、それが顔面を捉えるよりも素早くレイの膝蹴りがサムの腹に深く食い込んだ。サムは腹を押さえて呻き声を上げ、よろよろと後退りした。
「くそ……結構やるじゃねえか。おい、お前ら、やっちまえ!」
二人の少年が鉄パイプを振り上げて同時に奇声を上げてレイに襲い掛かった。レイは一人の攻撃を上手くかわすと、もう一人の振り下ろした鉄パイプを掴んで奪い取り、少年の身体を思い切り突き飛ばした。
「来いよ」
ぞっとするほど冷静な声でレイが呟き、にやりと笑った。鉄パイプを両手で握ると、両腕に力を込めてタオルみたいにゆっくりと逆方向に捻る。鉄パイプは妙な音を立てて変形し、飴のように折れ曲がった。レイの周りの空気が殺気を帯び、ロディはぞくっと身体を震わせた。
「どうした? さっさとかかって来いよ!」
「う、うわああ!」
さっきまでの勢いは何処に行ってしまったのか、サム達はほうほうの体で逃げていった。
「大丈夫か? レイ」
「ああ。大丈夫だ」
そう答えたレイの顔は左目が赤く腫れ上り、痛々しい。
「ありがとう。助かったよ……ええっと、一応先生に報告しておこうか?」
「いや。いいよ。なるべく問題は起こしたくないんだ」
レイは捻じ曲げた鉄パイプを空き地の隅に放り投げた。
「それにしても凄いな。何か格闘技でも習ってたのか?」
「まあね。さあ、帰ろう。こんなところにいても仕方ないだろう」
ロディは次の日、バーバラとのデートを断った。レイはそれから三日ほど学校を休んだ。ロディは三日目に初めてレイの家を訪ねていった。かつて荒れ放題だった庭はきちんと草が刈られている。呼び鈴を鳴らすと、しばらくして鍵を外す音がした。
ドアが少しだけ開いて、顔を覗かせたのはレイによく似た長い金髪に澄んだ青い目の女性だった。薄く口紅を塗り、無造作に髪をまとめ、着ているものも何の変哲もない白い木綿のブラウスとベージュのスカートだったが、それでもロディが知っている町の誰よりも美しかった。
「はい、何か?」
「あ、あの、初めまして。ロディっていいます。レイは大丈夫ですか?」
「ああ、学校のお友達ね。ありがとう。いい薬を飲ませてるから明日には学校に行けるわ。でも、今は寝てるから会えないのよ。ごめんなさい」
「よかった。それじゃあ、お大事に」
レイは翌日、前と変わらない綺麗な顔で登校してきた。サム達は二度とレイやロディに手出しをしようとはしなかった。
一週間後、天空には雲ひとつなく、満月の光が突き刺すように家々の窓に届いていた。
ロディは真夜中に目を覚ました。訳の分からない胸騒ぎを感じてそっと窓を開けると冷たい夜気が部屋の中に流れ込む。ふと庭の向こうに目をやると人が歩いているのが見えた。
――あれは……レイじゃないか? あんなに綺麗な金髪の持ち主はここらでは彼と彼の母親くらいしかいない。こんな夜中に何をしに行くのだろう。
ロディはパジャマの上から茶色のPコートを引っ掛けると足音を忍ばせて階段を降りた。庭に出て自転車に乗り、道路に出てみるとレイらしき人影は既に小さくなっていた。最初は急いで、追いついてからはゆっくりと、相手に気付かれないように後をつけた。だが、顔を見なければ誰なのか確かめられない。ロディは脇道に逸れて先回りをした。学校や公園を通り過ぎてそろそろ商店街に入る辺りでロディは自転車を降り、脇道に隠れて待った。向こうからやってくるのはやはりレイだった。レイは無表情で、黒いダッフルコートのポケットに手を突っ込んだまま歩いてくる。その目が微かに青い光を放っているように見える。
レイが目の前を通り過ぎるのを見計らって、ロディは徒歩で尾行を再開した。こんな夜中に歩いているわけを呼びとめて聞くべきだろうか。何故かそれは酷く危険なことのように思えた。レイは商店街を通り抜け、裏通りに入っていく。しばらくして前方に別の人影が見えた。よれよれのコートを着た酔っ払いの男が一人、何やら歌を歌いながらよろよろと歩いている。レイが突然立ち止まり、やがて今までとは違う滑るような速さで男に近付いていく。ロディはゴミバケツの後ろに急いで隠れた。男に追いついたレイは後ろから素早くその身体に抱きついた。短い呻き声。一瞬にして周りの空気が赤く染まったようにロディは感じた。力を失ってへたり込んだ男の身体をレイは抱えるようにして狭い路地に連れ込んでいった。
――何だ? いったい何をしたんだ? 殺したのか?
ロディの全身ががたがたと震えだした。どうしよう。このままじゃ逃げることも出来ない。レイはすぐに戻ってくると素早く辺りを見回した。その目は青い光を放ち、口元には鋭い牙が光り、唇は血に染まっている。そして明らかに人間のものではない、猛々しく危険な雰囲気。
――ヴァンパイア。奴はヴァンパイアだ。
レイは袖で口元を拭うと、ロディの隠れているほうへゆっくりと戻ってきた。そしてゴミバケツの横でぴたりと足を止める。
「誰だ? そこに誰かいるのか?」
気付かれた。だが、もうどうすることも出来ない。ロディは覚悟を決めてレイの前に出て行った。
「ロディ……見てたのか」
レイの瞳が次第に光を失い、放心したようにロディを見つめた。
「ああ。見てたよ。お前がヴァンパイアだったなんてな。あの男は殺したのか?」
「いや、殺してない。必要なだけ血を貰っただけだ。十分もすれば気が付くはずだ」
「どうする気だ? 俺を殺すのか? レイ」
レイはふうっと溜息をついた。
「そんなこと出来るわけがないだろう。それより、お前は俺のことをどうするつもりなんだ?」
もう既に恐怖心は消え去っていた。だが、まだ唇の端に血を残したままのレイの姿はあまりにも美しかった。街灯に照らされた肌はより白く、青い瞳は妖しく潤み、金色の髪も艶やかさを増して見える。その時、ロディの心の奥底にあった密やかな欲望が一気に顔を覗かせたのだ。
「黙ってる。誰にも言わないよ。その代わり……その……お前の身体が欲しい。一回だけで構わないから」
「なん……だって?」
その時のレイの顔をロディは忘れることが出来ない。戸惑いと憐れみを含んだような悲しげな顔を。
「ごめん。それだけは無理だよ。絶対に」
「いや、冗談だよ。俺は誰にも言わないよ。お前はサムから俺を守ってくれたしな」
作り笑いでその場を誤魔化そうとするが上手くいかない。自分のプライドが音を立てて崩壊していく。
「ありがとう。感謝するよ、ロディ」
柔和な笑みを浮かべたレイの顔を見ながらロディは思った。俺は何て馬鹿なんだ。あんなことを口にしてしまうなんて。
町ではヴァンパイア出現の噂すら立たなかった。被害者が酔っ払いだと本人もまったく記憶がない。まして冬はマフラーやコートで首を隠してしまっているから、何処かで怪我をしたことは分かってもヴァンパイアの仕業などとは夢にも思わないのだろう。
年も明けた一月の初め、ロディは『アリスの店』でハンバーガーを食べていた。レイは相変らずバイトを続けていたが、その日、来週には引っ越すということをぽつりと呟いたのだ。母親は先に引越し先の町に行って住む場所や仕事を探しているらしい。ただ、何処の町に行こうとしているのかはレイも教えようとはしなかった。
ロディはあれ以来、レイと以前のような友達付き合いが出来なくなっていた。レイもロディも、互いに相手の重大な秘密を抱えている。そのことがロディにとっては堪らなく苦しかった。
――どんなに望んでも俺の願いをレイが聞き届けることはないだろう。このまま終わらせてしまいたい。何も悩まなくてすむように。レイが引っ越してしまえば少しは楽になるだろうか。でも心の中の妄想はなかなか消えはしないだろう。
「おい、ビール早く持って来い!」
聞きなれない声に振り向くと、グレーのセーターに革ジャンを引っ掛けた髭面の男がアリスに向かって怒鳴っていた。足元に置いてあるのはリュクサックとニードルガン。ハンターだ。アリスは何も言わずにその男のテーブルにビールのジョッキを持って行くと叩きつけるように置いた。
ロディは立ち上がると男に近付いていった。男はロディを見ると唇の端を歪めて笑った。
「ったく、ここはろくな町じゃねえな。おい、そこのガキ。この町じゃVの噂とかは出てねえか?」
Vとはヴァンパイアのことだ。
「噂ですか? ないですけど……」
男はロディの顔を見て何かを感じ取ったようにほくそえんだ。
「ひょっとして知ってるのか? 人間のフリをしてこっそり暮らしてるVをよ」
ロディは何も答えなかった。
「子供のVでも構わないぜ? 教えてくれたら十ドルやろう」
十ドル。その頃の子供達にとっては大金だった。
「いいか。ヴァンパイアはモンスターだ。人間そっくりでも凶悪な悪魔でしかない。庇っていると後悔することになるぜ」
――教えることはレイを殺すことになる。でも……そうすればもうこれ以上悩まなくてすむ。それに金も欲しい。
「知ってます。俺のクラスメイトですけど」