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当作品はサイトからの転載です。
初夏の爽やかな風が夜の繁華街にも少しばかりの安らかさを与えているようだ。シルバークロス・タウン、午後九時。男はジャケットのポケットにそっと手を入れる。男の名はロディ。白髪の混じった薄茶色の髪に鋭い灰色の瞳。若い頃はかなりのハンサムだったが、六十を過ぎた今は彫りの深い顔立ちにも弛みが目立つ。
これだけあれば大丈夫だ。期待にぞくっと身体を震わせながら、ロディはにやりと笑う。路地を抜けて裏通りに入る。道の両側には派手なネオンのついたバーがひしめいている。恐らくは同じ欲望を持った男達がひっきりなしに擦れ違う。
「モンスターの権利を認めましょう。共存を実現してハンターのいない世の中を目指しましょう。どうか署名をお願いします」
黒い髪のアジア系の少年が袖を引いて声をかけてきたが、ロディはその手を邪険に振り払って歩き続ける。
――共存だって? 馬鹿馬鹿しい。何で最近はそんなことがおおっぴらに言えるようになったんだ。
ロディはひときわ大きな看板を掲げた店のドアを開けた。
暗い店の中には大勢の男。酒の匂いと安物のコロンの匂いが体臭と交じり合って噎せ返るようだ。ロディは店の入り口付近で立ち止まり、値踏みするような目付きで辺りを見回した。この店に来たのは三度目だ。だがなかなか自分の好みの男は見つからない。
だがその日、彼はカウンターの端の席の輝くような金髪に目を奪われた。腰まで届くほどのまっすぐな長い髪のその男の横には黒い派手なシャツを着た巻き毛の男が顔がくっつくほど身体を寄せて何事かを囁いていたが、金髪は強く首を振った。巻き毛が怒ったようにカウンターを強く叩いて立ち去るのを見計らって、男は金髪の横に座った。ちらりと男を見た金髪がふっと笑みを浮かべる。陶器のような白い肌に青く澄んだ瞳。薄い唇。淡い菫色の絹のシャツにまっ白なスラックス。驚くほど綺麗な顔のこの男とロディにはたぶん四十歳ほどの年齢差がある。金髪はロディから目をそらして目の前のカクテルに手を伸ばした。
「いくらだ」
率直過ぎるほどのこの言い方に金髪は振り向くこともなく答える。
「1000ドル」
―― 一晩で1000ドルだって? こいつふざけてるのか? まあいい。いくらであろうと関係ないさ。
「それから料金は前払い。SMプレイはお断りだよ」
「いいだろう。お前、名前は?」
「名前? あんた変わってるね。一晩だけの付き合いに名前は不要だろ」
「知りたいんだよ」
「別にいいけどさ。ベルだよ」
「そうか、ベル。すぐに行けるか」
「待ってくれ。ちょっとトイレに行ってくるから。俺の行きつけのホテルでいいだろ? 建物はぼろいけれどシーツは清潔だぜ」
「ああ。何処でも構わないさ」
――むしろ古い建物の方が好都合だ。そういう所は監視カメラも設置されていない場合が多い。
ベルはすっと立ち上がり、テーブルの間をすり抜けて立ち去った。その形のいい尻を見ながら、ロディはごくりと唾を飲み込んだ。
――もうすぐだ。もうすぐ、この男は永遠に俺のものだ。それにしても、こいつはレイによく似ている。今までの男たちの中では一番似ているかもしれない。まあ、あいつが生きているはずもないけどな。
1960年。メイン州の小さな町、ローズバッド。ロディは十三歳。ミドルスクールの八年生だった。その頃アメリカではケネディが大統領になり、アメリカ人の誰もが希望と期待で胸を膨らませていた。未来は明るかった。実際、キューバ危機が過ぎ去り、やがてベトナム戦争が終わるまではアメリカが世界の中心であると誰もが思っていたに違いない。
その少年がやってきたのは十一月の初めだった。教室に入ってきた彼の姿を見て女の子達は感嘆の声を上げた。夢の国の王子様ってやつが実際にいるんだったらきっとこんな感じだろう。肩まで伸ばした艶やかな金髪に白い肌。長い睫に縁取られた青い瞳が自分の方に向けられた時、ロディは今まで女の子にさえ感じたことのない妙なときめきを覚えた。
「彼はレイ・スミス。お母様のお仕事の関係で転校してきたのよ。みんな、仲良くしてやってね」
「あ、あの……よろしく」
下を向いたままおずおずと挨拶するレイにクラスの男の子達は失笑した。女みたいな奴は軽蔑の対象にしかならない。男の理想はジョン・ウェイン。そんな時代だった。
レイは空席だったロディの隣の席に腰を下ろした。毛羽立った青いセーターを着たレイはそれでも他の誰よりも目立っていた。休み時間になると何人かの女の子達がレイにさっそく質問を浴びせていたが、レイは穏やかに微笑んで短い返事をするだけで、あまり自分自身のことを話そうとはしない。ロディは声をかけてみようかと思ったが、結局きっかけを掴めないままその日の授業は終わった。放課後、黄色いスクールバスから降りた時にロディの後から住宅街の真ん中を貫く道路に降りてきたのはレイだった。
「やあ、レイ。君の家もこのへんなの?」
ロディが思い切って声をかけると、レイは何となくおどおどしたような顔でロディを見返した。
「え、ああ。あの緑色の屋根の家を借りたんだ。ええと……」
住宅街のはずれにあるその家はもう長いこと空き家で借り手がなかった。子供達の間ではお化け屋敷だと噂されていたほどだ。
「俺はロディ。ロディ・マクドナルドだ。よろしく」
「よろしく、ロディ。……ごめん。バイトがあるからこれで」
急いで立ち去ろうとするレイにロディは声をかけた。
「レイ。バイトの休みはいつだ?」
「ええと、明日は休みだけど」
「だったら、俺と付き合えよ。いい店があるんだ。ホットドッグを奢るよ」
レイは振り返り、ふっと表情を緩めて微笑んだ。
「分かった。ありがとう、ロディ」
翌日、ロディは『アリスの店』(店主の太ったおばさんの名前がアリスというだけだ)にレイを連れて行った。赤いチェックのクロスがかかったテーブル席に座り、ケチャップは多め、マスタードは少なめのホットドッグをふたつ、ついでにコークを二杯頼むとロディはさっそくレイに話しかけた。
「レイ。君のお母さんって何の仕事をしてるんだい」
黙って窓の外を眺めていたレイはロディの方を見て、小さな声で答えた。
「いろいろだよ。今は家の近くの雑貨屋で働いてる。俺がバイトしてるのもその店だけどね」
「ああ、あの店ならいいね。おやじさんが優しいからな。お前、お母さんと二人暮しか? 兄弟は?」
「二人だよ。兄弟はいない」
「そうか、俺も一人っ子なんだ。今はパパと二人さ。ママは去年、男と家を出て行った」
「ああ……それは」
「同情はいらないよ。家のことはハウス・キーパーのおばさんがやってくれてるし、パパは高給取りだからね。生活に不自由はしてないんだ。……ホットドッグ遅いなあ。そうだ、お前、犬好きか? ホットじゃないやつ」
「好きだよ」
「そうか。俺も好きだよ。ええっと、あと漫画は? 『スパイダーマン』とか」
「それも好きだよ。でも本は持ってない」
「だったら貸してやるよ。俺、何十冊も持ってるんだ」
レイはたちまち顔を輝かせた。
「ありがとう、ロディ」
その時、でっぷりとした身体に白いエプロンをつけたスノーマンみたいなアリスがホットドッグの皿をどん、とテーブルに置いた。
「おや、新入りさんだね。綺麗な顔してるねえ。ニューヨーク辺りから来たのかい?」
「ええ、まあ」
「やっぱり、都会の子は違うよねえ。ねえ、ロディ?」
アリスは人懐こい顔でにこっと笑うと調理場へ戻っていった。
さっそくホットドッグに齧りつくレイの唇から赤いケチャップが滴り落ちる。柔らかそうな唇、そして……赤い……。ロディは下半身に熱い血が流れ込んできたのに気が付いた。胸がどきどきしてどうしようもなく身体が火照る。
「どうしたの?」
「いや……何でもない」
ロディは急いでトイレに行くと興奮が鎮まるのをじっと待った。戻ってみるとレイは既にホットドッグを食べ終わり、窓の外に見える道路をじっと眺めていた。
既に傾いた日差しがレイの金髪をより輝かせ、ロディには彼の姿が宗教画に描かれた天使のように見えた。何故か罪を犯したように心の奥が疼く。
――何故だ。俺は何も悪いことなんてしていないのに。
「ここはいい町だね、ロディ」
「ああ。何にもない田舎だけどな」
ロディもまた窓の外に目をやった。あと数年もすれば自分もこの町を出て行くだろう。大人になったら何をしたいか。まだ具体的なことは何も考えていなかった。
「レイ。君は大人になったら何をするつもり?」
「大人になったら? さあ……。前はヴァンパイア・ハンターやファイアーマンに憧れていたけれどね。今はもう諦めたんだ。全てね」
「全て? どういう意味だよ」
だがレイは唇をぎゅっと引き結び、とても悲しそうな顔をしたので、ロディはすぐに話題を変えてしまった。
その日からロディとレイは友人としての付き合いを始めた。もともとあまり友達付き合いをしなかったロディだったが、レイと一緒にランチを食べ、たわいもない話をしては笑いあううちに、ロディにとってレイはかけがえのない友人となっていった。だが、ロディが一時的に感じた強烈な欲望だけは心の奥底に滓のように残り続けていた。
「ねえ、ロディ。だれか付き合ってる人がいるの?」
一ヵ月後。休み時間に隣のクラスのアイドル的存在であるバーバラが、ロディの机に近寄ってきて彼に話しかけた。レイは教室にいなかった。ロディはちょっと戸惑った顔でバーバラを見上げる。
「いないんだったら、今度の日曜、映画に行きましょうよ、ね?」
「あ……あの、君はサムと付き合ってたんじゃ」
「行けるの? 行けないの?」
「いや……他に予定はないけど」
「じゃあ、いいわね。また後で連絡するわ」
ふわりとカールした金髪に赤いカーディガンがよく似合うバーバラは軽くウインクして立ち去った。
「凄~い。彼女、積極的ね。でも、彼氏いるんでしょ?」
「サムとは別れたって噂よ。乱暴者だから嫌になっちゃったみたい」
「でもさあ、ロディってゲイなんじゃないの? ハンサムなのに女の子に声かけたことないし」
教室の隅でヒソヒソ声で囁くクラスの女の子達の声がロディに聞えてしまった。
「おい、それはどういう意味だよ?」
「な、何よ、ロディ。聞いてたの?」
「いいって。本当のことじゃない。あんたちょっとおかしいわよ? ロディ。レイを見てる目が恋人を見てるみたいにうっとりしてるし」
ロディは頭を殴られたような気がした。それは自分でも気付いていたこと。だが、自分自身も認めたくはなかったこと。
「黙れ! 雌豚ども!」
全身を震わせて怒鳴るロディの剣幕に、女の子達は驚いて言い返すこともせずに教室を出て行った。
「どうしたの? ロディ」
女の子達と入れ違いに教室に入って来たレイが心配そうにロディを見た。
「ああ、ごめん。俺の悪口を言ってたから」
「そうだったのか。いや、凄く怒ってたからどうしたのかと」
「何でもないよ。気にすんな」
「そう。ならいいけど」