1、もしもの世界
ここは街。コンクリートと鉄と、それと僅かばかりの緑の並ぶ一つの街。この世には溢れ返っているような、平凡な街であったが、他のどの街とも違うのは、中心にそびえ立つ高い高い塔であった。600年程まえから急速に発展したこの世だったが、一番の要因と言えるものがその塔の存在だった。
ルトーはその塔の、詳しい由来を知らない。何故なら彼はみなしごで、その上この『根本世界』の者ではないからだ。ただその塔を生み出したのは、他の世界の技術者だという事だけ、彼は承知している。彼はそれほど知的好奇心の有る人間ではなかったし、彼の様な『冒険者』は必要以上を知る事をよしとしない。彼の友人で仲間であり、そして今彼の隣に控えるクオリアという少年は、その塔を造った人々の由来する世界の出身で、義務づけられている教育課程でその事を学んでいるため、彼に訊けば全て解決するのだろうが、ルトーはそんな面倒くさい事を実行する気力も気概も持ち合わせていなかった。
ルトーとクオリアの二人は、それぞれ別の世界の出身だ。この物語の主人公であるルトーは、超能力の実在する世界の出身。クオリアは機械系の技術の発展した世界の生まれだ。他にも様々に世界は存在して、その全ての基本となっていると考えられているのが、今彼らの居る根本世界だ。主にクオリアの世界の技術で発展した根本世界であったが、それでも他の世界から渡ってきた者は総じてこの世に、地味だと言う印象を受ける。
ルトーの生まれた世界は、八割方の人間が何らかの超能力を持っており、戦争ともなればそれこそ大惨事になる。彼も例外ではなく、その両目に異能を宿していた。鷹の様な目の構造と、睨んだ者を硬直させる能力。ただぽんと根本世界に捨てられていた彼は、その二つの力を駆使して生き抜いてきたのだ。
褒められたものじゃない経歴を持つ彼だが、今では立派な職業に就いている。それこそが、冒険者だ。根本世界に本拠地を構え、様々な『もしも』の世界を征服する。まだ人数は多く無いのだが、衣食住は保障されるし、給料もいい。何より彼に沸き上がる衝動を発散出来るのが、最も嬉しかった。
ぶらぶらと二人で歩いていると、こちらに向かって走って来る人影が見え始めた。長い銀髪をなびかせながら走って来るその少女は、ルトーのもう一人の仲間、リィだった。この前の冒険で消費した物資などを、買い出しに行っていたのだ。彼はクオリアとともに、声を上げながら手を振って合図を送る。リィという少女はそれに気づき、こちらに一直線に走ってきた。漸く合流すると、彼女は息を整え、そしていつも浮かべている仏頂面で、いつもの様に言葉を発した。
「はい、帰還機に投げ矢、クオリアには電池一式。ルトーにはこの前お釈迦になった、解体用ナイフ。携帯食糧と水、それと新しいタープね」
重いその荷物を、三人の中で一番体力の有るルトーがリィから受け取った。少し重く感じたが、一声出して彼は街の中心にそびえる塔に向かって歩き始めた。
「ったく、ようやっと休暇が貰えたのに……。あーあ、こりゃ過労死確定だわ!」
ルトーは冗談っぽく悪態をついた。休暇を楽しもうと、旅行の準備をしていたのに、いきなり上司に呼び出されて、緊急の任務に就けられたのだ。その任務の内容も、めちゃくちゃなものだ。彼の文句に同感する様に、クオリアはやれやれと声を出す。
「本当ですよ。僕の故郷の世界で、新しいレーザー兵器が発売されて、それを買いに行こうと思っていたのに」
真顔でそれなりに物騒な事を言う。このクオリアという少年の生まれた世界では、兵器は一般市民にも買えるお手軽な物なのだ。しかし複雑なルールなどが有り、用途はごくごく限られている。マニアが愛でたりする為に買うか、冒険者が実戦で使用する為に買うかだ。
その世界で開発される機械の中で、兵器だのはなんらかのトラップが仕掛けられていて、クオリアの様にその世界に生まれた人々にしか扱えない様になっている。だからクオリアの持っているレーザー銃などをルトーやリィが使おうとしても、引き金を引く事も出来ないのだ。その話を初めて聞いた時、ルトーはケチだなぁ、と思ったのだが、その兵器の威力を目の当たりにし、そのようなトラップを仕掛けるのも仕方のない事だと思った。もし全ての、確認されている世界にあのような兵器が行き届けば、とっくのそっこに何もかも滅びさってしまっているだろう。
同じく、リィの使う魔法も同様で、術式の手順を真似た所で、魔法の世界に生まれた人以外に扱う事は出来ないのだ。それに同じ世界の住人でも、その世界特有の技術の使えない人も居るらしい。ルトーの生まれた世界にも、超能力を持たない人間はごまんといたから、本当の事なのだろうと思った。
「ま、命がけじゃないんだし、ゆっくり行こうじゃない?」
命がけではない。リィのその言葉はまさに真実であった。冒険者は皆、並の武器では傷つける事すら出来ない身体と、多くの世界を渡り歩く特権、言葉に不自由しない不思議な力をもっている。それは冒険者に認められた時に行われる『洗礼』によるものなのだ。
『洗礼』というのは、彼らに取っては意味の分からない儀式だった。リィやクオリアも知っている様子は無く、唯一分かったのは、彼らの『洗礼』を行った上司にして先輩、イトロがルトーらに名字を与えた事だ。その名字は人前で軽々しく名乗るんじゃない、と先輩は念をおした。名前の無かったルトーにとって、名字というのは人前で名乗りたくて仕方のなかった物ではあるが、彼は素直に言う事を聞きその名字を名乗る事はこれまでしていない。
色々と考えているうちに、三人は塔にたどり着いた。動く鉄の箱、エレベータに乗って目的のに行く。そこはまだ彼らが来た事の無いで、見ればこの塔の最上階だった。ルトーは顔をしかめる。
「はぁ、もう10個も世界任されてんだぜ? 新発見の世界なら絶対『認識』ねーしよ、はぁ……」
溜息を吐く。彼ら三人は、既に10もの『もしも』の世界の管轄を任されている。新発見らしい世界での任務を任されるという事は、その後その世界の管轄を任されるという事だ。リィは相変わらず、無愛想な顔と声でルトーを元気づける様に言う。
「いいじゃない。『認識』の無い世界の住人は、幾らでも殺していいんだから」
認識というのは、その世界が他の『もしも』の世界や根本世界への認識を持っているかどうか、という事の隠語である。認識がある世界の法律は犯してはならないが、無い世界の法律や決まり事などは無視していい事になっている。極端なリィの発言に、ルトーは口角をつり上げて言った。
「かっかっか、認識無しの世界程、冒険して面白い場所はねぇな。なんせ殺しオーケーなんだしよ!」
クオリアもリィも、ルトーのこの異常な性格にはある程度理解を示している。人を殺す事を好み、常に殺人欲求を抱える彼。普段はその異常さを感じさせる事は無いが、殺しても良い対象を目の前にすればその性格は豹変する。クオリアはクスリと笑う。同時にチーン、とエレベータが止まった事を知らせるアラームが鳴り、三人はぞろぞろとそのに踏み出した。新品の車の様な臭いが鼻につく。
新たな世界が発見されるたび、根本世界にある塔が増設される。塔は他の世界へ渡る門の役割を持っていて、1フロアにつき一つの世界の転送と管制を行っている。沢山設置されたモニターには、小型カメラによる映像が映し出されていた。それはこのフロアが管制する世界の映像で、見れば植物の一切無い、不毛な世界に見えた。そして一心にキーボードを打つ、くすんだ金髪の青年が、椅子から立ち上がり三人に振り返った。
「来たね、ルトー」
腰から幾つもの戦輪を提げ、袖の長いだぼだぼした服を着た、大理石の様に白い肌と透明度の高い朱色の瞳を持つその青年は、訪問者であるルトーの名を呼んだ。レポートらしい数枚の書類を手に取ると、色の薄い唇を開き成人にしては高めの声で、三人に向けて話をし始めた。
「今回の世界のコンセプトは、『もしも食物連鎖のピラミッドが逆だったら』。もちろん認識は無いし、人間は捕食対象だ。危険な旅になるね」
ルトーは身体を振るい上がらせた。それは恐怖による物ではなく、いわゆる武者震いだった。
つづく