5.地を這う旋風
1944年
ベルリン北西部プレッツェンゼー刑務所
「き……貴様が総統を救ったと言うのか……我々の考えには同調してた筈……」
「勿論、黒いオーケストラの計画には真に同調しましたよ、だから気付かれないなかった。困るんですよ、このタイミングで邪魔されたら……」
男が国を裏切った将校から離れると、足元が浮遊し首に巻いた細いワイヤーがその男をゆっくりと絶命に追いやった。
基地での一日は朝のランニングから始まる。広い敷地内で1周5km程度を周る。
いつもの日常の光景なのだが…… 今日は一つ違う要素があった。
「おはよう君、実に清々しい陽気じゃないか!」
昨日、高圧的な態度で現状を説明してきた…… 自称MI6だという謎の男ポールが、何故か僕の横を並走している。
僕が無視して暫く走っていると彼はまた何か話し掛けてきた。
「風向き、北北東に約2m。気圧、1020mbarの快晴。ここは周りに木々で覆われ小鳥な細やかな声が聞こえる美しい……」
小鳥の声は朝からひっきりなしに飛んでくる輸送機の轟音に掻き消された。それは英本土から物資や人員を運んでくるこの基地に対する親鳥みたいな物であった。
僕はこの鬱陶しい男に不満をブツケてみた。
「僕も今の状況をそれなりに理解しているつもりだ。ただ所詮僕はまだ新米で、恐らくアンタの国の方がよっぽど良いパイロットがきっとここを占拠するだろうね」
「ああ君はこの基地と仕事を完全に乗っ取られる事を不安にしているのか。そこは安心して欲しい私の立場をもって保障する。むしろ私は君の成長を期待している立場なのだよ」
「祖国の為にな、…… アンタの国の為に飛ぶ気は無いね」
「隊長の為にだろ?」
僕は内面を覗かれる嫌な感触から逃げるように走るペースを上げポールを後方に置き去りなした。
妨害工作により普段よりも呼吸が苦しくなるも休んでいる暇はない。予定の時間の前に支度してハンガーに来てなければならなかった。
急いで現場に到着するもまだ隊長は居ない、そこでは昨日飛ばした機体の整備を行っている整備士の姿があった。僕はその様子をマジマジと見入っていた。
実際飛行士をやってて機械の知識にそこまで自信は持っていない僕は、叩いて治すくらいの事しか出来ない。
「マーティン。初飛行で派手にやらかしたもんだな。血飛沫のペインティングとはいい趣味してる」
僕に話し掛けてきたのは割りかし馴染みのある先輩の整備士だ。
「やったのはカーリーだって。僕は爆撃機乗りになる気は無いし」
「あーお前ハリケーンに機種転換するんだっけな。気を付けろよ…… あの鬼隊長の元で生き残れた訓練生はほんの僅かだ」
「そんな大袈裟な」
そう言い放った僕だが、昨日ポールが言っていた味方殺しと言う言葉をふと思い出して少し心のざわつきを感じた。
「整備士に転向するなら今のうちだぞマーティン」
振り向くとそこには隊長が腕を組んで仁王立ちしている。
僕は直ぐ様駆け寄った。
「本日からの教練よろしくお願いします」
隊長は組んだ腕を解く。
「座学なんざクソ喰らえだ。さっさと上に上がるぞ。俺が先に上がる、次にヨーゼフ、最後にマーティンだ」
「はい!!」
今回乗り換える機体、ホーカーハリケーンには以前に乗った事がある。この機体が最初に配備された時、分厚い説明書を一夜漬けで覚えさせられて発動機の起動手順までをやらされた事を覚えている。
隊長の指導は一言で言えば『習うより慣れろ』それに尽きる、僕は朧気な記憶を頼りにハリケーンを動かし始めるが、操作に手間取り少し遅れて離陸した。
「聞こえるかマーティン?」
「はい、よく聞こえます」
「方位250,空域R13に向けて3000mまで上昇しろ」
「了解」
コイツも旧式機体とは言えやはり世代が違う、300km/hを維持してグングンと上昇していく、この時点で今まで乗ってた複葉機の最大速力を超過していた。
予定高度に難なく到達し、水平飛行に移行すると速度計の目盛りは500km/hに到達している。そんな具合に少し調子に乗っていると、水温計がみるみる上昇していくのを見付け少しスロットルを下げる。
「マーティンです、目標地点に到達」
「お前の機体した合流するから高度と速度を維持しろ」
すぐに上空に居た他の2機が自機の前方に付き編隊を組む、僕は1番後ろだった。よく見ると隊長も同じハリケーンに乗っていた。
「今日のルールは特別に簡単だ。俺に付いてこい。一定距離まで離れた奴をペナルティとして基地を3周走る、以上」
結論から述べると2人とも早々に失格となり今こうやって基地内を走り回っている、ヨーゼフは走りながらも不満を吐く余裕があるようだ。
「──大体先導機が全力で逃げたら追尾側はどうしても修正舵が増える、だから直線距離にすると長さが伸びるし空気抵抗による減速も大きくなるっちゅうに」
「後続機は前の動きを見て短縮ルートが取れる訳じゃん」
「お前がそれを出来なかったのは、急降下した速度のまま地形飛行されて、ビビって降下出来なかったせいだろ」
「先輩もね」
「俺はお前を褒めてやるよ。あのまま突っ込んでたら確実に地面とキスして今度こそ細切れになる所だった、正しい判断を下した」
機体特性がろくに掴めてないまま低空飛行するのはほとんど自殺行為であった。つまりこれは最初から成功する見込みの無い訓練である。
走り終えるとゴール地点で隊長が待っている。
「マーティン、お前人間相手には冷静で居られるのな、それとも訓練で命を掛けるほどの価値は無いないと?それとヨーゼフ、少しは経験差の威厳を見せつけろ」
僕はこの言葉が昨日、赤い巨竜相手に無茶をやった事の意趣返しだと理解した。
「すみません、僕がまだ未熟なせいです。次は絶対に離れません」
「こんなのはお遊びだ、さっき通ったルートを時間内でクリア出来るよう繰り返せ」
「どっちが先に達成出来るか試そうぜマーティン」
この単純な反復練習を丸一日行った、課題がクリア出来る頃にはだいぶ機体に対する理解力も深まった事を実感する。因みに対決はヨーゼフに10分先で合格された。
訓練の疲れでロッカー室で項垂れていると、カーリーが入って来た。
「おうなんだ、もうへばってるのか」
「ああカーリー、お疲れ」
「俺は駆逐分隊長殿だぞ?全く単独で雑魚狩り何かやらせやがって」
「へえ、もう人員補填されたんだ」
僕は昨日聞いた話を思い出した。
「前から話は付けてたからな、銃座をバカスカ撃ちまくって75mmの出番は無しさ、多分戦争中の一週間分の弾薬消費量だったなあれ」
この基地の補給状況は随分改善されたようである。




