第79話 風神ヴァーユ
シルフの突風が吹き荒れたあと、
ガーゴイルたちの空中編隊は完全に乱れた。
一行の混乱にも、
ようやくひと呼吸つけるだけの余裕が生まれる。
それぞれが、
勝利への道筋を必死で探り始めた。
「アタシね、
あんたたちを落とす手なんて、
一つだけじゃないんだよ。」
チェラーレは混乱に乗じて
腰から絞殺用ロープを引き抜いた。
そして思い切りよく、
カシヤをしつこくつけ狙っていた
ガーゴイルの背中へと飛び乗ると、
その大きな翼にロープの輪を引っかける。
ぐい、と腕に力を込めて一気に締め上げると、
ガーゴイルはもがき怒号しながら羽ばたこうとするが、
翼はきつく縛られたままだ。
チェラーレはその背を蹴って
自分のペガサスへ跳び戻り、
ガーゴイルは爪を振り回し悲鳴を上げながら、
大地へ向かって真っ逆さまに落ちていった。
「た、助かったよ!」
カシヤはまだ顔を引きつらせたまま、
チェラーレを見つめる。
「これはお礼。
あんたも一緒にシミ――シミリスを連れ戻してくれたから……」
「違うよ!」
「?」
チェラーレはきょとんと目を瞬かせる。
「だって、
私たち友達でしょ?」
カシヤはぺろっと舌を出してみせる。
デレオとアレカは思わず笑い出した。
「チェラーレ、
その手いいな! オレも真似する!」
デレオは、
以前チェラーレを倒したときに習得したスキルを発動する。
『大量生産:漁具——漁網』
新しい家を大掃除したとき、
アレカは廃棄された織物をどっさり飲み込んでいた。
漁網の素材なら、
いくらでもある。
「へへっ!
武器が通じないなら、
地球の方から落ちてもらえばいい!
オレの万有引力アタックを味わえ!」
コツを掴んだデレオは遠慮なく投げまくる。
空一面に漁網が舞い、
ガーゴイルが雨のように落ちていく。
何体ものガーゴイルが網に絡め取られ、
翼を広げることもできず、
真っ逆さまに墜落する。
下の畑やあぜ道の脇は、
落下してきた石の破片だらけになった。
アペスはその好機を逃さず、
危険な空域を縫うようにペガサスを操り、
カシヤのもとへと一気に道をこじ開ける。
「暴力ってのが何か、
知ってる?」
アペスの瞳には、
炎のような怒りが燃えていた。
「暴力ってのはね、
あんたたちがどれだけ硬くても、
殴り砕くってことだよ!」
「頂輪開放!」
アペスの頭上に、
ぼんやりと紫光の輪が浮かび上がる。
全身の筋肉に力が満ちあふれ、
数多のガーゴイルの間を飛び回りながら、
一体砕いては次の一体の背へと飛び移っていく。
『スピリッツオーケストラ:聖楽!』
ようやく体勢を立て直したカシヤは、
深く息を吸い込み、
十数体の音楽スピリッツを呼び出しながら、
ウクレレの弦を指先で弾いた。
聖なる楽曲が彼女の掌から溢れ出し、
朝の光のように戦場へと降り注ぐ。
その旋律には、
しなやかな強さと希望が込められており、
仲間たちの生命力を呼び戻し、
戦意を高めていく。
傷ついたペガサスでさえも、
ひとたびその音を浴びると、
ぐっと元気を取り戻し、
裂けた傷口もじわじわとふさがり始めた。
ちょうどそのとき、
下方に一筋の黒い影が現れる。
アビスウズの双眸は深紅へと染まり、
その身は黒炎と魔紋に包まれていく。
悪魔化した気配が、
嵐のごとき圧力となって吹き上がった。
「よくもまあ……
ここまでお姉さんをボロボロにしてくれたわねぇ!」
彼女は翼を大きくはためかせ、
再び空へ舞い戻る。
その姿だけで、
あたりの空気がぴんと張りつめた。
『完全悪魔化!』
牙、角、翼、爪──
鱗、たてがみ、鉄の蹄。
冷艶な美女だったアビスウズの肢体から、
ひとつひとつ、
人間ではない特徴がねじれるように生え出していく。
もはや今のアビスウズは、
人の姿をほとんど留めていなかった。
悪魔の大きな爪へと変わった両手で、
彼女は最も近くにいるガーゴイルへと飛びかかり、
容赦なく引き裂いていく。
戦況がいよいよこちらに傾きかけたそのとき、
アレカが遠方の空を指さした。
「うわぁ……
あれだけの数、どうするつもり?」
古代宇宙船遺跡の方角から、
雲のように広がる敵影が、
空を覆い尽くす勢いで迫ってくる。
「こんなの、
どう考えても相手しきれないよ! 多すぎ!」
カシヤが不安げに声を上げる。
「首都の方へ一直線だ!
急げ、ついてこい!」
デレオには、
まだ一縷の望みが残されているとわかっていた。
一行はペガサスの腹を蹴り、
首都めがけて一気に飛行速度を上げる。
だが、
空の大軍勢もすぐさま追いすがってくる。
「ここは私が食い止める!」
シミリスは魔力をかき集めると、
魔法のエグゼキューターへの祈りをすっ飛ばし、
いきなり格の違う神霊を呼び出した。
「真諦界に座すあなたに呼びかけます。
生命の息吹を、この身に──風神ヴァーユ!」
旗を掲げた白髭の老人が、
威風堂々たる様子でガゼルの戦車を駆り、
嵐の中にその姿を現す。
ヴァーユは手にした軍旗を高々と掲げ、
口ずさむように古代の梵歌を吟じ始めた。
暴風はその意思に従って天を駆けめぐり、
ガゼルの戦車は雲の層を風のように疾走する。
旗が大きく振るわれるたび、
無数の疾風は刃と化し、
咆哮を上げながら敵陣の隙間を駆け抜けた。
ヴァーユの風旗がガーゴイルの群れをかすめると、
岩のように硬い肉体はたちまち削り取られ、
粉々の砂になって四散する!
ヴァーユはただの召喚獣ではない。
格が一段も二段も違う、
極めて高位の神霊だ。
その一撃を呼び出しただけで、
シミリスの方が先に限界を迎えてしまう。
「うっ……
この辺りには、
魔力を補ってくれる塔主がいないんだった……」
彼女はぐったりと鞍の上に倒れ込み、
ヴァーユの一撃で敵の大半は吹き飛ばされたものの、
後方からはなおも新手が次々と押し寄せてくる。
「ここで倒れないでよ!
ボクたち、
まだシミリスのペガサスの上なんだから!」
アレカは必死に声を張り上げる。
「もう少しだ!」
デレオが皆を鼓舞する。
首都の城壁と防空砲台が、
もう目と鼻の先に見えていた。
「きゃっ!」
カシヤの聖楽が途切れる。
一体のガーゴイルが、
彼女のペガサスの尻尾を掴んでいたのだ。
ほとんど手を伸ばせば届きそうな距離に、
首都の対空砲台が見える。
砲身がゆっくりとこちらへ向けられていくのがわかった。
「まだ諦めない!」
デレオは最後の一枚の網を投げつける。
それでかろうじてカシヤの危機は救われたが、
次の一体がデレオに襲いかかってきたときには、
もう誰も彼を助ける余裕がなかった。
ドンッ!
ガーゴイルで爆発が起こりました。
「いやぁ、
さすが義弟候補だな!
こんな盛大なダンスパーティを引き連れてきてくれるとは!」
首都の外れ、
防空塔の上に立つマスクルスが、
一行の背後にたなびく敵の大群を見上げて、
実に楽しそうに笑っていた。




