第62話 えげつない差だな⋯⋯あんたたち、まさか詐欺集団じゃないだろうね?
イントロドゥクが
契約書の最後の印を押したとき、
デレオはようやく――
これから自分たちの生活が
根こそぎ変わるのだと、
はっきり実感した。
六千万クレジット。
三カ月前まで家賃の支払いに
頭を抱えていた彼にとっては、
まさに絵空事みたいな金額だ。
だが、
それ以上に大きいのは――
今日から、
彼はもう「ひとり」じゃない、
という事実だった。
事務所の奥から、
大きな歓声が上がる。
「ついに売れたぞ!」
「やっとだー!」
社員たちは興奮して互いに
ハイタッチを交わし、
何人かの若いスタッフは
シャンパンまで開けている。
どうやら、この取引は
事務所にとっても
一大イベントだったらしい。
イントロドゥクはというと、
顔に噴霧器で水を吹きかけながら、
みんなに軽く会釈していた。
長年肩に乗っていた重しが、
ようやく降りたような顔だ。
デレオは情報端末を取り出し、
金融サービスアプリにログインする。
見慣れない桁の数字が、
ぽん、ぽん、と口座に流れ込んでいくのを、
何度も確認した。
振込音が鳴るたびに、
画面には通知が弾む。
デレオ、カシヤ、アペス――
それぞれの口座に、
二千万クレジットが振り込まれた。
足元から、
じわりと現実感が込み上げてくる。
……これなら、本当に
「食っちゃ寝してぐうたら生きてく」
みたいな生活も、夢じゃないのかもな。
大航海時代の捕鯨船みたいに、
一度の航海で一生分稼いで、
あとは遊んで暮らす。
そんなあり得ない話が、
今まさに現実になっているのだ。
一行が路地へと曲がったところで、
ついにチェラーレが爆発した。
「アンタら、
なんでそんなにノーテンキなのよ!」
チェラーレは
不満いっぱいの顔で眉間に皺を寄せ、
機関銃みたいな勢いで
不平をぶちまけ始める。
「私がついてこなかったら、
ガッツリ足元見られて終わりだったのよ?
一往復で二千万クレジットの差よ、
二千万!
わかってる?
同じ条件の家をあと四、五軒は買えるの!
家中の家具を全部新品に入れ替えて、
それでも装備を何段階も
グレードアップできるくらいの額なんだからね!」
両腕を組み、
テラコッタの歩道レンガの上を
行ったり来たり踏み鳴らしながら、
ときどき皆を
ギロリと睨みつける。
「それに、アビス姉!」
チェラーレは
じろりとアビスウズを見る。
「あの二人の貴族坊ちゃん坊ちゃんが
世間知らずなのは百歩譲ってわかるけど、
なんでアンタまで
見事なカモ面下げてるわけ?」
アビスウズは気まずそうに、
指先で自分の髪先を
くるくるいじった。
「だって、
紹介してくれたのはチェラでしょ?
チェラが連れてくる相手なら、
あんまり口出ししないほうがいいかな~って
思って。」
チェラーレは
まだ収まらない。
「ふん。
私がイントロドゥクを紹介したのは、
“信頼してるから”じゃなくて、
“あいつがこういう話を
ちゃんと聞くヤツだから”よ。」
そう言うや否や、
彼女の手のひらには
いつの間にか銀色の小さなダガーが一振り。
陽にきらりと
刃が光る。
テーブルの上で勝ったのは、
道徳でも知恵でもなく、
度胸と腕っぷしだ――
と、静かに
全員に思い出させる仕草だった。
「でもさ、チェラ……」
カシヤが
そっと口を開く。
少し甘えるような、
柔らかい声色だ。
カシヤに「チェラ」とあだ名で呼ばれて、
チェラーレは
一瞬きょとんとする。
頬がじわりと赤くなり、
口元が自然と
ゆるんだ。
「もしアビス姐が
先に口を出してたら、
さっきの、
チェラのカッコいい値切りシーン、
私たち見られなかったんだよ?」
カシヤはそう言って、
いたずらっぽく
ウインクする。
「べ、べつに……
感謝されたいとか思ってないし。」
チェラーレはぷいと横を向き、
腕を組み直す。
それでも、
カシヤのほうを
こっそりチラ見してしまうのは
やめられない。
「ホント、
素直じゃないんだから。」
アペスは肩をすくめ、
からかうように笑った。
「でも、これで
堂々と一緒に住める
大義名分ができたわね。
あのカエルを
ねじ伏せてくれなかったら、
あのクソ仲介商の言い値で
丸め込まれてたんだからさ。」
「うんうん。
三千万クレジット多く取れたのは、
完全にチェラの手柄だよ。
この家の功労者ナンバーワンは
チェラだと思う。」
カシヤはそう言って、
そっとチェラーレの手を取る。
チェラーレは何も言わないが、
その瞳にはわずかな得意と満足の色が宿り、
カシヤの手も振り払わない。
「でも、
本当の功労者はシミリスなんだけどね。」
アビスウズが思い出したように言うと、
服の中から
くしゃっと折れ曲がった不動産広告を一枚、
取り出した。
満面の笑みを浮かべ、
皆に差し出す。
「これ、さっき私が買った家の
チラシでしょ?」
デレオは顔を近づけ、
記載された住所に見覚えがあるのに気づく。
「そうそう。
チェラがさっきダガーで突き刺した、
あの広告。
右上の元値、よく見て?」
アビスウズが指さす先には、
赤い文字で大きく――
「……1億7千万?」
デレオは思わず叫び、
手の中のチラシを握りつぶしそうになる。
チェラーレはその差額をちらりと見て、
ため息をついた。
「はぁ……
天災さまさまってやつね……。」
「アンタたちさぁ……」
アペスは両手を広げてみせ、
呆れたように言う。
「詐欺集団かなんかじゃ
ないでしょうね?」
――とぼやきながらも、
その声にはどこか、
仲間に対する親しみが滲んでいた。




