地震のパンデモニウム――新生のマントル火靈と楽師
これは本編とは無関係な物語である。
ノープロット・クエスト開始。
楽師カシヤは
『パンデモニウム』の啓示を受けた。
地獄の群魔と諸天の神々が、
マモンの招待状を受け取る。
カグツチは回禄をなだめ、
アグニとヘファイストスは
祝融の両腕を掴んで制止している。
この二神、
どうやら自分たちが
先に一戦交えたいらしい。
非人類の存在たちは事件地平線の外側に集まり、
この「表には出ない光と影」を観測していた。
『闘争関数、入力』
f(楽師カシヤ、マントル火靈):D(正断層上の魔導発電所)=?
解を求めよ。
魔導発電所はそう遠くない。
首都の繁華街から直線距離でわずか30キロ。
校外学習にはうってつけの場所だ。
首都の市長は
魔導発電所の建設を強力に推進していた。
市民の考えを教化するため、
多額の経費を投じて政策宣伝を行っている。
彼には彼の思惑があるが、
市民の多くは
「魔力の暴走」を危惧していた。
もし、どこかの狂人が
魔導発電所に爆弾を投げ込めば、
首都圏の住民は一瞬で魔物化してしまう。
「市民の皆さんはご安心を。
我が魔導発電所は
世界最高水準の安全策を講じています」
「たとえ誰かが
核爆フレアを撃ち込んだとしても……」
市長が胸を叩いて保証した翌日、
全市民の情報端末に災害警報が鳴り響いた。
【火山・津波・地震速報】
03/22 09:15頃、
首都北東近海で顕著な有感地震が発生。
強い揺れに備え、
身の安全を確保してください。気象局。
首都北東――
それこそが魔導発電所の所在地だった。
発電所の格納容器には、
この地震によって微細な亀裂が生じた。
ワイドショーは何日も議論を重ね、
ニュースの見出しは
毎日この話題で持ち切りだ。
専門家たちは
こぞって魔導発電所に注目していた。
だが、カシヤだけは、
意外な「声なき啓示」を受け取っていた。
『北東地区、正断層の地下5キロ。
怒れるマントル火靈がいる。
奴はそこに居てはならない存在だ』
彼女はそのことを教授に伝えたが、
老学者たちは皆、呆れて言葉もなかった。
「マントル火靈?
そんなもの聞いたこともないな」
「もし本当に見つけたら、
魔導学院の終身名誉賞ものだよ」
老教授は慈しむように笑った。
「終身名誉賞なんていりません!
それに、もし本当にいたら
首都は大変なことになるんです……!」
誰も彼女の言葉を真に受けなかった。
カシヤはスコラリス家の令嬢とはいえ、
学術界ではまだ大学に
入ったばかりの新入生に過ぎない。
発言権など皆無に等しかった。
こんなことは
忘れてしまうべきなのかもしれない。
けれど、地震と、
あの「声なき啓示」が頭を離れない。
もし、本当に地殻を
動かすほど強力な精靈がいるのだとしたら。
学界の笑いものになろうと、
現場へ行って確かめなければならない。
学術界の支援がなくても構わない。
幸い、
おじい様の伝脈ならいくらでもある。
奇妙なことに、
デレオもアペスも捕まらなかった。
まるで悪魔に
異次元へ連れ去られたかのようだ。
彼女はたった一人で
首都北東の岬へと向かった。
漁港の岸辺で、彼女は静かに耳を澄ませる。
専門家の助けはない。
頼れるのは自分の能力だけ。
『聴力強化』
能力の補正があっても、
地下5キロの音を聞くなんて土台無理な話だ。
「クリシュナ……助けて。
首都の数千万の市民を助けて……」
『今回の件は奴の管轄外だが、
我らが力を貸そう』
五柱の火神たちが、
彼女の魂の中で一斉に囁いた。
カシヤは無意識に向きを変え、
魔導発電所を凝視する。
視線に合わせて、聴覚が一点に集中した。
聞こえた。
遥か地底から、銀鈴のような笑い声が。
ヘファイストスが言った。
『あれは火山の娘――ペレだ』
祝融が言う。
『彼女が産まれる。
だが、
人間どもがガイアの産道に
酷いものを詰め込みおった』
「……それが、
難産の原因になるんですか?」
回禄が笑う。
『難産?
お嬢さん、
この時代の人間を過大評価しすぎだ』
カグツチが己の身の上を思い出す。
『問題は、
産声を上げる彼女を
止められる者が誰もいないことだ』
アグニが脅すように付け加える。
『あの魔導発電所を爆破して産まれてくれば、
どうなるか分かっているな?』
『我らは本来、
もっと安全な「産室」を用意していたのだ』
ヘファイストスがカシヤの意識をある海域へと導く。
『だが、
彼女はどうやら早産してしまいそうだ』
カグツチが悲しげな声を出す。
『人間に興味を持ちすぎたのだな!』
祝融が嘆く。
「もし、彼女がまだ赤ちゃんなら……
もしかしたら……」
カシヤは方法を思いついたようだ。
『やってみるがいい。
足りぬ力は我らが貸そう』
回禄が保証する。
『ただし、
凡人の事は凡人の手で解決せねばならぬ』
アグニが、
神々が直接手を出せない理由を告げた。
カシヤは魔導発電所へと歩を進めた。
格納容器の亀裂を遠くから見つめる。
計測器などなくても分かる。
漏れ出した魔力の放射は、
人間性を侵食する毒に満ちていた。
「防護装備なしで入れば、
間違いなく魔物化する……」
『中に入る必要はない』
火神たちがカシヤの楽器に力を流し込む。
『奏でよ。
今、
お前の紡ぐ音色は地底の深淵まで届く』
「はい!」
『スピリッツバンド――ララバイ』
カシヤがウクレレの弦を弾く。
彼女の周りに四人のスピリッツが飛び出した。
一人はハープを奏で、
流水のごとき調べを。
一人はオカリナを吹き、
赤子を撫でる風のごとく。
一人はシェイカーを振り、
規則正しい波音のごとく。
一人はチェロを弾き、
心に夜の帳を下ろす。
「小さなお嬢さん、
静かに、おやすみなさい……」
カシヤは母親のように、
優しく安らぎの旋律を歌った。
『ねえ、あなた、面白い!』
マントルの深層で、
新生の火霊がさらに昂ぶった。
しまった。
子供をあやした経験のない
彼女は知らなかったのだ。
時には、
あやせばあやすほど逆効果になることもあるということを。
マントル火靈が急速に上昇を始める。
大地が激しく揺れた。
『逃げろ!』
火神たちが一斉に警告を発する。
魔導発電所の格納容器が、
さらに大きく裂けた。
カシヤは即座に演奏を止めた。
火神の指示に従い、
海岸の岬へと走る。
走りながら、
おじい様のコネを使い連絡を入れる。
テトラポッドの陰に、
沿岸警備隊の船が待機していた。
大地の振動が彼女の背後を追いかけてくる。
少女は海へと飛び込み、必死に泳いだ。
船に引き上げられると、
火神たちが指定した海域へと
全速力で舵を切らせる。
大地の震動は海鳴りへと変わり、
警備艇を押し流していく。
逆巻く荒波が巨体を翻弄する。
船は数階建てのビルほども高く放り上げられ、
次の瞬間、
数十メートル下の海面へと叩きつけられた。
「このまま火霊の好きにさせたら、
この船ごと遭難しちゃう……!」
カシヤは再びララバイを奏でた。
今度は火霊も大人しくなった。
長い間子守唄を聞かされ、
ようやく落ち着きを取り戻したらしい。
「ふぅ……」
船中の人間が安堵のため息を漏らす。
ついに目的地――
中央海嶺の真上に到達した。
「いい子ね、
ここでなら安心して産まれていいわよ」
『やだ!』
「えっ? なんで?」
『疲れちゃった。
さっきの歌、もう一回やって!』
「……いいけど。
いつまで寝るつもり?」
『わかんない。100年くらい?』
「そうね、
少なくとも100年はあの発電所に手を出さないでいてくれるなら……」
『ちょっと!
音楽を止めないでよ!』
「でも、私も疲れるのよ!」
『じゃあ帰る。』
「どこへ?」
『私が産まれるはずだった場所へ。』
「ダメよ!
ここで産まれなきゃダメなの!」
『やだもん!
予定と違うもん! うわぁぁぁん!』
火霊がマントルの中で地団駄を踏み始めた。
船はもはや限界だった。
そして、
カシヤの堪忍袋の緒も、限界を迎えた。
彼女は本来、忍耐強い女性だ。
だが同時に、
彼女は
「氷山に覆われた活火山」でもあった。
「起きなさい! 今! ここで!」
彼女はウクレレを放り捨て、
重低音スピーカーを
接続したエレキギターを掻き鳴らした。
『スピリッツオーケストラ――
崩壊の楽章!』
呼び出された数百のスピリッツたちが、
戦太鼓を打ち鳴らし、巨大な銅鑼を叩く。
ホルン、トランペット、
バグパイプ、チャルメラ――
あらゆる高デシベルの楽器が、
騒音を撒き散らす。
百二十三柱の音楽スピリッツが、
海と空をかき回した。
カシヤは怒りのあまり、
髪を逆立たせて叫ぶ。
『ぎゃああああ! やめて!
分かった、分かったから!』
火山の娘ペレが爆発した。
大海が隆起し、火柱が上がる。
黒煙と蒸気が天を突き刺した。
真っ赤な溶岩が海面を転がり、
冷え、固まり、黒ずんでいく。
巨大な玄武岩のプラットフォームが、
大海原に形成された。
爆発、爆発、また爆発。
火山は止まることなく隆起し、
噴火を続ける。
『私、産まれたぁ!』
ペレの苛立ちは、
一転して歓喜へと変わった。
目の前に誕生した新しい島を見つめ、
カシヤの疲れも怒りも消えていった。
『ねえ、取り上げてもらったお礼に、
この島を
あなたの花でいっぱいにしてあげる』
「私の、花?」
『どんな花が好き?』
「ど、おじい様が付けてくれた名前は、
古語で『シナモン』を意味するんです」
『わかった。
いつかこの島に、
薫り高いシナモンの森を作ってあげるね』
ペレは満足げに笑った。
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『ふぅ、魔導発電所は守られたか』
マモンが冷や汗を拭った。
『なんだ、
貴公もあそこに株でも持っていたのか?』
ヘファイストスが笑いかける。
『それどころじゃない。
首都全体が私の投資対象だ。
あそこを爆破されては困るのだよ、
……たぶんね』
マモンは、
どこか確信の持てない様子でそう呟いた。
閣下、今夜の喧騒を存分に楽しんだあとは、どうかゆっくりお休みください。
明日、また一緒に――
力に溺れてしまったあの二人の仲間を、叩き起こしに行きましょう。




