第37話 消去法で考えれば⋯⋯
それはさすがに、
デレオに「遠くへ逃げる」
という選択肢を与えてはくれなかった。
チェラーレが生きていると知ることと、
彼女が穏やかに、
安心して生きていけるかどうかは、
まったく別の話だ。
「いまここで教えてくれるなら、
もちろん感謝するよ。
教えてくれないなら……」
マスクルスは、
エサに食いつく魚を待つ顔をして、
わくわくしながら続きを待つ。
「はぁ……まぁいいや。
どうせあんたたちも
捕まえられてないんだし。
運が良ければ、
明日あたり本人が
直接教えに来てくれるかもね。」
デレオは、
わざと“反応の鈍い男”を演じることにした。
チェラーレという女は、
それほどまでに複雑だ。
それは、
彼があの双子姉妹から逃げ出したいと思う、
潜在的な理由のひとつでもある。
彼はもうこれ以上、
あまり深く関わりたくなかった。
マスクルスの方は、
この展開は予想外だった。
魚はしっかりエサを
二口も三口もかじったのに、
針にかからないまま、
するりと逃げてしまったような気分だ。
「お前ってやつは!
チェラーレに、
誰が手を貸しているか、
知りたくないのか!?」
マスクルスは思わず声を荒げる。
デレオは、
いかにもお人好しそうに笑ってみせる。
心の中では、
協力者候補のリストをずらりと並べていた。
メジェド教団に一度顔を出して、
いつもシーツを
まとってふらふら歩き回っている
神官たちに聞いてみるべきか。
あるいは、
ノールールマーケットのあの行商人やならず者たちかもしれない。
冒険者ギルドに巣くうゴロツキ共……
という線も、ゼロではない。
「そっか……
やっぱり後ろ盾がいるんだ。
あの、シーツも洗わないくせに
偉そうな老神官たち、
まだチェラーレをかばってるんだな!」
デレオは、
親にえこひいきされた子どものような口調で、悔しそうに言う。
「ん?
メジェド教会は逆光とつながっている、
ってことか?」
マスクルスは、
新しい情報を手に入れたような顔になり、
心の中のメモ帳にしっかり書き込んだ。
『これでひとつ、候補が消えたな。』
デレオは密かにほくそ笑む。
「まぁ、“つながってる”って言っていいのかどうか……。
俺もチェラーレも“メジェドの子ども”でさ、教団に育てられたんだ。
あの人たち、俺たちのこと、
いろいろ面倒みてくれたし。
──冒険者ギルドみたいに、
労働力を搾るだけってわけでもないしね。」
「お!逆光って、
登録済みの冒険者だったのか?
俺たちの資料には何も載ってないが?」
マスクルスは、
いまの会話だけで大きな収穫を得た気分になっていた。
「本名で登録するわけないでしょ。」
デレオは、
「常識ないなぁ」とでも言いたげな顔をする。
『はい、またひとつ候補削除。』
おそらく、
彼女を助けているのは
ノールールマーケット周辺の連中だろう。
マスクルスについては、
それほど心配いらないとデレオは分かっていた。
餌を撒いた後の彼は、
浮標が沈むのを血眼になって見守りすぎているのだ。
範囲はずいぶん絞れたが、
あそこはとにかく広く、
人の出入りも激しい市場だ。
やれやれ、あとでデレオは、
かなりの時間をかけて
調査する羽目になるかもしれない。
そう思うと、
つい真面目に考え込んでしまう。
マスクルスは、
そんなデレオの表情を見て
……はっと悟った。
目の前のこの若造は、
エサに食いつくかどうかどころか、
エサそのものをくすねていきやがったのだ。
それどころか、
くすねたエサを細かく砕いて、
逆にバラ撒いてきた。
さっきまで
エサを咥えて振り回されていたのは、
自分の方だったのだ。
こいつは……
ただ「味方にしたい」で済む相手じゃない。
マスクルスの胸の奥で、
狼のような欲がむくむくと頭をもたげる。
「利用できる男」では終わらせたくない。
「信頼できる身内」
にまで引き込まなければ、もったいない。
「アペス!」
マスクルスは突然、窓枠に片手をつき、
ドアの方を鋭い目で見据えた。
「兄さん?」
アペスは一瞬きょとんとしたが、
すぐにベッドから降りる。
「こいつを逃がすな。」
マスクルスは、
笑いをこらえているのがバレバレなくらい、
わざと低い声を作る。
ベッドの反対側へ回り込み、
獲物を追い詰めるように、
じっとデレオを見据えた。
「ど、どういう意味ですか?」
カシヤが眉をひそめ、
さっと一歩前に出て、
デレオとマスクルスの間に立つ。
さっきまで和やかだった空気が、
なぜ急にこんな物騒な雰囲気に?
「俺はこの若者が気に入った。
オペイランイェ家の家系図に、
こいつの名前を書き加える!」
マスクルスは、
してやったりと満面の笑みを浮かべた。
「ダメ!」「やだ!」
カシヤは怒ってマスクルスを蹴った。
アペスは全力で拳を握りしめ、
兄の胸板めがけて一撃を叩き込む。
「この威力……。よし、
明日の朝には退院できそうだな、妹よ。」
マスクルスは、
痛みをこらえつつ胸をさすり、
無理やり笑顔を保つ。
カシヤはベッドのそばへ行き、
アペスの背中を優しく撫でた。
「よかったね。
これで、三人でいろいろ──」
アレカが、つん、とカシヤの足を押した。
カシヤは笑いながら言い直す。
「ううん、四人で一緒に遊びに行けるね。」
「いいわね。明日の朝、一緒に。
どこか行きたいところ、ある?」
アペスの声には、
はっきりと期待がにじんでいた。




