第34話 愛なんて言葉で私を閉じ込めないで、もう。いい?
チェラーレはよろめきながら
もなんとか体勢を立て直し、
その瞳にかすかな賞賛の色を浮かべた。
「強くなったな。
まさか、こんな手を使うなんて……
でも……デレオ……」
周囲の住人たちがざわめき始め、
路地の向こうから、
人々があわただしく
動く気配が伝わってくる。
この辺りで他人を
助けるような物好きはほとんどいない――
デレオは荒い息を吐き、
心臓が太鼓のように
鳴り響くのを感じながら、
これで本当に彼女の支配から
抜け出せたのかどうかも分からずにいた。
アレカは警戒するように
デレオのそばにぴたりと張りつき、
その前方へと視界が再び開けていく。
「別に、
もう君たちのことを
嫌いになったわけじゃない。
二人とも、
俺にとってはずっと“姉妹”みたいな存在だ。
ただ……少しだけ、
俺にスペースをくれないか?」
デレオの声にもかすかな弱さが滲む。
この自制不能の呪詛は、
すでに彼の精神力を
あまりにも削り取っていた。
チェラーレは、
もはやデレオを
縛りつけておけないことを悟り、
声音を懇願する調子に変える。
「せめて……せめて、どこかで一度だけ、
あの子のところに戻ってあげて。
あの子はずっと、
あんたのことを想ってる。
どこにいるか、
あんたは分かってるでしょう……」
デレオは
蒼白になったチェラーレの顔を見つめ、
八歳の頃の
シミリスの無垢な瞳を思い出した。
「俺だって、会いたいさ。」
その声は少し掠れていた。
「でも、あの子の顔を見るたびに、
あの約束のことを思い出して……
彼女に、
間違った希望を与えるのが怖いんだ。」
「あんたがいなきゃ、
あの子は戻ってこれない。
お願いだから……」
チェラーレの意識は徐々に、
自分のものではなくなっていく。
カシヤはそっとデレオの手を握った。
「たぶん……
会ったからって、
あの約束の話をしなくてもいいと思うの。」
「ただ、会いたかったって、
それだけ伝えればいいんじゃないかな。」
「それが俺の責任だってことは分かってる。いつか必ず、会いに行く。」
デレオは大きく息を吸い込んだ。
「でも今度は、ちゃんと話をする。
縛られている側としてじゃなくて……
一人の友だちとして。」
「だから、愛なんて言葉で私を閉じ込めないで、もう。いい?」
遠くの方から、
警備隊の先導ベルの音が
かすかに響いてくる。
チェラーレの身体がふらりと揺れ、
その意識はついに支えきれなくなり、
魂を抜かれた人形のように、
音もなく地面へと崩れ落ちた。
――自制不能の呪詛。
自我と超自我をまとめて眠らせ、
その代わりにイドを呼び起こす。
もう彼女の心は、彼女自身のものではない。
けれど、
その心がこれからどこへ向かうのか
――誰にも分からない。
もし、
彼女の内側の心と外に見せている顔が、
最初から完全に一致していたのなら。
それはきっと
「制御不能」なんて呼ぶまでもない
状態だったのかもしれない。
デレオは
もう一度だけチェラーレを振り返った。
彼女の長い髪が、
その蒼白な横顔を覆い隠し、
かすかな
呼吸だけが夜の闇に合わせて上下している。
それを見て、
デレオはようやく少しだけ安心した。
――生きてさえいれば、
彼女はきっと、
誰よりもしぶとく生き残る。
このわずかな隙を逃さず、
デレオはカシヤに小さくうなずいてみせた。
カシヤもすぐに、その意図を理解する。
チェラーレは死なない。
ここは「ノールールマーケット」だ。
彼女と取り引きをしたがる者の方が、
その命を狙う者よりも、ずっと多い。
デレオはパンパンと手を叩いて
アレカを呼び、
チェラーレの身体を大きく迂回して、
小さな路地を一気に駆け抜ける。
金属蒸気の残り香を含んだ夜風が吹き抜け、
落ち着きかけた心臓をまた激しく揺さぶった。
カシヤはデレオの手をぎゅっと握りしめ、
道中ひと言も発しない。
アレカだけが、
ときどき振り返って後ろを気にしていた。
薄暗い街灯に照らされた
路地を抜けていくと、
ようやく見慣れた自宅のドアが見えてくる。
デレオは震える指先で鍵を取り出し、
どうにか鍵穴に差し込んで扉を開けた。
靴を片方蹴り飛ばすように脱ぎ捨て、
そのまま三人で
玄関脇の靴箱の前にへたり込む。
家に戻ってきたとたん、
デレオは力が抜けたように床に座り込み、
全身から気力が抜け落ちていくのを感じた。
カシヤはまだ彼の手を握ったまま、
小さな声で問いかける。
「さっきの人……チェラーレって、
あなたにとって、
とても大事な人なんだよね?」
デレオは目を閉じ、掠れた声で答えた。
「大事だよ。
大事すぎてさ……もう一度失うのが、
怖いんだ。」
彼は両手で顔を覆った。
「なのに、俺はあいつにあんな呪いを――」
そのとき、外の階段を、
何かがずるりと引きずられるような
足音が通り過ぎた。
ひどく傷を負った者の歩き方だ。
階段の踊り場あたりで足音が止まり、
しばらくの間、
誰かがそこで迷っている気配だけが続く。
ドアを叩こうかどうか、迷っているように。
三人は息を詰め、
アレカは警戒した目で玄関の方をにらみつける。
やがて、
その足音はゆっくりと遠ざかっていった。
だがデレオには分かっていた。
――これは終わりなんかじゃない。




