第23話 鉄巣蜂の群れ——この女、正直ヤバすぎる
「アペス、
そこからすぐ離れて!
あいつらと戦っちゃダメだ!」
蜂の群れの羽音が
どんどん大きくなるにつれて、
デレオの心拍も速くなる。
「言うのは簡単だけどさ、
こいつらスズメバチ、
あたしより速く飛ぶんだけど!?」
遺跡に入ってから、
アペスが「逃げ」に回るところを
デレオが見るのは初めてだった。
「あれはスズメバチじゃない、
『鉄巣蜂』だ。
もうすぐ群れごと押し寄せてくるぞ。」
鉄巣蜂は、放棄された工場跡地に
巣を作るのが大好きだ。
なぜなら、
そこには連中が巣作りの素材として
一番好む金属が山ほどあるからだ。
やつらは機械じゃない。
機械の天敵だ。
鉄巣蜂にとって、
機械兵なんて「歩く巣材」にすぎない。
冒険者は、
鉄巣蜂が大っ嫌いである。
厄介なうえに、
経験値は少ないし、
ドロップ品もロクなものがないからだ。
「とにかく上がってこい!」
アペスは身軽に跳躍し、
デレオの横へ着地した。
一匹、二匹、三匹……
鉄巣蜂が穴から次々と這い出し、
追いすがってくる。
アペスの拳と蹴りは風のように鋭く、
鉄巣蜂を一匹ずつ叩き落としては踏み潰す。
だが、
そのたびに、
さらに多くの鉄巣蜂が湧いて出てきた。
「ほんっと弱いね、でもキリがないよ!」
「もう踏み潰すのやめろ、
倒せば倒すほど危ない!」
「そう言われてもさ!」
アペスは自分の肩に
とまった一匹をつかみ取り、
そのまま握り潰した。
ブシュッ、
と酸っぱい匂いの体液が爆ぜ、
褐色の汁がアペスの純白の僧衣に飛び散る。
まだ死にきれていない下半身の尾針が、
ピクピクと痙攣しながら
最後まで刺そうともがいていた。
「まずいな……
もう鉄巣蜂から逃げ切るのは不可能だ。」
デレオの脳裏に、
一瞬だけ
「アペスを切り捨てる」
選択肢が
よぎる。
足にも、服にも、腕にも、
鉄巣蜂の体液がベッタリだ。
「その体液からは、
強烈な“攻撃フェロモン”が出てる。」
デレオは激しく首を振り、
その選択を追い出した。
自分は現実主義だと自負しているが、
人としての線だけは踏み越えたくない。
さらに多くの鉄巣蜂が、
彼らめがけて飛来してくる。
アペスは、
打って、打って、打って、打って——打って!
打ち続ける――。
だがこれは、
じゃんけんで
言うところの「グー vs パー」だった。
石は、紙には勝てない。
アペス
は桁外れのパワーと
卓越した武術を持っている。
本気を出せば、
悪魔化した狼男を一撃で昇天させられるし、
闘技場では素手で
鎮圧用タンク機兵を分解したこともある。
だが
、尽きることのない蜂の群れを前にしては、
いかに強力な攻撃力でも、
いかに洗練された格闘技でも、
何の意味もなかった。
幸いなことに、
鉄巣蜂の体液がべっとり付いているのはアペスだけだ。
鉄巣蜂の興味は彼女に集中していて、
もしこれが
デレオとカシヤにも分散していたなら、
とても対処しきれなかっただろう。
「っあ!」
突然、アペスが痛みに悲鳴を上げる。
鉄巣蜂は、
ペンチのような顎だけでも
人間の手足を何本も噛みちぎれる。
そして、
その針で不運にも刺されてしまったなら――
「刺された!」
アペスの手の甲が、
小さく赤く腫れ上がっていた。
傷は一見目立たない。
だが、
毒は即座に効き始める。
ただの一刺しで、
アペスは信じられないほど激怒した。
それは、
鉄巣蜂の毒の初期症状だった。
アペスは暴れ出す。
「アペス! 刺されたんだな?
こっちへ来て、解毒薬がある!」
デレオは顔色を変える。
鉄巣蜂の毒がまず脳の視床下部、
つまり暴力的な行動を
司る部分を攻撃することを
知っていたからだ。
彼女の理性は急速に薄れつつあり、
こちらの呼びかけなど耳に入っていない。
「ダメだ、逃がさない……!
コイツら、
ぜんぶ……ぶっ殺すっ……!」
さらにもう一刺し。
今度は首筋だ。
小さな赤点が浮かび上がる。
腫れはわずかだが、
反応は巨大だった。
「こ、いつらァァァァァァァァーーッ!!」
アペスの目がひっくり返り、
口端から泡を垂らす。
彼女の自制心は完全に吹き飛んだ。
怒りは頂点へ、理性は底辺へ。
今すぐ何か手を打たなくてはならない
――だがデレオには近づく術がない。
「アペス、今どうなってるの?」
カシヤが青ざめた顔でデレオに訊ねる。
額には冷や汗が滲んでいた。
「鉄巣蜂の毒だ。
あいつは今、
完全にバーサーク状態に入ってる。」
デレオは注射器を取り出した。
「今この状態で薬を打とうとしたら、
たぶん拳で粉々だ。」
「どうして注射器なんか持ち歩いてるの?」
「ときどきヒーラーの代わりもしなきゃなんないからな。
薬は飲ませるより、
打ったほうが効き目がいい。」
「よかった……じゃあ、
まだアペスを助けられるんだね?」
カシヤの表情に、安堵の色が浮かぶ。
デレオは残念そうに首を振る。
「喜ぶのは早い。
今の状態でアペスに近づいたら、
俺も無事じゃ済まない。
最悪の場合、
バーサーク状態の仲間が
『二人』出来上がるぞ。」
「じゃあ……わたし、
試してみたいことがある。」
カシヤは、そっとハーモニカを取り出した。




