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第9話『笑って、戦う女』



翌朝、メリル・クラークは皇妃選抜を辞退し、帝国を離れた。


表向きの理由は“体調不良”。


だが、実際はすべての証拠を私が握っていたから。



魔石の反応。仕込まれていた魔術式。


全てを押さえ、さらにそれを“公開しなかった”ことで、無名だった私の評価は上がった。


――“小細工の通じない女”。


その印象操作も、全て計算のうちだった。



メリル・クラークが静かに姿を消した日を境に、皇妃選抜の空気は、確かに変わった。

 

かつては優雅に笑みを交わし、

聖句や詩を引用していた令嬢たちの会話からは、言葉の温度が抜け落ちていた。

誰かが紅茶を差し出せば、香りを嗅ぎ、必ずひと口分を残すようになり――

誰かが微笑めば、返されるのは礼ではなく、刃のような視線。

 

廊下ですれ違うたびに、誰かの靴音が早くなる。

ドレスの裾を踏まれたかと振り返れば、誰もいないこともなくなった。

不穏。猜疑。沈黙。

 

だが、それは“私だけ”に向けられたものではなかった。


それとは別に――“あの女は危険だ”

もはや誰も、エディス・カリナのことを“辺境の令嬢”とは呼ばなかった。

帝国に名もない、公爵家の娘。

皇帝の正妃候補にしては、あまりに“格”が釣り合わない女――

けれどその女が、初日の段階で二人の候補を葬った。

毒も剣も使わず、声を荒げることもなく。



沈黙と共に、女たちは私を避け始めた。

だが――その中に、ただ一人だけ。

 

真正面から、睨み返してきた者がいた。

 

カーラ・ブレイドン。

鉄錬将家と呼ばれる軍閥派の中でも、最も“実戦”に近い家系の娘。

華奢な令嬢たちとは違い、引き締まった肢体と炎のような気配を纏い、

剣術と魔力の腕一本で己の価値を示してきた女。

彼女にとって、私のような――“正体を隠して笑うタイプ”は、最も不愉快で、危険な存在だった。


私が歩けば、彼女も歩く。

私が視線を逸らせば、彼女は睨み続ける。

言葉はなくとも、挑発は明確だった。


(……なるほど)


これは、次の試練が“肉体”に関わるものであることを、彼女が嗅ぎ取っている証だ。

ならば私も応じるしかない。

彼女のように力を誇る女に、“最も恐れる敗北”を見せるために。



翌日、候補者たちは城の奥にある封印魔法陣の訓練場へと呼び出された。


そこは、本来なら皇帝直属の魔術士たちが使う場。

だが今回は“試験”として、妃候補たちに開放されている。


上空には結界、地には転送陣と防護符。

選抜官たちは、その光の円の外から“反応”だけを記録している。


「第二課題、模擬戦形式による演習」

執事が無機質に告げる。

候補者たちが微かにざわめく。


「候補者は対面形式で順に試合を行い、魔力運用・耐性・攻防判断を試すものとする」


ざわめきが広がった。

それは“貴族令嬢に求める試練ではない”という動揺――だが一人だけ、明らかに笑っていた者がいた。


「ようやく面白くなってきたわね」


カーラ・ブレイドン。

先に名を呼ばれた彼女は、自ら結界陣に踏み入れた。

両手には素手用の魔力刃を展開。

その紅色の刃が空気を焼くように、結界内の気温をわずかに上げる。


「対戦者――エディス・カリナ」


私の名が呼ばれた瞬間、周囲の女たちの顔に笑みが浮かんだ。


私は、沈黙のまま一歩を踏み出した。


ドレスは動きを阻害しないよう、裾に魔法糸の補強が施されている。


手にしたのは、たった一本の扇子――それだけ。


「貴女、剣も構えないの?」

カーラが不敵に笑う。

「その程度の武装で、私とやり合えると?」

「もちろん。ただし、“正面から”戦うとは言っていないけれど?」

私の言葉に、カーラの眉が僅かに跳ねた。


      *


開始の合図と同時に、カーラは疾風のごとく踏み込んできた。

魔力によって補強された足運び。

剣術の呼吸と戦場の本能――すべてが“戦いなれた者”のそれだった。


あれは、回帰前の事。


――“公妃”と呼ばれていたあの頃。

夫エルマーは勢力を拡大していた。そ

して私は“公国の悪女”として後宮の外れに押し込まれていた。

後宮、そこにはもうひとつの顔があった。


――帝国軍魔導研究局、訓練管轄・零番隔離区。


公国でも“処分前の才覚持ち”だけが集められる、魔導技術実験の場。

選ばれた理由は、ただ一つ。


「この女は“毒に死なない”……面白い素材だ」


どこで漏れた情報かはわからないが、それだけで私は“戦闘素体”の一人にされた。


食事は規定量、睡眠は制限付き、話すことも許されなかった。

でも――教えられた。

否、叩き込まれたのだ。

 

帝国式 魔導格闘術《十二式》。

最初は、術式の発動もできなかった。

腕を折られ、肋を砕かれ、反復させられた。

けれど私は、生き延びた。

何度でも立ち上がった。

なぜなら。

それが、“エルマーの望むこと”だったからだ。

そして、あの冬の夜。

私は第五式《焦熱》から第六式《回転制御》へ、瞬時に切り替える動作を完成させた。



(正面突破型。左膝に重心のクセ。第六式で受け流し――)


私はすでに、カーラの最初の三手を計算し終えていた。

私は迎え撃たない。


刹那――扇子をひらりと振る。


空中に描かれる魔術紋。

 

それは“魔力撹乱”の術式。

カーラの足元で急に気流が歪み、着地寸前の踏み込みが狂った。


「っ……!」


ほんのわずか、狙いが逸れたその隙に、私は扇子で彼女の手首を打ち上げる。

軽く、しかし致命的に。

刃が空を裂き、彼女のバランスが崩れる――私の手は、すでに彼女の背へと回っていた。


「危ないわよ。勢いだけで飛び込むと、転ぶわ」


耳元で囁くように言い、私はそっと彼女の背を押した。

――倒れた。


膝をついたカーラの目が、信じられないものを見るように見開かれる。

息を切らせたまま、床に手をついた彼女に、私はにっこりと微笑んだ。



静まり返った演習場。

候補者たちがざわつき、重臣たちが顔を見合わせる中――

その誰にも気づかれぬ場所で、一人の男が椅子の背にもたれたまま、目を細めていた。


黒の軍服の上に、仮面。

表情の一切を隠し、“傍観者のふり”を貫く男――アシュレイ・ヴェル・レゼルナ。


この皇妃選抜において、誰もが“決して姿を現さぬ皇帝”と噂する存在。

だが彼は、最初から、すべての試験を自身の目で見ていた。


数々の候補が毒や策略で潰し合い、

その中で“笑いながら毒を飲んだ女”がいる。

そして今日、戦場においては一歩も剣を抜かず、

戦いの本能を持つカーラ・ブレイドンを膝つかせたその女――エディス・カリナ。


「また……面白い」


 静かに呟いた言葉は、誰の耳にも届かない。




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