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第7話『呪いに触れた女』



選抜の夜――。

仮面舞踏の準備が始まる前、控室の裏手にある調香室にて、私はセシリアとふたりきりになった。


その姿は、まさしく“教科書通りの貴族令嬢”だった。

明るいブロンドの髪はゆるく巻かれ、光を受けて絹糸のように揺れる。

澄んだブルーの瞳に浮かぶ微笑みは、完璧な礼儀作法と“善良さ”を演出している。

パステルピンクのドレスは控えめながらも上質で、品位ある装いに隙はない。

――だがその“完璧さ”は、どこか奇妙だった。

まるで台本を暗唱する人形のように、

どこまでも“理想像”をなぞるだけの言葉と所作。


「……何の用かしら、カリナ令嬢?」


候補者名――セシリア・アルメリア。

アルメリア侯爵家の嫡女で、選抜名簿の筆頭に記されていた女だ。

典型的な貴族令嬢。

選抜当初から周囲に取り巻きを引き連れ、「この場の主役は自分だ」とでも言わんばかりの振る舞いをしていた。

香油の瓶を並べていたセシリアは、余裕の笑みを浮かべていた。


だが、私の手にある“白い小瓶”を見た瞬間、その表情が強張る。


「それは……」

「落とし物よ。貴女の侍女が袖から落としたものを、たまたま拾ったの」


私は、笑顔のままテーブルに瓶を置く。

中身は“ラトゥル毒”――少量でも神経を鈍らせ、重度の発作と呼吸障害を引き起こす劇薬だ。

そしてこれは、さきほど“私の紅茶”に混ぜられていたものと、まったく同じ成分。


「……な、なにかの間違いよ。そんなもの、知らない……!」

「ふうん。じゃあ、これは何かしら」


私は懐から、もう一通の書簡を取り出す。

封筒の縁には“アルメリア家”の印章。

中身は、リズへの贈賄を示す未送信の密書と、侍女の名前入りの“暗号通達文”。

 

もちろん、これは“本物”だ。

侍女はすでに買収済み。

証拠は整っている。


「ここにサインされてないのが、唯一の救いかしら。……でももし、この手紙が選抜管理部に届いたら、どうなると思う?」


セシリアの顔が真っ青になる。

上流貴族としての名誉どころか、一家の政治生命そのものが終わる。


「……私に、どうしろっていうの」

唇を噛み、爪を握り締め、かすれた声でそう問うてきた彼女に、私は一歩だけ近づいた。


「簡単よ。棄権すればいい。発作でも体調不良でも、理由は何でもいいんじゃないかしら」

「それで、貴女が……」

「そう、私の道がひとつ、開けることになる」


私は最後に、彼女の耳元でそっと囁いた。


「……安心して。これは“警告”じゃない。“恩赦”よ」


セシリアの膝がわずかに震えた。


そして――ほどなくして

“第一候補、棄権”の報が、静かに通達された。


(リズとセシリアが組んでいたとはね)




「仮面舞踏会への招待」と称されたその試験の本質は、――社交術、心理戦、そして“敵味方の選別”を見抜く審査。


仮面をつけた状態で、候補者が即興でダンスを組むのだが、実はこの中には本物の皇帝が混ざっていると噂されていた。


その動きや会話、選ぶ相手、立ち振る舞いから“妃としての素質”を見極める――というものだ。

表向きは“華やかな夜会”。

灯の落とされた黒曜の舞踏室。

床一面に黒と金の刺繍が広がり、天井からは数百本の細長いロウソクが天幕のように吊るされていた。

音楽が静かに流れる中、各候補者は仮面をつけ、控えの席から一人ずつ、舞踏室の中心へと進んでいく。

その中で、目を引いたのはひとりの女だった。


――メリル・クラーク侯爵令嬢。

甘い花の香りがふわりと広がる。

彼女の微笑みは、まるで春の日差しのようだった。


その瞳――薄紅のグラスに青を垂らしたような光を持つ瞳は、

一見すれば、ただの優しい淑女にしか見えなかった。

 

けれどその笑顔の奥には、何かがあった。

ひとつ、ふたつ、幾重にも隠された“顔”の層。

毒ではなく、香で人を酔わせる――そんな“幻惑”の才を宿す女。


今回の候補の中でも“見目麗しい”と称されていた女だ。


胸元に花のモチーフが編み込まれた淡青のドレス。

仮面は羽のように繊細な細工で、視線の奥にある柔らかな笑みを際立たせていた。

彼女は、その優しげな雰囲気と落ち着いた佇まいから、

従者たちの間でも「今度こそ皇妃になるのでは」と囁かれていた。

 

穏やかで、争いを避け、誰にも敵意を見せない。

だからこそ、何よりも――“底が見えない”。

その仮面の下に、本当に心があるのか。

それとも、仮面こそが“本物”なのか。


音楽が流れる。

絢爛な灯火の下、候補者たちはそれぞれ“仮面の紳士”たちのもとへ向かっていく。

誰もが、目を奪うような装飾を纏った男たちを選び始めた。

金糸をあしらった軍服風の礼装。

肩に宝石の鎖をかけた宮廷風の外套。

真紅の薔薇を胸に挿した舞踏騎士。


誰もが、それが“皇帝”だと信じて疑わない。


だが――私は、違った。


壁際に、ただひとり、


一切の装飾を拒んだ“黒一色の男”がいた。

礼装は無地の漆黒。

胸元に家紋もなく、仮面すら最も簡素な黒布で縛られている。

まるでこの場に紛れ込んだ“ただの影”のような存在。


だが私は、その沈黙を知っていた。

 

前世の記憶――

あの王座の間で、一度だけ聞いた、彼の吐息。

 

言葉よりも鋭く、怒りよりも静かな――氷のような気配。


先ほどの試験のときにも感じた気配。


(……あなただわ)


私は迷わず、その男の前に立った。

仮面越しに目を合わせる。

彼は何も言わなかった。

けれど、わずかに首が傾いた。

その反応は、誰にでもは見せない“問い”の仕草だった。


「エディス・カリナと申します。……踊っていただけますか?」


その一言と共に差し出した手に、黒衣の男は、無言で手を取った。

周囲がざわつく。

なぜ、あの地味な男を?

あれは侍従役ではないのか?

皇帝がいるなら、もっと目立つはずだ――

 

そんなざわめきをよそに、私は彼の手を握り返した。

呪われた帝印の力を知りながら、私はなんの躊躇もなく、触れた。


(私は知っている。おそらく、この中で皇帝に触れることができるのは、私だけ。なぜなら、一度、それが出来たことがあるから。皮肉にも、この人を、陥れる時に……)


そして――踊り始める。


エディスが“最も地味な黒装束の男”の手を取った瞬間、

会場の空気が一気にざわめいた。


それは、控え目な感嘆などではない。

むしろ――“嘲笑”だった。


「……あれが相手?まさか、本気で皇帝陛下だと?」


リズ・ファーレンが仮面越しに冷笑を漏らす。

その腕を取っていたのは、金の縁取りを纏った軍服の仮面紳士――“一番人気”の男。


「見る目がないって、こういうことを言うのね」


イレーナ・クロウが隣のノエルと目を合わせ、小さく肩を揺らす。

まるで哀れむように。


ノエルもまた、聖句をささやくように笑った。

「質素な男にこそ真が宿る、なんておとぎ話でも信じてるのかしら。……やはり狂ってるわ、あの女」

カーラは黙っていたが、その口元には明らかな“嘲り”が浮かんでいた。

それは、戦場で“的外れな敵”を笑う兵士の目だった。

――“あれは敗北者”。


皆がそう確信していた。

黒いだけの仮面。

家紋もない礼服。

言葉もなく、表情すら読めない男。

それを選ぶなど、“最下位の失策”。

そう思っていた。


      *


だが――

その様子を、離れたバルコニー席で見つめていた者たちは、凍りついていた。

皇宮宰相。

帝術局長。

筆頭書記官。


そして、陛下の影武部署を束ねる黒衣の統括官までもが。

彼らは、“アシュレイ陛下本人があの場に紛れていることを知る”ごく限られた者たちだった。


「……まさか、触れたのか?」


低く問うたのは、帝術局長。


「ええ。……しかも、何の拒絶反応もなく、堂々と」


震える声で呟いたのは、医務局の監察官。

呪いにかかったこの十数年、“誰かと手を取る”など、それこそ禁忌だったはずだ。


にもかかわらず、仮面の奥にいるあの男は――今、女の手を取って踊っている。


沈黙。

完璧な同調。

滑るようなステップ。

そして……陛下が、自ら先導した。


「……信じられん」


書記官が呟いた。

それは、ただの選抜ではなかった。

今、会場に立つ全員の中で――“唯一、皇帝に触れられた女”。

その名は、エディス・カリナ。

その瞬間、彼女の評価票には赤い印が押された。

“最重要注視候補”――優先対象。


      *


沈黙の中で、私たちの動きは一分の隙もなかった。

呼吸が合う。

足運びがぴたりと重なる。

まるで、何度も練習を重ねたペアのように、

音の裏拍すらも同時に踏む。


(……やっぱり、間違いない)


この“気配”を、私は知っている。


一度死に、地獄を見て、

それでも心に刻まれていた男――アシュレイ・ヴェル・レゼルナ。


あなたと私は今、ここにいる。


踊り終えたとき、彼は何も言わずにただ、わずかに私の指を長く掴んでいた。


それは――まるで“確かめるような動作”。

そして去り際、ほんの一瞬だけ、

仮面の下で、笑った気配があった。


(ああ、やはりそうね)


私は、鏡のような床の上で静かに一礼した。



エディスの白い指先が、すっと差し出される。


触れて帝印が発動すれば、この候補者は死ぬ。そうすればこんな茶番など一瞬で終わる。そう思って手袋はあらかじめ外していた。本来は、家臣を守るための魔術手袋だ。ただ、相手を救うためのものであって、自身の呪いを防げるわけではない。


他者に触れることで痛みを避けることはできない。

それでも、こんな試験はさっさと終わらせたかった。


エディスの手を“断つべきだ”と、いつものように本能が警鐘を鳴らす。


だがその声は――なぜか、かすれていた。

アシュレイ・ヴェル・レゼルナは、仮面の下で目を細める。


(この女……なぜわかった?)


初めて見るはずの令嬢。

けれど、どこか“知っている気がする”。

そして――彼は、手を伸ばした。


手袋越しでもなく、魔術封じの防具もなく、ただ、真っ直ぐに。

 

そして、触れた。


次の瞬間――発動するはずだった“呪い”は、静かに沈黙していた。


過去、誰かに触れたときに起きた異常。

自身の皮膚が裂け、相手の心から“恐怖”が流れ込む。

痛みと幻視と発作が、暴発するはずだった。

 

だが、何も起きなかった。


(……あり得ない)


そのまま手を取り、導びくように舞踏を始めていた。

だがアシュレイの心は、別の意味で騒がしかった。


(なにもなくこの女に“触れられる”?)


それは、彼にとって“希望”ですらなく、むしろ“異物”だった。


全身に絡みついていた呪術の糸が、一瞬ほどけたような感覚。

まるで、“鎖の錠が外れた”かのような錯覚。


彼女の指先は、ただ温かく、優雅で――静かだった。

 

そこに、恐怖も苦痛も、なかった。


(なぜだ)


踊るうちに、彼女の目が、仮面の奥を見透かすように笑った。


(なぜ、この女は……俺に触れて、平然としている)


その問いが胸を焼き、彼の“呪われた世界”に、初めて一筋のノイズが走った。



「面白い」






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