表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/26

第6話『忠誠と利益を捧ぐ女』



この世界における魔法――それは単なる“便利な術”などではない。

本質は、「血」と「誓い」によって紡がれる、“契約型の力”である。

大気中には“マナ”と呼ばれる自然精霊の微粒子が漂っており、

それを“意志”と“言霊”で束ねることで、形ある術へと転化させる。


しかし、この術を行使できるのは、“祝痕しゅくこん”と呼ばれる魔法の器官を持つ者――

つまり、特定の血筋を引く貴族や魔術士の家系に限られている。


なかでもカリナ公爵家のような“女系継承術”を持つ家系では、

母から娘へ、精密な術式の伝承と肉体的な訓練によって、

他の家系では真似できない“静かなる魔”を操る力を育んできた。


一方、聖教会や帝国術局は、魔術を“国家管理”のもとに封じ込めようとしており、

無届けの魔術行使は禁術扱いされることも少なくない。


つまり――魔術とは、この世界では血と政治の匂いが混ざる“特権階級の道具”であり、

使えば使うほどに、その者の立場と意図が問われるものなのだ。


ノエルから殺気が消えた。


ノエルとの一件が過ぎても、私への敵意が消えることはなかった。

むしろ、沈黙の中で膨らんだ“関心”という名の毒が、じわじわと私を包み込んでゆく。


それから順に、他の候補者たちも――無言のまま、私を値踏みし始めていた。


軍閥派を後ろ盾に持つカーラ・ブレイドンは、他の候補者とはまるで違っていた。

――軍靴の音が静かな広間に響く。

整えられた琥珀色の瞳、ラフに束ねられた栗色の髪。

軍服ベースの青い礼装が、その引き締まった身体にぴたりと沿う。

まっすぐに前を見据えるその視線に、迷いは一切ない。

余計な装飾はない。

だが、その潔さと研ぎ澄まされた存在感は、レースや宝石で飾った令嬢たちより、よほど強く目を引いた。

――彼女は、“戦場で名を馳せる軍閥の娘”。

策略も駆け引きも知らず、正々堂々の勝負こそが誇りだと、

そう書かれてでもいるかのような立ち姿だった。


そんな彼女は、私の歩く姿にさりげなく視線を投げた。

注がれていたのは私の表情でも髪飾りでもない――腰だ。

歩行中の重心のぶれ、軸足の左右差、肩と骨盤の動き――彼女はそのすべてから、私の“戦闘スタイル”を分析している。


(まるで狩人ね。足音で獲物の脚の怪我を見抜くような)


続いて、対話の輪にも加わらず、あくまで物陰に徹していたのはイレーナ・クロウ。


情報組織〈群鴉の塔〉と繋がりがあると噂される諜報系の候補者で、深緑の髪は肩までつかず、表情は終始無機質。妃になるつもりなどはなからなさそうに見える。


一見控えめなその佇まいは、いわば“影”の中に生きる仮面のようだ。

彼女の背後に控える従者は、常に筆談を交わし、何かを記録している。

視線は私の履歴書、着衣、装飾品、さらには私の扇子の紋様や、出身地にちなんだ家紋へと。

私の“出自”を調べようとしているように見えた。


この会場に集められた者たちは、誰ひとりとして「ただの令嬢」ではなかった。

それぞれが各派閥の“刺客”であり、武器を美貌と教養の裏に隠した、なんらかの化粧をした女たちだった。


だが――私は、それ以上。

“処刑と死”を越えて、ここに立っている。

命が削れるという感覚すら、もはや薄れていた。

この身に宿る呪いの痛み、命の限りの刻限。

すべてを背負ったうえで、なお私は“勝ちに来ている”。

この広間にいる誰よりも、私は“地獄に近い女”だ。


だからこそ、笑える。

この毒のような空気の中で、私だけが――ひとり、微笑んでいられるのだ。


「これより、妃候補選抜第一課題を開始する」


場内に響いた執事の澄んだ声が、緊張の空気に音を与えた。

候補者たちは一斉に立ち上がり、用意された絨毯の中央へと歩を進める。

並ぶのは七脚の玉座模倣椅子。それぞれには皇帝陛下を模した“黒い仮面の儀礼官”が座していた。


第一課題――それは“礼儀作法”と名づけられた、模擬謁見の演技試験。

ただの挨拶や会釈ではない。

妃候補たちは一人ずつ前に出て、皇帝への“謁見”を模した短い言葉を披露する。

その間、後方に控える皇宮側の重臣たちと、帝術局の官吏たちが、


・姿勢、

・声の調子、

・言葉選び、

・“媚び”の度合い、

・“踏み込み”の一線


を厳しく見極めていた。

ここで媚びすぎれば“安っぽい”、突き放せば“非協力的”、

だが“曖昧すぎれば印象に残らない”――

まさに、言葉と態度による高等政治演技の戦場だった。


私は、他の候補たちの順番を、ひとりずつ見届けた。

リズ・ファーレンは、皇族らしい高貴さと慎み深さで会釈を決め、

ノエル・グレイスは、信仰と清楚を売りにした“慈愛の挨拶”で情を誘った。

カーラ・ブレイドンは軍の礼を混ぜた毅然とした姿勢を見せ、

イレーナ・クロウはあえて無個性に徹し、記憶に残らない“空白の印象”を残した。

――そして、私の番が来る。

 

静寂。

場の空気が、ぴたりと凍りついた。

私は、ゆっくりと仮面の儀礼官の前へと進み、しなやかに、けれど高慢にも見えぬよう、礼を取る。

ドレスの裾を掬い、踵を揃え、顔を上げる。

そのすべての動作に、無駄はなかった。


「エディス・カリナと申します。暴君陛下に捧げる愛はございません。ですが忠誠と利益なら、余るほどございます」


一瞬、場がざわめいた。

だが、それは“計算通り”だった。

私は、“恋も愛も信じない”という皇帝の嗜好を、前世で熟知している。


だからこそ、あえて“愛”を否定し、“実利”を差し出した。

これは媚びではない。

忠誠と交換条件を提示する、あくまで“対等な交渉”の姿勢。

皇帝に気に入られる必要はない。

ただ、“使えそうな女だ”と思わせれば、それでいいのだ。


言い終えたその瞬間、仮面の奥で――わずかに、椅子が軋む。

音にならない音。

その重みを知る者だけが、その“ほんの少しの動き”の意味を察知した。

これは、影武者ではなく皇帝本人――皇帝が、身じろぎをしたのだ。

座していた“黒衣の儀礼官”は、他の候補者の挨拶にはまったく動じなかった。

微動だにせず、沈黙を保ち続けていたその男が、エディスの言葉にだけ、

ほんのわずか、背を浮かせるような動きを見せたのだった。

その瞬間、後方に控えていた側近たちが、同時に顔を上げた。


――“中身は陛下”。


誰も声には出さなかった。

だが、空気が明らかに変わった。

側近筆頭である帝術局長の老賢者が、エディスの表情を注視する。

その隣に立つ黒衣の筆記官は、すでに筆を走らせていた。


“カリナ候補――評価要再検討。皇帝反応有”という符号が、帳面に残された。

仮面の奥の視線は、沈黙のままこちらに注がれていた。

それが“評価”なのか、“警戒”なのか、それとも――“興味”なのかは、まだわからない。

けれど、ひとつだけ確かだった。

――この瞬間、エディス・カリナの名は、確実に“暴君陛下”の目に刻まれたのだ。



──また、同じだ。

並ぶ女たちは、皆、よく似ている。

言葉を飾り、敬意を装い、美しさで媚びる。

そのどれもが、腹の底で「生き残りたい」と願っていることを、俺は見抜いている。

愛を語り、運命を語り、忠誠を口にする者ほど、信じてはならない。

それは、父も兄も叔父も、骨となって教えてくれたことだ。

 

──だから、俺はもう期待しない。

 

政略婚に意味などない。

妃など、飾りに過ぎない。

誰も、俺に“真”を向けてなどこないのだから。


だが──その時。

「暴君陛下に捧げる愛はございません。ですが忠誠と利益なら、余るほどございます」

女はそう言った。

愛を捨てて、利益を掲げる女。

それが“取り繕い”でないことを、俺は聞き分けてしまった。


言葉の調子、息の置き所、礼の角度。

すべてが“本気”だった。


(……皮肉なものだな)


俺が最も忌み嫌い、憎悪すらしてきた“愛”という言葉を、

最初に否定してきたのが、この女。

ならば、試してみるのも悪くない。


(名は……エディス・カリナ)


骨まで信じない。心までは許さない。

だが、使えるなら使う。

この女が“毒”か“刃”か、それとも“炎”か──

見極める価値はある。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ