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第4話『悪女、帝都に立つ』




帝都・黒曜の塔――

普段は閉ざされたままの帝術局の上層階に、今宵は六つの影が集っていた。

部屋の中央には、巨大な帝印の模写が魔術的光を放ち、

その周囲に立つ者たちは、いずれも一帝国の命運を預かる重臣たち。


「……昨夜の定点観測で、帝印の揺らぎが“警戒段階”に入った」


帝術局筆頭官・セラフィムが低く報告すると、誰かが息を呑む音がした。


「あと何日、持つ?」

「暴走兆候の蓄積量から換算すれば、三月後の満月――“新月の晩”が限界だろう。

その日までに、どうにかせねば……」

「帝国そのものが、“内側から焼き切れる”ということか」


重い沈黙が落ちた。


「……皇帝陛下は、未だに“誰も近づけるな”と命じておられる」

「あのお方にとって、また人焼いてしまうことは――地獄に他ならぬ」

「ならばなおのこと、我々が決断せねばならん」


首相にして宰相格の老臣・ヴァンデルは、テーブルに広げた選抜候補名簿を睨みつけた。


「今回の候補の中に、“適合の兆し”が見られる者はいたのか?」

「……正直に申し上げて、今のところ“数値適合”を示した者はゼロです。ただ――」

「ただ?」


セラフィムが、指先で一枚の報告書を押し出す。


「……“カリナ公爵家より選出された、第一令嬢。エディス・カリナ”」

「過去の記録から、例外的適応の可能性が推定される」

「カリナ家……か。あの家の娘が、まだ残っていたとはな」


「“鏡写の祝痕”の継承者です」

「今日はエルマー大公は不在なのか?あの娘はレグナ公国の管轄であろう?」

「公務が忙しいとのことです」

「カリナ公爵家のことはエルマーに任せる手筈だったのだが……」




空気は、妙に静かだった。

カリナ公爵家の正門前。

出発を告げる馬車が控え、荷物はすでに積み込まれている。

にもかかわらず、家族の誰もが――見送りに顔を出す様子はなかった。


ただ一人、その場に現れたのは、

よく通る声でエディスを呼び止めた少女だった。


「お姉さま!」


振り返れば、ティリア。

淡い藤色のドレスを揺らしながら、小走りに駆け寄ってくる。


「……ティリア?」

エディスは穏やかに声をかけた。

だがその目は笑っていない。

ティリアはわざとらしく息を弾ませながら、

しっかりと手袋を整えた姉の手を取る。


「本当に、行ってしまうのね。帝国へ……お父様があんな顔をするなんて、初めて見たわ。やっぱり、心配してるのよ」


「そう、ありがとう。心配してくれて」


エディスは淡々と答え、手をやんわりと外した。

だがその仕草に、ティリアのまつ毛がピクリと揺れた。


「でも、お姉さまってほんとうに強いのね。

 “自分から志願する”なんて、私にはとても……真似できないわ。皇帝陛下の噂、聞いてる?

妃に近づいた女が“消された”って。

それでも行くなんて……まるで、死に場所を探してるみたい」


「そうね。あなたはしないでしょうね。家の“可愛い娘”として、守られてきたもの」


言葉にとげはない。

ただ、事実を述べただけのような声音だった。

ティリアはふっと笑みを浮かべた。


「でも、きっと帝都でも目立つわ。お姉さまって、どこか……浮いてるもの。“場違いな美しさ”って、時に疎まれるのよ。私、心配」

「ありがとう。けれど私は、“疎まれるほどの女”でいたいの。都合よく消費されるよりは、ずっといい」


それがどういう意味か、ティリアは咀嚼しきれない様子だった。

エディスはもう一度だけ軽く会釈すると、馬車へと向き直った。

背筋は伸び、肩には一分の迷いもなかった。


「姉妹」として交わした最後の言葉は、

結局、どちらも本音ではなかった。


馬車の出発準備が整った頃、

カリナ家の門前に、場違いなほど荘厳な黒い馬車が滑り込んできた。

黒地に金の紋章――

エルスレイン大公家の馬車。

御者も従者も控えたまま、扉が開き、

漆黒の軍服に身を包んだ男が、まっすぐに現れる。


「エディス」


その声に、家の者たちは一斉に凍りついた。

門番すら動けず、空気が張り詰める。


エディスは扇子を握ったまま、無言で振り返った。

エルマー・エルスレイン。


皇帝の右腕にして、次期元帥と噂される男。

だがその視線は、戦場よりもずっと熱く――彼女だけを射抜いていた。


「……まさか来るとは思いもしませんでした。プライドの高いあなたが“私に振られた”ことをお忘れで?」

「それでも――私は、君を望む」


エルマーは一歩、近づいた。


「エディス。帝都に行くのは構わない。だが、選抜に落ちたら……」


その手が、彼女の指先をそっと取る。


「私と結婚しよう。私は君を、誰よりも理解している。誰よりも守れる。――“誰よりも、愛している”」


沈黙が落ちた。

遠巻きに見ていた使用人たちが息を呑む。

その場にいた誰もが、エディスが答える言葉を待っていた。

だが彼女は、扇子をゆっくりと開いただけだった。


「……光栄ですわ。でも私は、“落ちる前提”で物を考えるほど愚かじゃないの」


「それでも、約束してほしい」

「わかりました」


その一言で、エルマーの瞳がわずかに揺れた。

だが彼はそれを笑みに変えて、手を放す。


「……いいだろう。君が“勝つ”なら、それもまた美しい。だが、忘れるな――君を本気で欲している男がいることを」


だが最後まで、エディスから視線を逸らさなかった。


(どうせあいつの側では何もできない、じきに死の恐怖に怯えて俺に泣きついてくるはずだ)



そのやりとりを、離れた柱の影から見つめていた女がいた。


ティリア。

美しい髪が微かに揺れ、

その口元には、きつく噛みしめた歯が見えた。


(なぜ……なぜ“お姉さま”がどうしてあんなふうに、大公閣下に“愛されている”の!?)


彼女の拳がぎゅっと握り締められる。

それでも笑顔を取り繕いながら、

彼女は静かにその場を去った――


“姉の足を引きずり降ろす”決意と共に。



レゼルナ帝国。

かつては五つの領邦を束ねた連邦国家だったその国は、今や“血の皇帝”と呼ばれる男――アシュレイ・ヴェル・レゼルナの鉄の支配の下にある。


母を殺し、父兄と叔父、甥を次々に粛清。

反対派の重臣をもことごとく粛清し、わずか三年のうちに帝都の上層を“皇帝直属の犬”へとすげ替えた。

帝印を揺らすその力に、誰も抗えない。

人々は囁く。


「近づくな」

「花嫁など娶る気がない」

「あれは、人の心を持たぬ“化け物”だ――」


そんな男の隣に、私は自ら志願した。

復讐のためにすべてを捧げる覚悟と共に。


理由などいらなかった。

前世で私は、太公家の政略の駒として使われた挙げ句、捨てられ、処刑された。

太公家とカリナ家を正面から潰すには、力が足りない。


名家としての威光、裏の経済網、王国の“心臓”に巣食うような根の深さ。


私は“嫁がされた時点で詰んでいた”。


だから私は、戻ってきた。

あの日、処刑台で地獄を見て、戻ってきた。

「史上最凶の悪女」として。


ならば、より深い地獄を選び取るだけだ。

その男――皇帝アシュレイ・ヴェル・レゼルナの隣。

誰も辿り着けず、誰も生きて還れなかった“玉座の傍”こそ、

私が公国すべてに復讐するための、唯一の通路。

──そして、私は今、帝都に足を踏み入れた。



漆黒の石畳が広がる帝都中央の選抜宮前広場。

早朝だというのに、空気はぴんと張り詰め、

各国・各家門から送り込まれた令嬢たちが一斉に姿を現していた。

噂はすでに飛び交っていた。


「今年の選抜には、名も知らぬ令嬢が混じっている」

「だが、その顔は……政略の道具には美しすぎる」


確かに私は、カリナ家として社交界に顔を出していなかった。

それが皆には奇異に映るのだろう。


見下すような視線。

値踏みするような眼差し。


“どの席に座らせるべきか”を無言で押し付ける貴族たちの空気。

そんな中、私は静かに歩を進めた。


華美にならぬように調えた、黒と紺の礼服。

高すぎないヒール。

手に携えた黒縁の扇子には、帝国古文字で「黙して刃を秘めよ」と刻まれている。


皇帝の寵愛を得るつもりはない。

ただ――“そう思わせる”ことだけが、戦いのはじまり。

候補者名簿の前に立つと、私の名がそこにあるのを確認した。


その瞬間、周囲の空気がまた変わった。

一斉に視線が突き刺さる。


(誰が最初にこの“無名の女”を蹴落とすか)


目だけがそう告げている。

だが私もまた、笑わず、怯まず、彼女たちの視線を一つずつ睨み返した。


(いいわ。返り討ちにしてあげる)


そう心の中で呟いてから、

私は静かに、黒の扇子を開いた。


(さあ、はじめましょう)


その風は、戦場の始まりを告げる風だった。




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