表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/26

第3話『封印の名を告げた夜』

あの夜。



玉座の間には、皇帝以外誰もいなかった。

衛兵はエルマーが手を回し「下がらせて」あった。

呪術監視の結界も、“偶然”を装って壊れている。

――それは、大公エルマーが仕組んだ、“皇帝暗殺”の舞台だった。

その場にいるのは、たった二人。

帝印の呪いに蝕まれた皇帝アシュレイと、

禁術を使う公妃エディス。


――帝国皇帝、アシュレイ・ヴェル・レゼルナ。

黒曜石のような髪を持ち、琥珀と金の混じるような双眸は、まるで生きた焔のように、人の心を射抜く。

纏うのは、帝家直属の漆黒の礼装軍衣。肩口には金獅子の紋章、胸には帝印がきらめき、

その背にあるだけで、空間すべてが“服従”を強いられる。

 

その歩みは、静かだった。

けれど、足音もないその一歩ごとに、世界が「ひれ伏す」音がした。

顔は美しく整いながらも、どこか“人間らしさ”がない。

感情の欠片を見せることはなく、その無表情こそが、彼の暴君としての絶対性を物語っていた。


だが、今の皇帝の瞳は淀んでいて、そして憔悴しきったように覇気がなかった。

 

「……お前は」

エディスに見覚えがあるのか、アシュレイが言った。

その声に怒りはない。ただ、静かな諦めがあった。


「エルマーか」

「気づいていてどうして、何もしなかったのですか」

「言ってどうなる?」


短く返された声に、かすかな痛みがにじむ。


「お前は“命令”でここに来たんだろう?己の意志ではない」


エディスは一歩、玉座へ近づいた。

腹の奥で禁術が軋み、疼く。


「……殺しても構いません。私を」


その言葉に、アシュレイがまっすぐエディスを見た。

眼差しは冷たく、しかしどこか燃えさしのように揺れていた。

 

「殺せるなら、とっくに殺している」

短く告げて、彼はゆっくりと歩を進める。

「私はこの帝国のために、“怪物”になることを選んだ。

誰も近づかせず、誰も愛さず。

この呪いで、誰も傷つけぬように……心を閉ざした」

 

「それでも陛下は、数多を斬りました」

エディスの声は静かだった。


「そう、最初に母を殺した」


その一言に、空気が凍る。


「帝印が現れた夜、私はただ――母に触れようとしただけだった。

なのに、彼女は……焼かれた。私の手で」


その告白に、エディスの手が震える。

――この人も、私と同じ。

運命に人生を狂わされた人間。

 

術式の詠唱が、喉元までこみ上げた。

殺すこともできる。

今ここで、帝を葬れば、すべては終わる。


だが――

エディスは、瞳を閉じて呟いた。


「――永劫の眠りを汝に」


 

魔法陣が静かに、皇帝の足元に展開された。

光が、柔らかく、けれど不可逆に彼を包み込んでいく。


そしてエディスは掌を皇帝の胸にそっと当てた。


それは、生きたままの封印。

命を奪うものではない。

けれど、それは“死よりも長い孤独”だった。

 

アシュレイは、ただ最後まで、驚いた顔でエディスを見ていた。

その瞳には、痛みでも怒りでもない、どこか哀しみの色が浮かんでいた。


「……名を」


「え?」


「最後に、“おまえの名”を。俺は……」


その声が沈みゆく光のなかで消える。

エディスは、唇を噛み、ひとつ名を告げた。

 

「エディス・カリナです」

 

――そうして、皇帝は封印された。



「……なぜ、だ」


エルマー・エルスレインは、椅子にもたれたまま身じろぎもしなかった。

手にはグラスがあったが、酒はもうとうに空になっていた。新しくワインのコルクを抜くとグラスに注いだ。

壁には書簡が叩きつけられ、テーブルの上には砕けた水晶の飾りが散っている。


「……婚姻を、断る?」


小さく呟いたその声には、普段の理知や冷静さはなく、

何かが綻びかけた音が混ざっていた。


「貴族の娘が、“私を”断る……だと……?」

顔を上げる。

部屋に人はいない。

だからこそ、抑えていた本音がこぼれ出す。


「何が不満なんだ、エディス。

この辺境の国で、私以上の“後ろ盾”がどこにある」


「おまえはカリナ家の“管理物”だろう。感情など、与えられていないはずだ」


だが――

(なのに、あの目は……)


あの瞬間の、凍てつくような拒絶の瞳。

まるで、自分の全存在を「否定された」ような、

生まれて初めて味わう“敗北感”。


「なぜだ、なぜ頭から離れない……」


手元のグラスを投げつける。

壁に当たって砕け散り、赤い液が飛び散った。

息が荒くなる。喉が乾いている。

だが、それ以上に心が渇いていた。


「……そうだ、カリナ家の女は、ただの令嬢ではない。

《鏡写の祝痕》……相手の“真名”を映す、血の器」


「だが、完全な純血を宿しているのは、今や“あの女だけ”だ」


指が震えている。


「……ティリアには、意味がない」


思い出すのも忌々しい。


「エディスでなければ、“帝印”には届かない。あの女しかいない!」


そのとき、扉の外で物音がした。

だがエルマーは気づかない。あるいは、気づいても止まれない。


「おまえが拒んだせいで、すべてが台無しになった!どうして……なぜ……私に屈しない!」


そして、叫ぶように吐き捨てた。


「エディスじゃなきゃ意味がないんだよ……!!」


部屋には静寂が戻った。

その言葉だけが、まるで呪いのように、壁に貼りついていた。


翌日、エルマー・エルスレインの執務室には、一通の封書が届けられた。

帝印の紋章。赤金の封蝋。

そして宛名は、“大公殿下御覧”と、皇都筆写の筆跡で書かれている。

侍従が差し出すと、エルマーは視線を落とした。


(この紋章は……選抜関連)


一呼吸置いて、封を切る。

中から現れたのは、候補者一覧と、その推薦家門の署名。

ゆっくりと読み進めていく中で、彼の指が、ふと止まった。


「候補者第六位:エディス・カリナ ――カリナ公爵家推薦」


……静寂。

空気が、固まった。

視線をその一行に留めたまま、彼の指がわずかに震えた。


「……カリナ公爵、だと?」


舌打ちにも似た息が漏れる。


「あの男が……“あの女”を出した、だと……?」


椅子に深く背を預けながらも、思考は嵐のように渦巻いていた。


(なぜ今さら? あれほどまでに自分の家の影に追いやっていた娘を、なぜ“帝国の顔”に差し出す?)


次の瞬間、脳裏にあの光景が蘇る。


──「お断りいたします」


静かに、確かに、自分を拒んだあの女の目。

あのときから、何度も夢に出てくる。

嘲るわけでもなく、泣き叫ぶわけでもなく、ただ冷たく、確かに“自分を素通りした”目。


(……選抜に出る? あの怪物の傍に、“自ら”立ちに行くと?)


指が、手元の羊皮紙を無意識に握り潰しかける。


「なにを考えている、エディス……」


あの女はもう自分に従わないのだろうか?


だが、“呪いの怪物”の横で立つのなら――


(……これは、まだ“終わっていない”)


かすかに笑みが浮かんだ。

それは怒りでも勝利でもない、“確かめたい”という本能的な執着。


「そうか……なら、見せてもらおう」


彼の中で、選抜戦が“政治の場”から、“執着の舞台”へと変わった瞬間だった。


(今急いで手に入れる必要はない)




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ