11・休息
エミュは登りの坂道を見つけてメチャクチャはしゃいでいた。
ここまでの苦労は何処へやら、興奮して俺の胸に飛び込んできたんだ。はうっ。落ち着け俺!どうどう。
「こんなに早く上階層への道が見つかるなんて思わなかった!本当になんとかなるかもしれない」
か、顔が近い。さっきの緊急避難的行動の柔らかい唇の感触が鮮明に蘇って来る。あ、俺のファーストキスだったか……どうでもいいが。
「上へ登れる道ってそんなに重要なの?」
目の前で饒舌に動く形のいい唇の動きを見つめながら聞く。
「もちろんだよ、まず階層を移動する層境はモンスターが出てこないんだ」
ほお。
「安全地帯って事?」
「そうだ、基本的にモンスターは階層を越えて来ない。奴らには階層境への入口が見えないと言われている」
てことは。
「念の為上層を確認してから下層との中間辺りで休めるところを探してしばらくゆっくりしよう」
見張り交代とか気にしなくて思う存分にぐっすり眠れるって事か。
「休憩もしっかり取れるし、階層境を拠点にしてじっくり階層の攻略することが出来るからな。生きて帰れる望みが遥かに高くなったな」
薄暗闇の中、喜色満面なエミュと二人並んで緩やかな石造りの登り坂を上がって行くと上層との間に一部踊り場的な平らなスペースを見つけた。
大人二人が並んで横になるには十分な広さだ。
そこをキャンプ地とした。
今までも交代で休んでいたとはいえ、いつモンスターが襲いかかってくるか分からない状況で常に緊張を保ち続けて来たのだから本当の意味での休息からは程遠かった。
まずは二人共ゆっくりと骨を休め魔力と気力と体力の回復を最優先する事にした。
本当ならカエルの脚でも腹一杯詰め込めればよかったんだが肉にする前に消えてしまったものは仕方がない。
二人で味噌ラーメンを分け合ってから結構な時間が経ってしまっている。
それなりに腹は減っているが、水を飲んで気を紛らわせておこう。
エミュも状態は同じはずだけど二人で並んで横になり、ウィル・オ・ウィスプを消し、目を閉じたら10分も経たないうちにスヤスヤと寝息が聞こえてきた。
正直言うて前回も俺はバッチリ熟睡していたのだ。
鎧着たままなので寝起きに身体の節々が痛かった以外は睡眠不足と言う程じゃなかった。
けれどエミュにしてみれば得体の知れない異世界人の男に寝入りを任せ、背中を預けてここまでやってきたのだ。
気も休まらなかっただろうし疲れが溜まっていても不思議じゃあない。
折角の提案だし黙って横になって休んでいようと思っていた。
けれど、エミュの寝息を背中で聞いているうちにいつの間にか本当に眠ってしまっていたようだ。
◇
僅かな衣擦れの音が俺を覚醒させた。
薄っすらと目を開けて周りを伺う。
ウィル・オ・ウィスプのほのかな明かりが辺りの暗闇をぼんやりと照らしていた。
どきん
大きく脈打つ心臓。
暗闇の向こうに朧に浮かび上がる白い肌。
肩から背中、腰にかけて優雅な曲線が伸びる。
艷やかな髪を下ろし濡れた布で半身の絹肌を滑らかに拭っている。
絵画か彫刻か、もはや芸術としか言いようのない美しく均整のとれた見事なプロポーション。
座りながら半身を拭うエミュの背中に魂を吸い取られてしまったかの様に。
ここまで神々しいと狼に変身!なんて気も起きやしない。
無論、俺がヘタレだというのも否定はしない。
俺の気配を感じ取ったのかエミュの手が止まった。
目を閉じ必死で狸寝入りをかましましたわ。
そりゃあそうだよね。
何時モンスターと接敵するかわからないんだから鎧を脱いで汗に塗れた身体を拭うなんて事をする余裕なんてこれまでなかった訳で。
やっと安全地帯に来ても得体の知れない男の目の前で鎧を脱いで汚れた身体を拭くなんてのも憚られるだろうし。
俺はもう少し気を使うべきだったよ。
もう二度と目は開かないから、存分にサッパリとしておくれ。
ただ、見るとは無しに脳裏に焼き付いてしまった宗教絵画の如き白く優美なる曲線は記憶から抹消する事もままならず。
どきどきと鼓動の高鳴りと悶々と身体中を駆け巡る熱き血潮に火照る全身。
ムキムキと膨れ上がろうとする男の尊厳を必死に抑え途方に暮れている。
鎮め給え、納め給え。はいしどうどう はいどうどう。
一人アパートの自室で侘しく過ごしているならば如何様にも納められるものを。
こんなところで漏らしたりして万が一臭いバレでもした日には、今後のエミュとの関係とか生活設計諸々がいろいろと崩れてしまうではないか。
ふぅぅ〜
2,3,5,7,11,13,17,19,23,29――。
ひたすら素数を数えて気を紛らわせていく。
パンパンに膨らんで今にも欲望を暴発しそうになっている暴れん棒将軍からなるべく意識を離し無我の境地を目指すのだ。
◇
◇
般若心経を心の中で無限ループさせて居るうちに再び自然の眠りに飲み込まれていたみたいだ。
「……クレオ。すまないがそろそろ起きないか?」
寝ている俺の肩を軽く揺するエミュの声は脳内に染みるように響き昨夜の白く甘い記憶が蘇る。
あー煩悩に呑み込まれそうだよ、色即是空空即是色。
顔を合わせたエミュの表情から張り詰めた物が抜け落ちて居たのと、青白かった顔色が落ち着いて来ていたのがせめてもの救いだ。
男子の証明は……昨夜と形状的にはあまり変化はなかったけど、これは起き抜けだから、自然現象だから。
と、自分に言い聞かせる。
◇
軽く身支度を整えてからエミュと相談して上層の偵察を開始した。
石坂を登り切った一つ上の層。便宜上+一層と呼ぼう。
ダンジョンの作りは下の層とほぼ変わりない。
「普通なら一層上がればモンスター戦はかなり楽になるはずなんだが……」
何だかエミュのつぶやきの歯切れがよくない。
「が?」
さり気なく続きを促す。
「下の層で接敵したモンスターは単体で強めの個体が多かった。層が浅くなれば単体としては弱い種類になるが、その分を数で補ってくる場合があるんだ」
エミュの言いたいことが分かった。
「それだと今の俺達には厳しいかもしれないな」
何しろ手数が無いのだ、一体にかかりきりになってる隙に別の個体から攻撃されたらかなり厳しい。
「なるべく密集して、お互いをカバーし合える配置で動こう」
下層では片方が飛び出したりする場面が多かったけれど、+一層ではそれでは分断されて各個撃破される可能性が高い。
もっと連携を意識しないと生き残るのは難しいかもしれない。
「さてクレオ。右と左どっちへ行きたい?」
+一層へ第一歩を踏み出す。
ウィル・オー・LEDを先行させ前方の様子を窺いながら岩の洞窟を進んでいく。
五分ほど歩いて丁字路にぶつかる。
右手法で進んでいるのでここで右折。
またしばらく歩いたところで前方に異変があった。
ピョコ。ピョコ。
LEDに照らされた薄暗がりに現れたのは。
中型犬程のサイズの白い影が五つ六つ。
やはり数が増えている。
「クレオ、逃げられるか?」
エミュの声が震えている。
「飛び角兎だ……」
ダンジョンに白兎だと!?それはヤバい予感しかしない。
「浅層での探索者死亡原因一位は、角兎の角に刺されての失血死だ」
「……エミュ、俺の後に入れるか?曲り角までこのまま後退しよう」
身体の前面に盾を構え兎の突撃に備えながらジリジリと退がる。
ピョコ、ピョコリ。ぴょん。
アカン。奴らが距離詰めてくる方が早い。
どちゅん!
「来るぞ!」
身を屈めていた一匹が跳ねミサイルのように突っ込んできた。踏ん張って対ショック防御。
ガイン!
棍棒でひっぱたかれた様な衝撃が盾から両腕に伝わりビリビリと両の手を痺れさせる、体勢を崩しそうになるのを何とか堪えた。
盾にぶち当たった兎角ミサイルは盾を蹴ってくるくると宙をきりもみ、シュタッと立ち上がるとさらに後方へ飛び退った。
前に三匹、後ろに三匹。
二列横隊でジワリジワリと間合いを詰めてくる。
「クレオ、すまんがこのまま盾にさせてもらう。下がりなから飛んで来た奴をファイアボールで迎撃する」
真後ろからエミュが囁く。
首筋にかかる吐息がこそばゆい、何気にご褒美ごっちゃんです。
よっしゃ、まだ戦う術はある。
今は戦略的撤退だ。




