異世界召喚されたけど、勇者は働きたくありません!
私の名前は暁春陽、職業は社畜の23歳。ある日会社帰りに推し作家の池田エマ先生の新刊『眠り勇者の物語〜医者のいないこの世界で〜』を買いに走っている時に事故に遭い、目を覚ましたら――肉体が転生を果たしていた。私を召喚したという睫毛バサバサの男が告げてきたことを要約すると、私は強制的に社畜から勇者に転職させられた、ということらしい。
睫毛バサバサ男に連れられて、私はわけのわからぬまま偉い人の前に立たされていた。この世界だかこの国だかで一番偉い人はピンクの長い髪をした美しい女性だった。
「勇者様、ようこそムーンレイ王国へ。私はこの国を治めるラビエル・ムーンレイと申します」
女性改めてラビエルさんは白いドレスの裾を掴み、優雅にお辞儀をした。とても若く見えるがお幾つぐらいなのだろうか。可憐という単語がとても似合う方だ。
「あ、なんか勇者になっちゃった暁春陽と申します。あの、元の世界に戻りたいんですけど、どうしたらいいですか?」
睫毛バサバサ男に睨まされた気がするが、知ったこっちゃない。こっちは推しの新刊を読まずに飛ばされて、いきなり勇者とかいう超重要なポジションに任命されているんだぞ。絶対新人に就かせたらダメなポジションだろこれ。
「春陽様、とても申し上げにくいのですが……」
ラビエルさんは目を伏せて、申し訳ないという顔で切り出した。嫌な予感がする。
「勇者召喚には春陽様のいらした世界と私どもの世界を繋ぐ儀式が必要でして、二つの世界を繋ぐのは300年に一度しかできないのです」
「さ、さんびゃく!?」
嫌な予感は見事的中し、私の希望は砕け散ったのだった。私が戻るのは無理でも新刊か池田エマ先生をこっちに引っ張るぐらいはできるかと思ってたけど、甘かったな。
「春陽様を元の世界にお返しすることは叶いませんが、この世界で不自由なく過ごせるよう準備させていただきます」
ガックリと項垂れた私に、ラビエルさんがそう申し出る。不自由ない生活かぁ。これがニート許可という話ならありがたいけど、絶対に違うということは「勇者」という肩書きが証明している。そもそも良いことばっかり並べ立てるのはブラック企業がよくやる手法だ。騙されてはいけない。
「ラビエルさん。私は勇者としてなにをすればいいんですか?」
つまり、不自由ない生活に対して私はなにを差し出さなければならないのか、という質問である。勇者とかいう漠然とした職業だもの、確認大事。給料の額面に惹かれて「見込み残業」という制度を見落とすと大変なことになるからね。
「春陽様は勇者様として、この国を……いえ、世界を救っていただきたいのです」
「……と、申しますと?」
「魔王の討伐をお願いします」
なるほど、不自由ない生活の対価は私の命ってコトね。ワァ……ブラック企業も裸足で逃げ出す均衡のとれなさでびっくり。
「お断りします」
「え?」
「は?」
ラビエルさんと同時に今まで黙っていた睫毛バサバサ男が声を上げた。いやこっちのセリフなのよ。
【譲】不自由ない生活
【求】私の命
こんな取引あってたまるか。ブラック労働断固反対!
「武器など一度も握ったことがありません。包丁の扱いさえ怪しいので、死にたくありません」
「は、春陽様、召喚された勇者様には特別な力が……」
「死にたくありません!」
「すぐにというわけではなく、力を使えるまでサポートしてからのお話で……」
「嫌です」
「春陽様に断られますと、この国の未来が……」
「無理です」
なんか最後泣き落とししようとしてない? ラビエルさん本当に綺麗だから、絆されそうになったよ危なかった。私じゃなかったらコロッと落ちちゃってたね。
「ラビエル殿下、発言してもよろしいでしょうか」
「ニコラウス……発言を許可します」
「ありがとうございます」
睫毛バサバサ男の名前はニコラウスというらしい。ニコラウスはラビエルさんに頭を下げてから私に向き直った。なにを言われても揺らぐつもりはないけど、聞くだけ聞いてやろうじゃないの。
「勇者様、申し遅れました。私はニコラウス・クラヴィウス。勇者様召喚の任を賜った者でございます」
「ご丁寧にどうも」
思ったより腰が低いというか、物腰の柔らかさに毒気を抜かれそうになる。でもこういうキャラは要注意である。何せ今はラビエル殿下の御前なのだから、どんな人間でもある程度取り繕うはずだ。社長の目の前で会社に暴言を吐く人間はいないってわけ。
「私、絶対に魔王討伐なんて無理です。勇者なんて嫌なんですけど」
「はい、勇者様のおっしゃる通りだと存じます。突然の異世界に戸惑っていらっしゃる段階で魔王討伐を決意するのは大変に難しいことでしょう」
「え? あれ? あ、はい」
なんかニコラウス、すごい寄り添ってくるじゃん。若干ラビエルさんのお願いをディスってるようにも聞こえる気がするけど大丈夫かな?
ラビエルさんの方を確認するが、青い瞳に涙はないようでほっとした。それどころか私に微笑みかけてくれるから、この人すごい人だ。今度から様付けで呼ぼう。
「勇者様はまだこの世界に不慣れかと存じます。しばらくの間この城で暮らし、この国のことや魔王のことを知ってから討伐のことを検討されてはいかがでしょう?」
これまたうまい話を提案された。うまい話には裏があると言うけど、この場合の裏は私が勇者として魔王を倒す気になることだろう。でも私が魔王討伐に行く気分になることあるかな? いや絶対ない気がする。そしたらこのお話は100パーセントおいしいだけの話では?
「城で暮らせるならありがたいですけど、私お金もないし食事代とか出せないですよ?」
「もちろん、お食事もこちらでご用意させていただきます」
「着替えとかもないし」
「後ほど商人をお部屋に向かわせますので、お好きなお召し物をお選びください」
衣食住揃っちゃった。これが勇者特権というやつだろうか。
あまりにも私に都合の良い条件で話がつきそうになり、逆に不安になった私は周りにいる人の顔を見渡していた。なんか偉そうなおじさんたちが頷き合って「妥当でしょうな」とか言ってる。あれ、本当にいいの?
「本当にいいんですか?」
「もちろんでございます。ただ、ひとつだけお願いが……」
「お、お願い……?」
「私を勇者様のお付きとしてお傍に置いていただきたく存じます」
「え」
「ラビエル殿下、よろしいでしょうか」
「もちろんです。ではこれよりニコラウス・クラヴィウスを勇者暁春陽様の従者とします」
「ええ」
なんかあっさりニコラウスが私の従者になった。日本社会で生きてきた私は従者という関係に縁が無さすぎて、この条件の善し悪しを判断できない。
「と、とりあえずよろしくお願いします?」
「はい、勇者様。このニコラウス、勇者様のために持てる知識全てをもってお支えいたします」
この時の私は知らなかったのだ。この金髪睫毛バサバサのニコラウスに、これから毎日のように魔王討伐へ行くよう進言されることを。あの手この手を使って。でも私は絶対に、勇者としては働きたくないの!
ブラック労働撲滅宣言! 今日から働かせたいニコラウスと働きたくない私の、壮絶な戦いの日々が幕を開けた!