純喫茶店のすゝめ
小汚い国、小汚い街、小汚い通りにある小汚い喫茶店からこの物語は始まる。目の前にあるホットコーヒーは数分前に提供されたにも関わらず、真冬の縁石の温度ほどまでに下がっていた。僕は亭主のこだわりのコーヒーカップを口元に運び、一啜りする。苦味と酸味が同時に口内に広がり、僕の目元が歪む。ゆっくり目をあけると煙草の香りが漂い、ホコリを被ったエジソン電球の光が僕の目に入る。嫌な汗とテレビの音が体の中に響き渡った。
亭主は煙草を片手に、気だるそうにテレビを見ていた。煙草の匂いは彼が発していたに違いない。僕は居心地の悪さと手元のゴルゴ13の続きを天秤にかけ、もう一杯コーヒーを頼んだ。亭主は何も言わず、気だるそうにコーヒーの準備を始める。僕は手元のゴルゴ13に目を落とし、本の文字を目で追いかけた。亭主は何年も同じ動きをして身につけたであろう手さばきでゆっくり、素早くコーヒーをドリップする。亭主が咥えた煙草と注がれたコーヒーの香りで店の中は独特の香りが充満する。壁も床もテーブルも亭主の後ろにあるガラス戸もこの匂いを何十年も吸い続けたのだろう。
極限まで切り詰めたコミュニケーションを味わえる場所が純喫茶である。カフェでは断じてない。オシャレな音楽も日光を浴びるテラス席も若い男女の店員もいない。ただ、いたずらに時間が過ぎていく場所である。僕の休日の大半はここにいる。齷齪と連日働いた僕の顔や体は微かにここの亭主を連想させる。つまり、喫茶店とは「疲れた人間」が別の「疲れた人間」を癒やす場所なのだ。
提供された二杯目のコーヒーは相変わらず生ぬるい温度のようだ。僕は辺りを見回し、頭を全く働かさず、ゴルゴ13に目を落とす。この空間が好きだ。時間も場所も外界から遮断された場所、そこが純喫茶店である。図らずとも、ご興味が湧いた方はぜひ、ご来店をお待ちしてます。