黒幕は私です③
俺は姉さんの事が嫌いだ。
何故なら基本的に厄介事しか起こさないから。そしてその厄介事は大体自業自得で、しかも手に負えなくなったら俺に泣きついて何とかしろと喚くから迷惑この上ない。
だが、今回だけは姉の引き起こした厄介事に感謝している。
あの邪魔な第二王子とリリーの婚約破棄させる大義名分をつくりだしてくれたのだから。
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「貴方の笑顔、死んでますね。」
これが俺、ユーリ・ブラックにリリーが初めてかけてきた言葉だった。
リリーは入学当初から目立つ少女だった。第二王子の婚約者ということもあってお近づきになりたい者が後をたたなかったのだ。
俺もリリーに特別好かれようとは思わなかったが嫌われるのはブラック公爵家の者としてまずい、そんな打算的な考えがあった。
だからリリーと偶然同じクラスになり隣の席になった時、あからさまに媚びへつらうことはなかったが、リリーに良い印象を与えるために笑顔をつくって挨拶をした。
そしてその笑顔を見てリリーが言ったのが先ほどの言葉だ。
俺は一瞬何を言われたのか分からなくなりフリーズしてしまったが、リリーはそんな俺を気にすることなく、俺が我にかえった頃にはもう前を向いて何やら難しそうな本を真剣な表情で読んでいた。
なんだこの女は……と言うのが俺のリリーへの第一印象。
正直苦手なタイプの女だった。感情の読み取れない表情も全てを見透かしている様な真っ赤な瞳も、見つめているとなぜだか心がざわめいて俺を落ち着かない気持ちにさせるから。
関わらないでおこう。そう思っていたのに、いつしかリリーは俺の心の中に住み着いていて、俺はどうしようもない気持ちをもて余していた。
失礼な女で、婚約者もいて、しかも相手は第二王子で、諦めなければいけない理由はいくつもあるのに、何故だか俺は気づいたらリリーを目で追っている。
思えば諦め続ける人生だった。
物心つく前に両親を失くし、叔父夫婦が後見人となってくれたが無償の愛を与えてくれることはなかった。
叔父夫婦は俺達姉弟を心配して後見人になったわけではなく、単純に両親の残した遺産や公爵家の地位や名誉といったものが欲しくて、付属品として付いてきた俺達姉弟のことは仕方なく引き受けた、という所だろう。
だから俺は早々に家族に愛情を求めることを諦めた。
そして姉のマリアとは八つ歳が離れていたが、マリアは弟を守ろうとかそんな風に思う女ではなく、むしろストレス発散の捌け口に弟を使う様な女だった。
叔父夫婦にもその息子や娘にも、さらには実の姉にまで気を使い、怒らせないように、必要以上に関わらないように、そんな風に俺は息を潜めて広い屋敷の中でひっそりと生きてきた。
そしていつしかマリアは愛情不足からか次第に外で奔放に遊びまわる様になり、俺には"マリアの起こした問題の尻拭い"という新しい役割が与えられた。
なんて素晴らしい家族だろう。
その頃には、俺は自分を押し殺す術を完全にマスターしていた。
簡単なことだ。口答えせず、ただ相手の要求や罵倒を聞き流し時が過ぎるのを待つ。その後は余計なことは言わず愛想笑いをして相手の求めるものを何でも渡す。
執着するものなどなかった。求められれば答える、渡す、頭を垂れる。プライドなんか持てば面倒が増えるだけだ。
いつしかそんな風に何もかもを諦めて生きてきた俺が唯一執着したもの、それがリリー・レッドだった。
いつからだったか、それがどんな感情なのか、それはわからない。
いや、わかっていても無視することを決めたあの日、ただリリーが幸せに生きてくれることを静かに心の中で祈った。
そんな俺の気持ちを知らないマリアが引き起こした、今回の第二王子略奪妊娠騒動。
正直、第二王子が女遊びが激しいことはもはや社交界の内外でも周知の事実だったので驚きはしなかった。
そんな男にリリーを、と怒りを感じてはいたが第二とはいえ王子の婚約者か、公爵家の息子とは言えほぼ叔父夫婦に乗っ取られ跡目を継げる可能性はゼロに近い自分。どちらがリリーを幸せに出来るのかと問われれば間違いなく第二王子の方だろう。
だからどうすることも出来ずに、胸に燻る思いをもて余すしかなかった。
たがマリアが王子と関係を持ち、子まで身籠ったのなら話は別だ。
周知の事実である王子の浮気も、今までは誰もが見て見ぬふりをしてきた。何故ならばそれは貴族社会では珍しくもないごく普通の事だからだ。
しかし遊び相手が公爵家の令嬢で、しかも子までつくり、尚且つその事実を公にされれば見て見ぬふりは出来ない。
第二王子はリリーとの婚約を破棄し、責任を取らなければならなくなるだろう。
これが身分の低いものであればまた違ったのかも知れないが、家格はほぼ同等のレッド公爵家とブラック公爵家。
元々レッド公爵と国王陛下が旧知の仲であることで結ばれた縁談だ。その相手がリリーからマリアになっても何の問題もないだろう。
俺は泣きついてきたマリアを優しく宥め、そして焚き付ける。
「姉さんこそアル王子の婚約者に相応しい」と。
そしてレッド公爵邸で、さも姉の幸せを心から願う健気な弟を演じる。
出来るだけ大袈裟に。
そう、大袈裟に演じるだけでよかった。マリアが第二王子と関係を持っていようがいまいが、子を孕んでいようがいなかろうがそんな事はもはやどうでもいいのだ。
大事にして、姉の名誉を傷付け、責任を取らせる。
そうすればリリーもただではすまないとわかっていた。
第二王子の醜聞は、何の落ち度もなくともリリーの名誉を傷付ける。
第二王子と婚約破棄をしてしまえばリリーにはまともな縁談は来なくなるだろう。
だから俺が責任を取ってやるのだ。
姉の不始末を詫び、リリーを妻として娶る。
物心ついた頃から姉の尻拭いをするのが俺の役目だった。
だから今回もそうするだけだ。
ユーリの顔に陰鬱な微笑みが浮かぶ。
高嶺の花に手が届かないのならば手折ればよいのだ、と。




