スライムと魔法と?????
「お嬢様!」
スライムが紅華お嬢様に躍りかかる。
ゼラチンのような身体を震わせ、その反動でこちらの頭より高く跳び上がった。
「――せぇぃっ!」
気合いとともに、お嬢様が拳を突き上げる。
が、その拳が突き刺さる寸前に、スライムが二つに分裂した。
分裂したスライムは、互いを押し合う反動で左右に分かれ、お嬢様の左右に着地する。
お嬢様と僕は同時に動いた。
「たりゃっ!」
「シッ!」
お嬢様は、向かって左のスライムにかかと落としを。
僕は、向かって右のスライムにナイフを投げた。
僕の執事服の内側には、十本のスローイングダガーが仕込まれている。
――プギャッ……
分裂したスライムの片方はお嬢様の踵で潰され、もう片方は中心をナイフで貫かれて動かなくなる。
ぶじゅっと、水風船が割れるような音を立てて、二体のスライムが液状化した。
「なんだ、やっぱり弱いんじゃない。分裂したのは驚いたけど」
「分裂は一回までなんですかね。それとも、クールダウンの時間が必要なのかな」
もし連続で分裂できるなら、お嬢様の攻撃をさらに分裂してかわせたはずだ。
……僕の方は、分裂が間に合わないタイミングを狙って攻撃したんだけど。
「ケイ、あんたのナイフだけど、スライムの急所を突いたってこと?」
「ええ、まあ。当てずっぽうですけど、うっすら核みたいなものが見えた気がして」
「わたしには見えなかったわ」
「そう、ですか……」
お嬢様の言葉に、僕は首を傾げた。
お嬢様の視力はかなりのものだ。動体視力は、特殊な訓練を積んでいる僕と同じくらい。遠くを見る視力や、色を見分ける視力は僕より高い。
僕にはスライムの体内にうっすらソフトボール大の核のようなものが見えたのだが、お嬢様には見えなかったらしい。
「何色をしてたの?」
「色、ですか……。そういえば、よくわかりません。なんとなく、周囲と違う感じがしたんですが……」
「ケイが倒した方にだけ核があった可能性は? 分裂したら核は片方にしかなくなる、とか」
「いえ、両方にありました。分裂する時に、核も二つに分かれました」
その動きがあったからこそ、僕は違和感に気づけたのだ。
もしスライムが分裂しないままだったら、核の存在に気づかなかったかもしれない。
「ふぅん? おもしろくないわね。ケイにだけ見えたなんて」
「偶然かもしれませんよ」
「じゃあ、確かめてみましょう」
お嬢様が、草原の奥に目をやった。
その先にはまたスライムがいる。
僕がさっき投げたスローイングダガーを回収する間に、お嬢様はもう駆け出していた。
「――せぇいやっ!」
お嬢様は、今度は様子を見ずに一気に仕掛けた。
宙返りしてからのあびせ蹴りだ。
不意を打たれたのか、スライムはお嬢様の一撃をまともに食らった。
分裂する暇もなく、スライムが弾け、どろっとした液だけが残される。その液も、ほどなくして蒸発するように消え去った。
「……よくわかんなかったわ」
「なんか、やっぱり強くなさそうですね」
「あっ! あっちに赤いのがいるわ! 透明なのより強いのかしら!?」
「わかりませんよ……って、待ってください!」
お嬢様が赤いスライムに向かって駆け出した。
赤いスライムは、さっきのとは違って、お嬢様の接近に気がついた。
分裂するか。
僕がそう思ったところで、赤いスライムの体内が光った――ように見えた。
「――お嬢様っ!」
僕の声に、お嬢様が進路を直角に変えた。
慣性を好きな方向へ自在に変えるという特殊な歩法だ。
お嬢様がさっきまでいた場所を、真っ赤な炎が駆け抜けた。
「ま、魔法だわ!」
お嬢様が足を止め、目を見開いてそう叫ぶ。
「下がってください、お嬢様!」
ダガーを構えつつ僕が言うが、
「馬鹿ね! ここで下がったら死ぬわよ!」
お嬢様はさらに前に出た。
直後、赤い炎がスライムから噴き出した。
扇状に広がる、身の丈ほどもある紅蓮の炎だ。
「その技は一度見たわッ!」
お嬢様は、ステップで斜め前に踏み込んだ。
扇の付け根に飛び込み、最小限の横移動で、広い範囲攻撃をかわしたのだ。
「今光ったのが核ってわけね!」
お嬢様の手刀が、赤いスライムの身体を貫いた。
――プ、プギィィィ!
スライムは絶叫するが、まだ倒れるには至らない。
「あら、足りなかった? ならこれで!」
お嬢様は反対側の手を握りしめ、スライムの身体に突きを放つ。
――プギャッ……!
と悲鳴を残し、赤スライムが弾けた。
文字通り――弾けた。
ゼラチンのような身体が、紅蓮の炎と化して爆散したのだ。
「きゃっ!」
「お嬢様!」
僕はあわてて、爆炎から跳びのいたお嬢様に駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
「大げさね。直前で跳んだから大丈夫よ。びっくりはしたけどね」
けろっとした表情のお嬢様に、僕はほっと胸を撫で下ろす。
実際、お嬢様に怪我や火傷をした様子はない。
本人が言った通り、爆発を察して、爆炎より速く跳びのいたのだ。
「よく爆発するとわかりましたね」
「勘よ」
当たり前のように、お嬢様が言った。
「流石です」
「何言ってるのよ。ケイだってこれくらいは躱すでしょ」
「さすがに、いきなり爆発されたら驚きますね」
敵が爆薬を所持しているとか、周囲に可燃物があるとか、そういった前情報があれば、対処のしようはいくらでもある。
だが、ゼリーにしか見えないスライムにいきなり爆発されたら、対応の時間が限られてしまう。
ゲームで言うところの初見殺しのようなものだ。
しかも、このスライムはお嬢様の攻撃を一発耐えた。
(スライムなんかがこんな初見殺しをしてくるのか……。この世界、想像以上にヤバいのかも)
僕が思わず考え込んでいると、
「今、なんか変な感触があったのよね」
と、お嬢様が言った。
お嬢様は、スライムに突っ込んだ手を、首を傾げて眺めている。
「変な感触……ですか? まさか、お怪我を……いや、ひょっとしたらウイルスや病原菌か!? くそっ、ここは異世界なんだ! 未知のウイルスの存在をまず疑うべきだった……!」
「ち、ちょっと! 勝手に盛り上がらないでくれる!? そういうんじゃないから! ここの空気に嫌な感じはしないから、病原菌やウイルスの心配はいらないわよ!」
お嬢様の両肩をつかんで言い募る僕を、お嬢様が振り払う。
実際、お嬢様は病原菌やウイルス、寄生虫などの侵入を察知できる。
呼吸法で免疫を高め、侵入した微生物を撃退することも可能だ。
同じことは僕にもできる。
「で、では、何が?」
「なんていうか、何かが流れ込んできたような感じね。あの赤いスライムの核から」
「なっ……! もしや、毒!?」
「毒でもなくて。なんかの力よ、力。カッと燃え盛るような何かが入ってきたっていうか……。これは……ああ、そうか、こういうことね!」
お嬢様はそう言うと、いきなり両手を前に向ける。
「ええっと……なんでもいいのかしらね?
――燃えろっ!」
お嬢様の手の中に、小さな火の玉が生まれた。
野球のボールくらいの大きさだ。
「わっ、なんですか、それ!?」
「すごいじゃない! 本当に使えたわ!」
お嬢様は手の中に火の玉を保ったまま、僕に向かってそうはしゃぐ。
「ちょっ、それ、こっちに向けないでくださいよ!」
「あ、ごめん。ええっと、ほい!」
お嬢様が適当な感じに火の玉を放った。
火の玉は放物線を描いて飛び、数メートル先に着弾した。
その場に生えていた草が焦げかけたが、草の水分を飛ばすほどの火力はないらしく、火は延焼することなく消滅した。
「魔法……ですか」
「みたいね。なんか思ってたよりしょぼいけど」
お嬢様が肩をすくめた。
「いや、十分すごいですって。あの赤いスライムから覚えたんですか?」
「覚えたっていうか、入ってきたのよ」
「じゃあ、赤いスライムの核がカギですか。それとも、赤いスライムを倒すだけでもいいのかな? 魔法の習得方法としては簡単すぎるような気もしますけど」
「試してみればいいじゃない。ほら、あそこにも赤いのがいるわ」
「僕がですか?」
「わたしはもう覚えたし。たくさん倒せば魔法が強くなるのかもしれないけど、まずはケイが覚えるのが先決よ」
「わかりました」
僕は、草原の奥に見える赤いスライムに近づく。
音もなく、僕はスローイングダガーを数本放つ。
もう僕には、スライムの核が見分けられるようになっている。
映像として見ているだけだとわからないのだが、なんとなく、周囲より「濃い」感じがする箇所があるのだ。
僕の投擲したダガーが、赤スライムの核に連続して突き刺さる。
――プギャッ……!
赤スライムが爆発した。
「どう?」
そばに来ていたお嬢様が聞いてくる。
「……いえ、僕にはわかりませんね」
「たしかに、何かが起こったようには見えなかったわね」
「ひょっとして……僕には魔法の才能がないとか?」
「そうとも限らないでしょ。だいたい、わたしとケイでどっちに魔法の才能がありそうかって聞かれたら、百人中百人があんたって答えるわよ」
「それ、根暗そうって言ってるだけですよね?」
「ま、それは冗談だけど。ケイ、あんたは今、スライムを遠くから倒したじゃない。それも投げ物で」
「……ああ、なるほど。核を直接攻撃しないといけないんですね」
「たぶんね。できれば、素手でやるべきね」
「じゃあ、今度はあいつで試してみます」
少し離れた場所に、もう一匹赤いスライムがいた。
そいつは仲間がやられたことに気づいたらしく、こっちに向かって跳ねてくる。
着地するたびに、地面の草が燃え上がる。
不思議と殺気は感じない。
「動物っていうより、植物に近い感触ね」
「たしかにそうですね」
お嬢様に返事をしつつ、僕は跳びかかってくる赤スライムを横にかわす。
勢いあまって餅みたいに潰れた赤スライムの脇から、核へ向かって腕を差し込む。
尖らせた指先で核に触れる。
それだけで、僕には核の壊し方がわかった。
軽く爪を立て、指先を斜めに滑らせる。
――ピギッ!?
一瞬後、爆発するスライムから跳びすさりながら、僕は指先から熱い何かが流れ込んでくるのに気がついた。
「うまくいったみたいね」
「ええ、どうやら。
ええっと――爆ぜろ!」
僕の指先に火球が生まれた。
さっきのお嬢様の火球と同じ大きさだ。
僕は指先で火球をくるくると回してみる。
「そのポーズ、かっこいいわね」
「投げてみます。えいっ!」
火球は放物線を描いて数メートル飛んだ。
お嬢様の時とほぼ同じだ。
「ふぅん。威力に差はなさそうね。ゲームだったら魔力の大きい方が強いとかあるんでしょ?」
「ゲームによりますね」
「よかった、ケイより魔力が弱いとかだったら腹が立つところだったわ」
冗談ともつかない口調でお嬢様が言った。
お嬢様は負けず嫌いだ。
もし魔法の威力が僕に劣るとなったら、ムキになって魔法を練習するに違いない。
……ところで、肩をすくめるお嬢様の前に、さっきから見慣れない文字列が浮かんでいる。
僕には、それがどういうものなのかすぐにわかった。
テンプレ中のテンプレだ。
だが、さすがの僕も驚いた。
現実でそんなベタな展開にお目にかかれるなんて思ってもみなかったからだ。
僕にそんなものが見えたという様子を、お嬢様に悟らせないのにも苦労した。
そう。
お嬢様の前に浮かんでいる文字列は――
《
鳳凰院紅華
レベル 19
HP 87/87
MP 63/67
スキル
【火魔法】1(NEW!)
【インスタント通訳】
》
……ステータス以外の何物でもなかった。
お読みいただき、ありがとうございます。