04.私の思考回路が変になる
前半“私”視点、後半少しだけ“皇帝”視点。
「部屋を用意します」と言って、自分のことを皇帝だと言う青年を居間に残し、逃げるように私は空き部屋へやって来た。
窓を開けてざっと畳を箒で掃いて、叔父の部屋から使っていない布団一式を運び入れ、ペタンとその場に座り込む。
箪笥に布団しか置いてない殺風景な室内を改めて見渡して、どうしてこうなったんだと頭を抱えてしまった。
今日一日で色々な事がありすぎて、思い返すと頭が痛くなってくる。
初彼だと受かれていたら、あっという間に失恋してズタボロにされた上に、異世界からやって来たとかいう美形に痛め付けられるなんて。私が何か悪いことでもしたのか。
それとも、呪術を探して元彼を呪おうとした報いなのか。項垂れて、深い溜め息が出た。
「通報した方が良かったかな......」
流れで受け入れる気になってしまったが、不法侵入暴行未遂?の不審者として警察に通報しても良かったのだ。
不審者、異世界からやって来たという聞いたことがない国の皇帝陛下ベルンハルトは、肩より少し長めの銀髪をハーフアップにし不思議な光を宿す蒼色の瞳を持ち、冷たい雰囲気を纏いつつもとんでもなく整った顔立ちをした美青年だった。
通報を躊躇ったのは、受け入れてしまったのは、あまりにも彼が綺麗だったから。
映画俳優以上の美青年と心臓が繋がってしまったとか、意味不明だけど、いきなり腕に出来た切り傷は本物で泣きそうなくらい痛いのも本物で。
恋愛小説やファンタジー漫画だったら、最初はわだかまりがあっても、この後は少しずつお互いを知り恋に落ちていくという展開だろうけど、私は彼に恋をするのはちょっと遠慮したい。
初対面で肩を外され腕を斬られたのに、加害者を許して恋愛感情を抱くなんて怖い。背中越しに感じた刃物みたいな殺気と、体の自由を奪うくらい強い力を思い出すだけで体が震えてしまう。
怖くて堪らないのに、突然知らない場所へ来てしまい困っているだろう人を見捨てられないのは、彼の綺麗すぎる容姿も理由だが所謂日本人の性なのか。
居間へ戻り、腕からの出血で汚れた服を洗濯したいからと入浴を勧めた私へ、皇帝陛下は入浴の介助しろとほのめかした。
いくら高貴な身分だろうと、知り合ったばかりの異性に頼むとは信じられない。
皇帝という立場の方は、お風呂の世話を他人にさせているのかと顔がひきつった。
入浴の介助を断固拒否し、シャンプーとボディーソープ、シャワーの使い方を説明して彼を浴室へ押し込んだ。
着替えは叔父の寝間着を用意したが、身長の差と足の長さを考慮して浴衣を用意した。浴衣なら、多少サイズが小さくても大丈夫だろう。
浴室から聞こえる水音と、磨りガラス越しに見える肌色に私は赤面して、足早に居間へと戻った。
居間へ戻った私は、濡らした布巾で軽く叩いてベルンハルトが脱いだ黒い上着の血で汚れた腕周辺の染み抜きをする。
黒地に銀糸で綺麗な刺繍が施された上着は、手の込んだ高級なもの。朝一でクリーニングへ出せば染みにはならないだろう。
上着をハンガーにかけて鴨居に引っかけて干していると、カラリ、と廊下と繋がる引き戸が開いた。
「おい」
「ぎゃー!」
引き戸から居間へ入って来たのは、入浴を済ませたベルンハルト。
浴衣を羽織っただけの腰紐を締めていない状態で、はだけまくった胸元から引き締まって固そうな胸筋とくっきり割れた腹筋、筋肉がついた太股が見えていた。
風呂上がりのためシャンプーの香りがする濡れた髪、少し上気した頬、という色気垂れ流し状態の彼の姿は、異性への耐性がほとんど無い私にとって衝撃が強すぎる。
たまに帰国する叔父用に買ってあった、新品ボクサーパンツを履いてくれていて助かった。
「これはどうやって着るんだ?」
腰紐を差し出され、弾かれたように私は手を伸ばす。
「あ、えっと、これはですねぇ」
視線を逸らし、肌色を見ないようにして腰紐を結ぶ。
浴衣越しに腹筋の硬さを感じ、腰紐を結ぶ私の指先が震える。
どうにか結び終わった私の手の甲へ、ポタリと上から水滴が落ちた。
「髪、びちゃびちゃじゃないですか。しっかり拭いてください」
呆れを含んで見上げた私に、ベルンハルトはムッとした顔でタオルを渡す。
「お前が拭け」
自分で拭きなよ、と言いかけてぐっと言葉を飲み込む。
皇帝陛下だから偉そうなのは仕方ない、と自分に言い聞かせながら私はタオルを受け取った。
「椅子に座ってください」
異世界の皇帝は自分で髪も拭かないのかもしれないし、と思うことにして、私は水分を含んだ銀髪をタオルで丁寧に拭いていく。
初めて触れる銀糸は見た目通り滑らかな手触りで、室内灯の灯りを反射して煌めいていた。
髪を拭いている間は、お互い無言で時計の音しか聞こえてこない。
(さっきは悪鬼みたいな顔だったのに、これじゃあ毛繕いを喜ぶ大型犬?)
濡れた髪を拭きドライヤーの風で乾かし終わった頃には、空はもうほのかに白みだしていた。
夜更かしして眠気に襲われていても、正直な私のお腹は空腹を訴えだす。
ベルンハルトにも確認すると、彼も長らく食事はしていなかったそうなので、私は朝食の準備を始めた。
簡単に済ませたいから、味噌汁とだし巻き玉子、作りおきして冷凍していたきんぴらごぼうとご飯を解凍するだけ。
作りながら、私はいったい何をしているんだろうと、自問自答する。
綺麗な顔をしていても、異世界の皇帝だとしても危険人物には変わり無いのに一瞬に食べるご飯を用意するとか、チョロすぎやしないか。
「和食だから口に合うか分からないけど......」
「お前には夫がいるのか?」
テーブルに並べた朝食と私を交互に見たベルンハルトの問いに、持っていた箸を落としかけた。
「私はまだ学生だし、お、夫なんかいませんよ。この家で一人暮らししています」
「若い女にしては手際が良いから、夫がいるのかと思っただけだ。まぁ夫がいたら、俺の裸にあそこまで動揺はしないか。まさかお前、男を知らぬ生娘か」
顔を赤くする私の反応に、ニヤリとベルンハルトは意地悪な笑みを浮かべる。
髪の毛を乾かしていたときは大型犬みたいで可愛いかもと思ったが、撤回する。やっぱり彼は意地悪な悪鬼かもしれない。
***
食事を終え、用意した部屋の前までベルンハルトを先導したカホは「この部屋を使ってください」と言って戻って行った。
カホの背中を廊下の曲がり角まで見送り、襖を開けて部屋を見渡す。
室内には、照明以外は箪笥と時計、寝具しか置いて無く宮殿の自室と比べるまでもなく質素で、使用人の部屋並の狭さの部屋だった。
草を編んだ床というのも、椅子ではなく床に敷いた敷布に座るのは帝国とは全く違う生活様式のようだ。
女の一人暮らしなのに防犯意識と危機意識の無さから、少なくともこの周辺は平和なのだろう。
見聞きした少ない情報からも、ベルンハルトは心臓が繋がっていようが佳穂より自分が優位に立てると確信していた。
家屋に靴を脱いで入るのも、狭い風呂へ一人で入るのも、浴衣というガウンに似た衣を着るのもなかなか新鮮な経験だった。
寝具に腰掛けて、家屋内の気配を探ってもカホという女の気配しかしない。
常に側に控えていた侍従や護衛の気配がしないのも妙な気がして、ベルンハルトは立ち上がった。
異世界転移、心臓が繋がってしまうなど訳の分からない状況により頭が冴えて寝付けそうもなく、佳穂からこの世界の事を聞き出そうと居間へ向かった。
「おい、」
声をかけて、ベルンハルトは口を閉ざす。
襖に背中を向け椅子に座っていたカホは、テーブルに突っ伏して寝入っていたのだ。
こんな姿勢でよく寝られるものだと呆れつつ、カホのパジャマの襟首を掴み体を起こさせる。
「んっ」
一瞬だけ顔を顰めたカホは、むにゃむにゃと口を動かして穏やかな寝息をたて始めた。
「鈍い上に脆い体だな」
自分に危害を加えるかもしれない男が側に居るのに、全く気付かないとは。しかも、触れた首は片手でへし折れそうなくらい細い。
「こんな弱い女に心臓を握られる羽目になるとは」
片手で顔を覆ったベルンハルトの口から、クククッと笑い声が漏れた。
「厄介だが......これはこれで面白い」
竜王の血と力を継いだ自分は大概のことは難なくこなし、手に入らないものなど無かった。
謀反を企んだ割には、大した反乱も起こせなかった兄には期待を裏切られ物足りなさを感じていたが、この世界は自分の知らない未知のもので溢れている。
厄介だと口に出しつつ、無防備に寝入るこの女はどこまで愉しませてくれるのか、ベルンハルトはほくそ笑んだ。
互いを受け入れてしまったのは、色々あって思考回路がショートしているのと、魔術書の干渉かもしれません。