09.たこ焼きデート
異世界から我が家へ皇帝陛下がやって来てから十日経った。
ワインやビールに似た醸造酒を主に飲んでいたというベルンハルトは、商店街の酒屋で試飲した日本酒をいたく気に入って家でも晩酌をするようになっていた。
彼は酒のつまみとして凝ったものよりは簡単なものを好むようで、焼いた厚切りベーコンと有名メーカーの粗挽きウインナー、塩茹で枝豆がお気に入りらしい。
「此方の世界の食文化は面白いな。これは作れるものなのか?」
ベルンハルトが指差したのは、テレビ画面に映った美味しそうなたこ焼き。
「たこ焼き?」
以前、叔父がたこ焼きと明石焼き作りにはまっていた時期があり、たこ焼き用ホットプレートは確か台所にあった。
「家でも作れるけど、材料が無いし上手く回せるか不安だなぁ。
そうだ、明日食べに行きましょうか」
「それは、デートの誘いか?」
「はっ!?」
ニヤリと、意地の悪い笑いで言うベルンハルトにからかわれているとは分かっていても、私の頬は真っ赤に染まった。
「ちがっ」
「デートとやら、楽しみにしていよう」
否定の言葉にかぶせて言われてしまい、私は顔を真っ赤にして絶句する。
違うと言わせないようにしているのが本当に彼は意地が悪い。
それでも、“デート”の言葉に心臓の鼓動が速くなってしまうのは困りもの。
熱を持って赤く染まった頬を隠すために両手で包み込んだ。
翌朝、少し緊張する朝食を済ませてから自室へ戻り、買ってからタグすら切っておらずにしまっていた服を箪笥から引っ張り出した。
彼氏ですら無かったろくでなし男とのデート用にと、張り切って買った可愛らしい服。
動きやすいカジュアルな服を好んで着る私にとって、可愛らしさを全面に出した白いレースのノースリーブカットソーとふんわりしたピンク色のスカート。
普段着慣れない服を着たせいか鏡に映る自分の姿に違和感を感じて、私は鏡の前で一人百面相をしていた。
甘過ぎないデザインで可愛いが、何時もと違うピッタリとしたカットソーのため体の線が出てしまい恥ずかしい。
可愛い服装なのにナチュラルメイクだなんて似合わないかな、と手持ちのアイシャドウをコスメボックスから出して、念入りに濃くならないように化粧をする。薬用リップしか塗らない唇には、チェリーピンク色のグロスを塗った。
普段よりきちんと化粧をしたのだから、少しはベルンハルトと歩いていても違和感無いようになれていたらいいのに。
待たせてしまったことを謝らなければと思いつつ、居間へ向かった私はソファーに座るベルンハルトに声をかけるのも忘れてしまった。
「遅いっ、」
気配に気付いたベルンハルトが振り向き、そして大きく目を見開く。
「馬子にも衣装だってわかっていますから、そんなに見ないでください」
「いや、似合っていないとは言っていない」
痛いほどのベルンハルトからの視線に耐えられずに私は横を向く。
キャビネットの硝子に映る自分は確かに違和感があった。
普段は下ろしているか一つに纏めている髪は緩く巻いて、しっかりとマスカラを塗った睫毛はバッチリ上を向いていし、似合わないのは百も承知。
溜め息混じりに前を向くと、Tシャツにジーンズ姿のラフな格好のベルンハルトと目が合った。
ラフな格好なのに、彼が着ると一流ブランドの服に見えるのだから、美形は羨ましい。
夏休みと言うだけで電車利用者は増えているのに、昼前の繁華街へ向かう電車内の混雑は朝のラッシュ時まではいかないが満員状態。
少し考えれば分かることなのに、最近は通学にしか利用していなかった路線だったため、昼前時間帯の混雑まで思い付けなかった。
(満員電車を経験したいって何なのよ~)
駅のホームで電車待ちをしていた時、やって来た電車の混雑した車内の様子を見て、私は次の電車に乗ろうと言ったのだ。それなのに「満員電車を経験したい」と、さっさと乗り込んだのはベルンハルトだった。
いくら乗り換えしないで行けるとはいえ、混雑する路線を選択したことを後悔しても、あと一駅で目的の駅へと着くのだ。
愉しそうにしているベルンハルトになるべく体重をかけないよう、両足に力を入れて踏ん張る。
ガクンッ
カーブに差し掛かった電車が大きく揺れ、踏ん張りきれなかった体が後ろへ倒れそうになった。
後ろに立つ男性へ背中から寄り掛かってしまう前に、私の腰へ腕が回され引き寄せられる。
(あっ!?)
引き寄せたベルンハルトとは身長差があるため、ちょうど私の目線は彼の胸元へ吸い寄せられる。
チラリと上を向くと男性らしい喉仏とシャープな顎が見えて、私は慌てて視線を下へ向けた。
こんなに隙間無く密着するだなんて初めての経験で、緊張と恥ずかしさに私の心臓の鼓動は壊れてしまいそうなくらい速くなる。私の顔は熟れたトマトみたいに赤くなり、どうしようもないくらい熱を持ち、このままでは火が出るんじゃないかと不安になる。
(どうしよう、どうしよう。これじゃあ、勘違いしちゃう。嫌でもベルンハルトさんを意識しちゃうじゃない)
降車駅まではたった二、三分なのに、身を捩って体を離したくても隙間無くベルンハルトと密着している私には、息をするの上手くも出来ずに、窒息しそうになってしまう。
喘ぐように息をして後悔する。密着しているため、彼の匂いを嫌でも感じてしまった。
《××駅、電車とホームの間に隙間があるため、》
電車は目的の駅へ着き、次々に乗客が降りていく。
密着していた私とベルンハルトの間に隙間が出来て、腰へ回されていた彼の腕が離れていく。
離れていく腕を掴みそうになって、私はぎゅっと手のひらを握り締めた。
こんな気持ちになるのは、満員電車に揺られ疲れたせいだ。
そうじゃなければ説明がつかない。ベルンハルトと離れるのが寂しく感じるだなんて、どうかしている。
「満員電車というのもなかなか面白い。よくあの状態で乗っていられると感心する」
密着した感触と体温が生々しく残っているせいで、面白いと感想を述べるベルンハルトの顔をまともに見られない。
私は相槌を打ち、俯くように視線を下げて歩く。
顔を見るのが恥ずかしいのもあるけれど、平凡な容姿の私と共にいるのがとんでもなく綺麗な青年ときては、周囲からの視線を必要以上に集めてしまい気持ちがしんどい。
少し前を歩くベルンハルトはよく堂々と歩いていられるものだ。元居た世界では、皇帝陛下として人々の注目を浴びていたはずだから、人から見られるのは慣れているのかもしれない。
彼の生活していた世界と大分違うだろうに、違和感なく街に溶け込んでいるから適応能力は高いのだろう。
スクランブル交差点の横断歩道が赤信号に変わり立ち止まった時、無言のまま前を向いていたベルンハルトが急に後ろを振り向く。
心の声が聞こえてしまったのかと、少し怯えつつ見上げる私に彼は無表情のまま右手を差し出した。
「掴まれ。この状態でお前とはぐれたら面倒だ」
「へ?」
ぱちくり、ゆっくり瞬きをして脳内で耳に聞こえてきた言葉を噛み砕く。
今、何と言われたのか。手に「掴まれ」と言われなかったか? その言葉を理解するまで、たっぷり数十秒時間がかかった。
手を取るべきか悩んでいると信号が青に変わり、一気に人の波が動き始める。
ベルンハルトに睨まれるのも怖いが、立ち止まったままでいて通行の妨げになるわけにはいかない。迷っている時間など無かった。
「失礼、します」
ぎこちなく繋いだ手のひらから伝わってきた彼の体温は、思った以上に温かかった。
夏の満員電車は最悪だと思う。