第7話
DTDの心の中は海で満ちていた。
さんさんと照りつけるお天道様の下にひたひたと無限に波打つ大海原。
海面は日の光によって輝きを放ち、まるで磨きたての青銅のようだ。
どこまでも包み込んでしまうような静かな水の中にぽつんとただようDTD。
不思議なことに息苦しさが続くが延々と呼吸をし続けられた。
DTDにとって戦いとは喜びだ。
敵との一瞬、一瞬の命のやり取りの中で、脳のニューロンがばちばちと信号を発し、全身へと伝わる快感。
死と隣り合わせのスリル。
激戦の中、鮮血がほとばしり、塩汗が滲み出ることで空気が帯びる熱気。
脳をのぼせさせるほどの高揚感に駆られ、自分が何者かさえも分からなくなるほどの浮遊感。
どれも彼を十分に満足させる最高の刺激。
彼は生粋の戦闘狂なのだ。
彼の居場所は戦場であって、戦場も彼を求めてやって来る。
そんな彼がかつてのめり込んでいたガンゲームを「やめた」理由が1つ。
アカウントを永久凍結させられたのだ。
もともと、あのゲームではDTDは目に付いたプレイヤー、要塞を片っ端から潰していたのだが、無慈悲な蹂躙を恨んだ被害者たちによって<チート行為>として大量通報され、わずか1年でバンにまで追い込まれた。
DTDには理解できなかった。
彼にとって彼らプレイヤーは弱者だった。
弱者は全てを剥奪されてしかるべき存在だからだ。
何故、彼らがその事実を潔く受け入れないのか理解できなかった。
でも、今は少し分かる気がする。
このサバイバーオンラインにやってきて、1日足らずだが幾多の好敵手と戦いを交え、そして、完膚なきまでに打ちのめされた1戦。
これで、俺のこのゲームでの戦いも終わる。
いや、終わらせたくはないんだ。
弱者であってもいい。
全てを剥奪されてもいい。
だけど、戦いだけは。
戦いだけは失いたくない!
水圧で押しつぶされそうな冷たい常闇の世界から、上へ、上へと死に物狂いでもがき続ける。
されど、空の光には決して届かない。
もがけばもがくほど、海の水が黒い藻のように全身にまとわりつき身動きが取れなくなる。
やがて、全身が闇に包まれ小さな繭のように静かに果てしなく続く深海の奥へと引き込まれる。
「助けてやろうか?」
絶望に支配された中、真っ暗な世界で水の音とともに誰かの声が響き渡る。
誰だ……
意識を手放しそうなDTDが苦しそうに呟く。
「俺か? 俺はお前が過去に捨てた闘争心のないお前。つまり、もう1人のお前。お前の抜け殻」
ふっ、自分が過去に捨てた存在に自分の最後を看取られるとは皮肉だな……
「そうでもないぞ?」
何を言ってる。俺の戦いは終わった。俺とお前はこの深海で朽ち果てる……
「俺を視ろ」
何も見えない……
「違うその眼じゃない。ここはお前の心の中。心の眼で視ろ」
ッ! これがッ……お前なのか?
彼は珍しく、驚嘆した。そこにいたのは、決して彼が捨てた軟弱な抜け殻なんかじゃなかったからだ。
「そうだ。この深海に溜まった限りない闇を喰らい続けた。全てはこの日のために」
俺を待っていた、のか……?
「お前がその牙を削がれ、行き場を無くし、絶望の淵に立たされた時、俺がお前を救う」
ど、どうして見捨てた、俺なんかのために?
「かつて、俺はお前の一部であり、今でも俺はもう1人のお前だ。俺はお前に消えてしまっては困る。それに」
「俺は抜け殻といっても、もう1人の自分が消えてしまうのは、悲しいんだ」
彼はもう1人の彼を捨ててから初めて泣きじゃくった。
まるで、もう1人を捨てる前の幼い自分に戻ってしまったように。
彼の黒い繭が突如として消滅し、もう1人の彼と向き合う形になった。
「ごめん、なさい……お前に酷い、ことをした。こんな深海に閉じ込めて」
「いいんだ。その言葉が聞けただけで。俺、案外ここを気に入ってるんだぜ? 静かでいい場所だ。それに、お前は今のままでいい。ピンチになったらここから駆けつけてやる」
「あり、がどうっ!……」
「ったく、いつまでめそめそしてるんだ。話してるこっちが調子狂うぜ」
「わ、わかった……」
「で、もう一度聞くが、助けてやろうか?」
「……助けて欲しい! 俺はまだ戦える! いや、戦いたいんだ!」
彼の必死の訴えを聞き届けると、もう1人の彼が喜んだような気がした。
「じゃあ、俺にしっかり掴まってろ。とばすぞ」
彼はもう1人の彼にしがみついた。
その背中は大きく、頼もしかった。
もう1人の彼は一気に遥か上に広がる空に向かって上昇し始める。
もう1人の彼が舞い上がる間、ぶつかってくる水の凄まじい轟音の中でもう1人の彼の声が確かに響く。
「俺の力が借りたくなったら、俺の名を呼べ!」
「お前に、名なんてあるのか!」
「当たり前だ! お前に名があるように、もう1人のお前にも名がある!」
「お前の名は?」
「俺の名は……」
そうこう話している間に、琥珀色の海水を通して輝かしい空が見えてきた。
「いよいよ到着だぞ!」
「叫べ!」
「俺の名は!」
ついにそれまで2人を閉じ込めていた海の膜を破り、新たな「彼」が水しぶきとともに産声を上げる。
あまりにも眩しい太陽によって、彼の視界は真っ白に包まれた。
「デュラァアアアアアアアアアアン!」
突然、広場の中央で縛られたままのDTDが叫び出し、硬直する警ら隊40人。
その中でも、真っ先にモニカが異変に対応する。
「総員、警戒態勢ぃ!」
彼女は縛られたままのDTDに向かって剣を振り降ろそうとする。
しかし、キンッとまるで金属に攻撃を阻まれたように跳ね返される。
「ちっ、遅かったか!」
悪態をつくモニカの先にはうつ伏せになって魔法で縛られているDTDを守るようにドス黒い霧のようなものが現れた。
「モニカ隊長! どうしますか!」
緊迫した空気の中、レイン副隊長が指示を仰ぐ。
「一旦下がって様子を見る! 援軍を要請しろ!」
警ら隊の全員にその成り行きを見守られていたDTDがやっと目覚めた。
彼は縛られた状態で立ち上がり、自らの姿に気づくと、一瞬にして何重にも重ねられた光の束縛魔法を体から湧き出る闇によって溶かす。
新たな力が加わった影響で、より感覚が研ぎ澄まされる。
地下道が下に通っていることに気づいた。
危険だったらそこから逃げるのも手だろう。
ここで負けては元も子もないのだから。
そして、DTDを包む闇はさらに肥大化し形を変え、ドラゴンをかたどった。
体長20メートルは超える禍々しい漆黒のフォルム。
何より不気味なのが顔にある6芒星を写した1つの赤い目。
これはまずい、と勘のいいモニカはすぐ直感し、全体に指示を出す。
「魔法を撃てるものは攻撃しなさい!」
すぐに魔法によるDTDへの一斉射撃が始まった。
<火球>
<炎槍>
<酸の散弾>
<雷撃>
<無慈悲な空襲>
<恐怖>
<地割れ>
<輝爆>
数々の魔法が盛大に飛び交うが、漆黒のドラゴンとその中にいるDTDには傷1つ付いていない。
「こいつ、どうして魔法が効かないんだ!」
モニカの部下の1人が焦りを露わにする。
「モニカ隊長、これって……」
レイン副隊長があたふたしながらモニカに声をかける。
モニカは手の平をDTDの方に向け魔力を集中させた。
発動するのはレベル231のモニカの強力な魔法。
「<凍結地獄>!」
漆黒のドラゴンの周りに絶対零度の空気が立ち込め、たちまち凍りつく。
全てのものが凍りつく魔法だが、漆黒のドラゴンには氷の欠片すらついてない。
「あぁ、恐らくだが、魔法への絶対耐性」
「どうしましょうか!」
レインはますます動転しながらモニカに尋ねる。
「総員、てっ……」
モニカの指示を遮るように、DTDが動き出す。
「<邪悪なる生命収穫>」
ドラゴンの中から黒々とした半透明の液体が出てきて警ら隊のいる場所めがけて伸び始めた。
「逃げて!」
モニカの悲痛な叫びは警ら隊の面々に届かず、彼らの多くがその液体に飲み込まれる。
モニカと隣にいるレインはなんとか逃げ切って館の外まで走ったが、逃げることができなかった者たちは液体の中でもがき苦しみ命を絶った。
「何なんだ、あの魔法は……」
レインの呟きには微かな驚きと計り知れない恐怖の感情が含まれていた。
一方、DTDは静まり返った広場で圧倒的な力に自信でも内心驚いていた。
これが俺ともう1人の俺の力……いけるぞ!
しかし、目覚めた時、増援が来るということを耳にしたので慎重になっていた。
だが、さすがに潮時か。
うっ、頭がっ!
彼は激しいめまいに襲われ、その場で昏倒しそうになった。
強大すぎる力に体が悲鳴を上げているのだ。
逃げることにしたDTDはドラゴンに命じ、前足で地面を思いっきり崩させた。
瓦礫の中に、人1人通れそうな穴を見つけ、ドラゴンを消しそこに入る。
幅3メートル、高さ4メートルはある大きな地下道で先がどこへ続いているか分からず、薄暗かった。
確かに先ほど感知した地下道のようだ。
DTDはボロボロになった体を引きずり、闇の中へと消えていった。
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「消えた?」
広場の粉塵が消え、館の外でその一部始終を見ていたレインがつぶやく。
「いいや、違うな。そこに穴があるだろう。奴はそこから逃げたんだ」
モニカが指摘し、穴へと近づく。
「どうしますか、モニカ隊長?」
「私1人で追う。お前は隊の現状把握をして増援を待て」
「き、危険です、隊長!」
「このまま取り逃がす気か? それに、奴は弱っていた。今が好機だ!」
モニカはレインの制止を降り切って地下道へと乗り込んだ。
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果ての大陸で何千年も使われていないような風化し、錆び付いた玉座の間にて、銀色の髪をなびかせながら優雅に玉座に座る妖艶な女性がいた。
独特の黒を基調としたドレスを身にまとった彼女は天井に描き巡らせた荘厳な壁画に目をやった。
神話をモチーフにしたような絵で、たくさんの裸の人間や動物、植物が生き生きと描かれており、まるでこの世界の創世記を思わせるような格式高い何かを感じ取れる。
そこには8つの光り輝く玉が写っており、それを彼女は最愛の恋人のように愛おしく見つめていた。
そのまま通信魔法を使い、誰かと会話をするようだ。
「もしもし、べディアス? 闇の眼が1つ開いたわ」
聞いたものは誰でも魅了されそうな甘美な美声を彼女は誰もいない玉座の間で響かせる。
「ええ。すぐに彼を迎えに行ってあげて。場所は教えるわ。それから私に直接、会わせなさい。場所はあなたの館でいいわよね。じゃあ、今回は特別に私がゲートを開いてあげるわ」
彼女は通信魔法を切ると、天井の壁画に描かれているドラゴンを見ながら静かに上機嫌になっていた。
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DTDはまっすぐ伸びた真っ暗な地下道をずっと歩き続けていた。
研ぎ澄まされた感覚によって、誰かが後を追ってきているのが分かる。
500メートルくらいだろうか、大した距離はないように思えた。
このままではどこかで追いつかれる、と思ったDTDが腹をくくって迎え討とうとしたその時、後ろから突如としてゲートが開いた。
振り向くとそこから出てきたのは深く黒いフードを被った老人だった。
右手には魔力の込められた色とりどりの魔石で埋め尽くされたミスリル製の杖を携えている。
「お前が、DTDか?」
「そうだが、誰だ?」
「一緒に付いてきてもらう。お前に会いたい御方がゲートの先にいらっしゃる」
「拒否すると言ったら?」
「ここで追跡者に無残に殺されるか、儂に従ってゲートをくぐるかの2択だと思うがね」
「お前を殺して先に進むという選択肢は?」
「ハッハッハ、面白いことを言う。やってみるかぁ?」
突如として全身が逆毛立つほどの死のオーラが辺りを包み込む。
「どうやら、2択みたいだな。ゲートをくぐろう」
「物分かりが良くてよろしい」
老人が先にゲートをくぐり、DTDもその後を追おうとする。
「待て!」
背後から怒声が聞こえ、彼が振り返ると遠くに光属性の魔法で辺りを照らしながら、こちらに走って来るモニカの姿が見えた。
彼女はゲートを渡ろうとするDTDを追うことを諦めたのか、立ち止まって彼の方を指差した。
「次こそは絶対倒す!」
「再戦を楽しみにしてるよ」
戦闘狂としての期待を膨らませながら、DTDはゲートをくぐってその場を後にした。