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私の大好きな悪魔様   作者: 響かほり
冷たくて温かい世界
6/8


「壊す?」

「そう。だってヴァンは、食べられたいと願う君を食べたくないんだって」

「…え?」


 ネストの予測通り喜色を浮かべるどころか、顔色を真っ青にしたシズに、彼は微笑む。


「僕がさっきヴァンを怒らせた理由はね、食べ頃の君を食べろと勧めたからだよ」

「食べ…ごろ?私、こんな痩せっぽっちなのに?」


 ヴァンからは大きくなれと急かされているだけに、納得のいかない表情をしたシズに、ネストはカウチから腰を上げ、不安と混乱の渦巻くシズの前に行くと、片膝を折り、シズに視線を合わせた。


「だから、美味しそうじゃないって、師匠が…」

「確かに、君は物理的に食べるには、身が少な過ぎるし脂も少なそうだ。だけどね、身体の問題ではないんだよ?僕たちが本来食べるのは、魂の方だからね」

「魂?命…ってことですか?」

「そう」


 言い知れぬ危機感が背中を撫で、目の前の男から後退ろうとしたシズの両腕を、ネストの猛禽の手が掴み、ネストの顔がシズに近付く。


「君にはわらかないだろうけど、今の君は、とても美味しそうな香りがしている。まるで、早く食べてくれと言わんばかりに、僕たち悪魔の食欲を刺激する」


 言葉を裏付けるように、ネストの瞳が捕食者を狙う猛禽のそれに変わっていた。

 普段の優しい瞳とは、明らかに違う恐ろしい眼差しに、シズは息を飲む。

 彼女の身体は、微かに震えていた。


「そんなの……嘘です」

「僕は他者を惑わすための嘘が大好きだよ?だから、嘘はたくさん吐く」

「じゃあ、嘘、なんですよね?」

「いいや。君が美味しそうな匂いを発しているのも本当。あまりに美味しそうだから、ヴァンに進言したんだよ。早く食べてしまわないと、僕が代わりにシズちゃんを貰うよって。なのにヴァンは、不用意にも僕とシズちゃんを二人っきりにした……これって、僕が君を食べちゃっても良いって事だよね?」

「そ、そんな…」


 強い力で猛禽の悪魔に引き寄せられ、シズの細い体は抱きしめられる。

 ネストは、少女の不安を強く発するその心の揺らぎを感じ取り、小さく笑う。そして、彼女の後ろで束ねられていた髪留めを外して、背中に流れるつややかな黒髪を梳きながら、シズの耳元でさ囁く。


「それならどうして、ヴァンは戻ってこないんだろう?君に施された守護術など、魔術の得意な僕が簡単に解いてしまうことを知っているのにね?」


 ニヤリと梟面が笑った瞬間、シズの中にあったヴァンの魔力が消えた。それを感じ取ったシズは、本当に食べられてしまうかもしれないと、更に血の気を失い、真っ青になってしまった可愛い唇さえも震える。

 少しだけ身体を離してシズの表情を見て、その様の何と美しく甘美なことかと、ネストはゾクゾクとした快感がわき上がる。

 信じていたものが足元から瓦解していく絶望を、もっとシズに味あわせてあげたいとさえ感じる。


「食べ頃の君を食べないのは、何故だと思う?……それはね、ヴァンが君の事、もう要らないからだよ。君が唯一見出した食料としての価値がない。そう言うこと」


 大きく見開かれたシズの瞳に、瞬く間に水が満ちる。瞬きすることすら忘れたその鳶色の双眸は、ネストを真っ直ぐに見据える。

 ヴァンから不要とされること、それがシズにとって一番、怖い事だ。

 シズは誰にも必要とされなくなって人の世界で捨てられ、この世界でヴァンに拾われた。

 どんな理由でも、自分が生きて必要とされる理由を与えてくれたヴァンが、シズにとっては全てなのだ。

 そのヴァンが望む様に自分を食べて、彼が満足してくれる事が、シズにとって一番幸せな事。

 ヴァンが、他のものに食べられろと望むなら、シズは喜んでその身を他に捧げて食べられても良いと思ってさえいる。

 だけど、不要だと捨てられるのだけは嫌なのだ。こんな風に、ヴァンから黙って不要と突きつけられ、見放されることだけは絶対に嫌だった。

 シズの心の隙を見つけて、そこにつけ込んだネストは、楽しげに眼を細めてシズを見つめる。

 信じたくない、そう叫ぶような意志がネストを射抜いて来る。溢れて来る涙を留められず、ぼたぼたと大粒の涙がシズの頬を伝って落ちていく。


「やです…そんなの……やですっ……ししょ、が、言うまで、信じ、ません」

「強情だなぁ。心配しないで、要らなくなった君は、僕がちゃんと必要として食べてあげるからね」

「っざけんなぁぁぁぁぁっ!」


 刹那、獰猛な咆哮と共にシズとネストに向かい突進してくる影があった。

 容赦なくネストにぶつかったそれは、ネストの腕から緩んで離れたシズの身体を片腕で引き寄せて抱きあげる。

 馴染みがあるけれど冷え切ったその体の主に、シズは安堵し、ぎゅっと彼の首に抱きついて、堪え切れずに声を上げて泣く。


「うぅーっ、ししょぉ…わた……いら、ないって、ほん、とっ?」


 未だかつて一度も泣いた事のないシズが、感情を堪え切れずに幼子のようにわんわんと泣きじゃくる様子に、ヴァンは何とも言えない罪悪感を覚える。


「馬鹿か。悪魔の言葉に、簡単に惑わされるな」


 普段と変わらぬそっけない口調で豹の悪魔はそう言いながら、首の根に顔をこすりつけて泣き縋る少女の頭に自分の顔を寄せて、ない腕の代わりに彼女を労わるようにやさしく撫でる。そして、自分のモノを泣かせた相手を睨み下ろす。

 吹き飛ばされた諸悪ネストの身体は、そのまま弾かれてカウチに打ちつけられた。衝撃を受けたカウチは深く沈み、ネストを巻きこんで真っ二つにへし折れた。


「はぁ、痛い。君ね、ちょっと加減してくれないか?」

「殺されなかっただけありがたいと思え、このクソ梟」


 唸るような低い声は、雪のように冴え冴えと冷えきり、号泣していたはずのシズも一瞬で涙が止まるほどだった。

 予想外に強いタックルをうけたネストは、打ちつけた腰を撫でながら立ち上がる。剣や、拳をぶつけて来なかっただけまだ良心的ではあるが、頑丈なネストでなければ、肋骨の二つ三つはもって行かれただろう。


「俺のものに手ぇ出すんじゃねぇ。お前なんかに絶対食わせねえし、勝手に泣かすな」

「なら、早く食べちゃえばいいのに」


 反省も後悔もない、実にすがすがしい表情でけろりと言うネストに、ヴァンの表情が更に凶悪になる。

 ネストは不敵な笑みを浮かべて、警戒心を丸出しにしたヴァンの殺気をいなす。


「いつまでも期待をもたせるなんて、君の方がよほど罪作りだよ」

「煩い」

「シズちゃんは君に食べられたいのに、君ときたら甲斐性無しだね」

「こいつは食わないって、風呂の時に言ったろっ!しつこいぞっ!」

「…ほらね、シズちゃん。こいつは君を食べたくないんだって。全力で嫌がるくらいね。良く分かっただろう?」


 その一言に、シズはおさまった涙がまた溢れ、ぎゅうっとヴァンにしがみつく。


「や、っぱり、わた、し、いらな…だ…」


 嗚咽を漏らしながら言葉を紡ぎ、首元に強く縋りつくシズに、ヴァンは彼女が誤解をしていることに気付く。そのシズの行為が、ネストの言葉の誘導によるものだと気付いたヴァンは、思わずネストに腹を立てて舌打ちする。


「うわぁーんっ!」


 舌打ちが自分に対して行われたものだと思ったシズは、ショックの追い討ちを受け、また大号泣し始める。


「ちょ、馬鹿、なんで余計泣くっ。あっ、こら、俺の毛で顔ふくなっ、おい、鼻水ついたっ!シズっ!頼むから泣くなっ」


 シズは泣きやむどころか、更に泣き声が酷くなる。


「じゃあ僕、勝手に部屋借りて寝るから。後の修羅場は頑張ってねー」


 禍根を残して満足したネストは、仕事をやりきったとばかりの表情で、狼狽するヴァンに片手をひらひらさせて勝手知ったる邸の客室へと退散していった。


「てめっ、ネスっ!覚えてろよっ!」


 後ろ姿に悪態づいたが、時すでに遅し。

 残されたヴァンは、泣いている少女の身体を抱えながら、『どうすんだこれ』と頭を悩ませた。






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