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私の大好きな悪魔様   作者: 響かほり
冷たくて温かい世界
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 床一面に散らばった食事と食器のかけらたちを拾い集め、モップで綺麗に汚れを落としても、まだ家の主は戻ってこなかった。


「遅いですね」


 暖炉の薪を足したシズは、窓から一向に収まる気配のない吹雪をみてぽつりと呟いた。

 ネストはカウチに腰をおろし、蒸留酒を飲みながらシズの後ろ姿に目をやった。


「心配?」


 背に問いかければ、シズは振り返って声の主を見て頷く。


「君も大概、変わっているよね」

「どうしてですか?」

「ヴァンは君を食べる為に飼っているだけなのに、君は何故、ヴァンの身を案じるの?大事に育てられて、ヴァンは君を殺さないとでもおめでたくも思っている?」

「…似た質問、三年前にもなさいましたね」


 三年前に初めて会った時も、ネストはシズに同じ問いをした。三年前のネストの方が、言葉にも態度にも露骨な悪意があったことを思えば、今のネストの問い方は優しい方だった。

 あの頃のシズは、肉体的に見ればようやく人並みに起き上がって生活が出来るまでに体力が回復していた。しかし、人の世界で虐げられていた彼女は、やっとヴァン以外の存在を見ても怯えなくなった程度の弱い存在だった。

 だから、あの時のシズはネストがとても怖かった。


「あの時は、殺されるのを待っていると言ったね」

「はい」

「今は?」

「変わりません」


 澱みなく答えたシズに、ネストはグラスをゆっくりと近くのローテーブルに置く。

 真っ直ぐにネストを見つめるシズのその瞳には、一点の揺らぎも曇りもない。


「それは、何故?」

「それが私の存在理由で、向こうの世界に居た時も、こちらに来てからも変わりませんから」

「今の君は、僕の目からは楽しそうに生きているように見える。それだけ自由に生きれば、死にたくないと、今の生活を守りたいと足掻きたくなるものだろう?少なくとも、人間の君は思うはずだ」


 シズは少し返答に困った様に笑って、首を横に振る。


「私にとって、師匠とのこの五年間の生活は、おまけの様なものだと思っています」

「おまけ?」

「はい。幸せな人生のおまけです。こんな風に、凍えるような寒い雪の日にも温かい場所で過ごせて、お腹が空けばお腹が満たせる食事が食べられる。暴力もふるわない、きちんと私の眼を見て話をしてくれる師匠もいる。向こうの世界で欲しかったのに手に入らなかったものを、師匠はこの世界で与えてくれた。師匠が死に損ないの私を助けてくれたからこそ、知ることが出来た幸せです」


 毎日折檻を受けて、食事も満足に与えられず、仕事をさせられ、体を温めるもの一つ与えられず、床に身を一つ丸めて眠って夜を明かしていた日々を、シズは当然の様に享受していた。

 人ならざる扱いに凍りついていたシズの心を溶かして、笑うことも、泣くことも、怒こることも教えてくれたのは、ヴァンだった。

 だからこそわかる。人の世での生活こそが、本当の地獄だったのだと。

 あれを思えば、今のこの世界は極楽にも等しい所だった。


「私は普通の人間だから、悪魔の様に強い体を持っている訳でも、魔術が使える訳でもない。師匠の失くした腕の代わりに戦うことも出来ない。そんなお荷物の私が唯一役に立てるとしたら、それは非常食程度の食料としてのストックですから。だから、望まれれば命も身体も差し出します」


 悪魔が狂喜乱舞したくなる豊潤な魂に育ったシズは、悪魔にとっての己の価値を分かっていなかった。

驚くほど自己評価が低く、歪みなくまっすぐに育ったシズに、ネストは内心で感嘆していた。

 友はよくもまあ、これほどひたむきに依存させる洗脳を施したものだと。まるでシズは、逃しても自分から籠に収まる小鳥の様。

 いつ見てもヴァンの籠絡の仕方は趣味が良いと、ネストは薄く笑う。


「幸せだと言うのに、その生活を簡単に捨てられるはずがないよ。特に人間は強欲で我儘だ」

「そうですね。人は……いえ、私も同じ……それ以上かもしれません」


 シズは、人がいかに醜い欲にまみれた生き物かを知っている。自分を虐げ生贄にした村人然り、その村人の守ろうとした村の滅びをヴァンに願い、叶えてもらった自身も然り。

 己の欲の為に、平気で人を貶める。

 シズは己の願ったことを、その結末を後悔はしていない。その光景を一部始終見届けて、満足すらしている。清々しいほどに、そこだけ罪悪感がない。自分を生贄にした村人たちのように。


「だから、欲を満たして私ばかり幸せだと、不公平なんです」

「不公平?」

「はい。幸せをくれた師匠に、少しでもその幸せを返したいんです。その為に、師匠好みの美味しい身体になって、食べてもらえた時に、師匠を満足させられるようになりたいです」


 予想外の答えをキラキラした目でどんどん繰り出して来る少女に、ネストは呆気にとられた。

 心を掻き乱して、建前ではない醜い本心をあぶり出そうと誘導しようと思ったが、どうにもネスト思惑から外れた答えばかりが返ってくる。


「不安はないの?」

「んー。齧られたら物凄く痛いでしょう?食べられる時に我慢できずに泣いてしまって、師匠の興が削がれて途中で止められたらどうしようって……私が不味かったらどうしようって……それだけはちょっと不安です」


 ついにネストが堪え切れずに噴き出した。


「あはははははははっ。面白いよ、君、本当に愉快だよ」


 身を丸めて、両足をバタバタと床に叩きつけながら笑う梟の悪魔に、シズは首を傾げる。

 何か笑えるほど愉快な事を言っただろうかと。


「最初から最後まで、もう食べられること前提とか!どれだけ、愛されてる訳、ヴァンの奴!くそ、萌え死んでしまえ、幸せモノがっ」

「はぁ……」


 笑いながら毒を吐いた相手に、シズは意味が分からず困惑の眼差しを向けるが、当のネストは笑いがおさまらない。


「あぁ、本当に。君はヴァンが好きなんだね」

「はい。大好きです」


 即答するシズに、ネストは更に笑う。

 悪魔と人間が仲良く暮らすなど、出来るはずがない。本来は、狩る側と捕食される側の関係であり、その関係性は、契約という形で表面的には一見穏やかなものに見えても、欺瞞と猜疑に満ちたものであるのに、ヴァンとシズにはそれがない。

 それは、二人の元を訪れる度に、甘ったるいほどの幸福感と穏やかな空気が溢れて、膨れ上がっていく。

 あり得ない状況に、ネストは生来の性質が刺激され、二人の心を揺さぶる悪戯をしたくなった。

 ヴァンは巧くつられて、予想通りの反応を示してネストを満足させた。シズはネストが最も好む『予想外』を繰り返して、大いにネストの悪魔魂を満たして嬉々とさせる。


「あぁ、良いね。シズちゃん、君は本当に僕を楽しませてくれる」

「…楽しい、ですか?」


 シズとしては、思ったことをそのまま答えただけなので、何処がお客様の心の琴線に触れたのかは分からないのだ。


「とてもね。だから僕は、ここに来るのが大好きなんだ。君と、ヴァンを見ているのが一番楽しい。君がヴァンによって満たされ、これから壊されていくのが楽しみでしかたない」


 ただ平穏に、その満ち足りた生活を享受してほしい訳ではない。

 もっと状況に掻き乱されて、感情を揺さぶって生きることに足掻いてくれねばつまらない。

 幸福など、絶望し墜ちる為に注ぐ甘美な毒薬なのだ。毒に浸りつけたものなど、旨味がなくなってしまう。

 だから、ネストはあえて爆弾を投下した。

 シズの想いを揺さぶる一言を。




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