生贄は悪魔にお願いをする
この話は一人称。以降は三人称になります。
私の生まれた所は、都から遠く離れた山の中を切り崩して出来た小さな村だった。
村を囲う森には恐ろしい獣が居て、村から出ることも、村へ外部から人が来ることも出来ない閉塞された場所。
山には獅子神様が居て、獅子神様に二十年に一度生贄をささげて、森の獣から村を守り、村の作物の豊穣をもたらしてくれるよう祈っていた。
だから村は、飢饉になったことは一度もないらしい。
だけど私は飢えた。
そして、私は生贄にされた。
自分で動くことすら出来ない衰弱した私の身体を、村の大きな男が抱え、土地神である獅子神様の社に運び、社殿の床にものを捨てるように投げ落とされた。
痛いはずなのに、私の身体はもう痛いとも感じない。
「お前は、獅子神様の生贄になるのだ、感謝しろ」
「村の繁栄の為に、命を捨てることを栄誉と思え」
口々に村人が紡ぐ言葉に、何故だか私は笑いがこみ上げた。
何が栄誉か。
体の良い厄介払いのくせに。
いよいよ私が自分で動く事も出来なくなったから、生贄の名目で捨てるのだと、陰で言っていたことを、私はちゃんと聞いていたのにね。
「お前の様な卑しいものを、長く養ってやったのだ。わしの娘の代わりに、生贄として食われてくるが良い」
私の両親や弟妹を殺した村長は、身寄りのない私を引き取り、休む間もなく働かせ、食事も満足には与えてくれなかった。動きが悪ければ身体を打って嘲笑っていた。そんな人間の娘の身代わりなんて本当は嫌だった。
嫌だけど、この生活から自由になれるなら、神様に食べられるのも良いかと思った。
あれは人の皮を被った悪鬼たち。
だから私は、村の繁栄も貴方達の幸せも、願いはしない。
もしも、神様に会う事があるのなら、私が私の命を捧げて願うことは一つだけ。
―――――この村の滅びだけ。
「随分とくたびれた供物だな、お前」
むにむにとした感触を頬に感じ、重たくてたまらない瞼を開けば、目の前に大きな獣顔が覗きこんできた。
「しかも、こんなガリガリの死にかけ、初めてだぞ」
オオカミよりももっと大きな獣が、行儀よく座って私のほっぺをつついていた。
猫の様に引き締まった顔立ちに、黄金の毛には黒い斑点模様。大きく釣り眼な瞳は透き通るような美しい新緑の色をしていた。
初めて見る生き物に、怖いと思うよりも、とても綺麗だなって思った。
「まったく、供物一つ満足に出せぬ癖に富をもたらせとは、あれらも随分と傲慢になったな……そろそろ狩り時か」
「ししがみ、さま?」
人の言葉で愚痴を零した不思議で大きな猫に尋ねたら、緑の目がゆっくりと細められる。何だか機嫌が悪そうだ。
「あぁ、人間はそう呼ぶな。だが俺は、獅子でも神でもない。悪魔だ」
「…かみさま、じゃ…ないの…?」
「違う。あんなものと一緒にするな」
私は、がっかりした。神様じゃない者の所に運ばれてしまったら、私の願いを神様につたえることも出来ない。
しかも、悪魔って何なのだろう。良くわからない。化け猫のようなものなのかな?
「おい、お前、なに露骨にがっかりしてんだ、コラ」
「…ねこさまは、わたし…たべるの?」
ふんと鼻で笑い、口角を大きく持ちあげた目の前の大猫姿の悪魔様は、私のうすいほっぺを大きな手でグリグリする。
あ、むちっとした肉球が柔らかくて気持ち良い。
「俺は猫じゃねえっ。豹だ。次、猫なんて言ったら、噛み殺すぞ」
低く凄みのある怖い声で、悪魔様が怒る。
「……どうせ、ころすのでしょ?」
「なんだお前、死にたいのか?」
「うん…ころしてください」
豹とかいう生き物の格好をした悪魔様は、とても苦いものを噛みしめた後の様な顔をした。
「はぁ?やだね。死にたいなんて言う奴を、言う通りに殺してもつまらん。楽しくない」
どうやら悪魔様は、天の邪鬼らしい。
「…わたし、いけにえって、いわれた。たべられるんだって…おしえられた」
「確かに、お前は俺への供物として差し出された。が、こんな、食い応えのないものを差し出されて、俺は腹が立っている。お前の村は、この俺を侮辱し侮った。罰を与えねばならぬ」
そうか、こんな小さな痩せっぽっちの私では、捧げものとしては全く駄目で、神様……ではなくて、悪魔様にはお気に召さなかったのだ。
うん。そうだね。私だって、お肉がいっぱいついた大きな身体の鶏の方がおいしそうに見える。
気に入られなかったけど、悪魔様が怒ったけれど、それはそれで良かった。
「…そっか。よかった」
「何が良い。俺は不愉快で、お前の村は危機だぞ」
「うん…あんなむら、なくなればいいよ」
「ほぉ?何故だ?」
「あそこはじごくだから。だから…ほんとうは、かみさまにおねがいしたかった。おにばかりのあのむらを、このよからけしてくださいって……わたしのいのちなんて、さしあげますからって」
「お前の仲間だろう?」
「ちがう。あれはひとにばけたおに」
「鬼?あぁ、下等悪魔の種族か……そうか、あれをそう見るか。お前は面白いな」
苦くて渋い顔をしていたと思ったら、悪魔様の表情が楽しそうなものに変わる。
「助命を嘆願するならいざ知らず、命と引き換えに願い事をしようとする供物など初めてだ。興が乗った。お前の願い、俺が叶えてやろう」
「ほんとうに?」
「あぁ。但し、お前の身体と命を貰う」
「はい。あげます」
「お前、即答で安請け合いだな。それは面白くない」
私を、悪魔様が呆れた様に見る。
動物の顔をしているけれど、悪魔様はとても表情が豊かで、見ていると楽しい。
「まあ良い。だが、その貧相な身体はまずそうで嫌だ。とりあえず食べ頃になるまで俺の傍で働け」
「はい…おいしくなるように、がんばります」
「あぁ。お前の願いに見合うだけの、極上の餌になれよ」
楽しそうに笑った悪魔様は、その後、私の願いをきちんと叶えてくれた。
村はなくなった。
そこにいた村の人すべても居なくなった。
悪魔様が一つ残さず、人の形をした鬼を食べてしまったから。
だから今度は、私が悪魔様との約束を果たす番。