おばあさん
影くん。夕介とおばあさん。史葉が登場。
十川夕介は、朝起きたら布団を畳み、家中の雨戸を開ける。
そして朝の陽を浴びてから、顔を洗い、朝ご飯を作る。
「……ん、塩どこだっけ──」
目玉焼きを作りながら、夕介は調味料が置いてある所を見て首を傾げた。
いつもの所に塩がなかったのだ。
「あれ……おかしいな」
すると肩を叩かれた。
振り返ると、目の前に塩の小瓶が現れた。正確には、人の影みたいなモノが差し出していた。
「あ。ありがとう──どこにあった?」
それが普通であるかのように、夕介は小瓶を受け取って訊く。
人の影みたいモノは、ちょいちょいと食器が置いてある所を指差した。
「あ、そっか。昨日の夜使って戻さなかったんだっけ」
気をつけないと──と夕介は思った。
それから、思い出したように人の影みたいなモノに言う。
「そういえば、引っ越して来た時から居たけど、名前とかあるの?」
ふるふるとソレは首を横に振った。名前はないらしい。
そっか、ないのか……と夕介は塩を目玉焼きに振りかけながら、思いついたように言った。
「よし、じゃあ……影くんて呼ぼうか──」
塩をいつもの場所にちゃんと戻して、夕介が人の影のようなモノ──もとい影くんを見ると、ソレは頷いた。気に入ったようだ。
「決まりだ。……さて、朝ご飯にしよう」
影くんも食べる?と夕介が訊くと、影くんはふるふると首を横に振った。
朝食を済ませ、夕介は食器を洗い、片していた。
「……よし、終わり」
手を拭いて、夕介は縁側に向かう。
今日もいい天気なので、陽に当たるにはちょうどいい。
「あ」
縁側に行くと、ネコが丸まってひなたぼっこをしていた。
そっと隣に座り、ネコを撫でる。
「……いい天気だなぁ」
ネコはちらりと夕介を見て、目を閉じた。
「気持ちいいか?」
夕介の問いに答えるように、ネコはゆらりと尻尾を揺らす。
「そっかそっか──」
夕介は気持ちいいと解釈して、一人笑った。
ネコとまったりしていると、龍野涼が通りかかった。
「涼くん、行ってらっしゃい」
「あ、十川さんおはようございます。今日もひなたぼっこすか? てか涼くんはやめてくださいよ──じゃ、すいません。今日はちょっと急いでるんで」
行ってきます──と涼はスポーツバックを軽く揺らしながら、学校に向かって行った。
涼くん忙しそうだ──と夕介は言って、ネコの背中を撫でる。
ネコは、クフッと息を吐いて応えた。
*
夕方、夕介はスーパーに買い物に来ていた。
カゴに野菜や卵、肉などを入れてレジに行く。
会計を済ませて、袋に品物を詰めていると、横からみかんが転がってきた。
「お?」
止めて横を見ると、おばあさんがばら売りのみかんを袋に入れているところだった。腕か手が当たって、転がってきたのだろう。
「おばあさん、転がってきましたよ」
夕介はみかんをおばあさんに差し出して言う。
おばあさんは、あらまあ……とゆったりした動作でみかんを受け取ると、頭を軽く下げた。
「すみませんね、気づきませんで……」
「いえいえ、大丈夫ですよ──みかんお好きなんですか?」
「はい、主人とよく一緒に食べてたんです──」
それから話すうちに、近所であることがわかり、夕介とおばあさんは一緒にスーパーを出た。
「ご主人は、どんな方なんですか?」
「無愛想で、若い頃は喜怒哀楽を理解できませんでした……。でも、一緒に居るうちに、主人の顔の変化がわかるようにようになりましてね」
「へえ──」
「笑ったとか、驚いてるでしょとか、よく話すようになりました。それはそれは、楽しい時間で──」
おばあさんは思い出すように言って微笑む。
夕介も笑顔で話を聞いていた。
「忘れられない、大切な日々です」
「でしょうね。おれもおばあさんたちみたいな夫婦になりたいです」
「うふふ。なれますよ、きっと」
おばあさんは口元に手を持ってきて笑う。
夕介も、なれますかね?と笑った。
家の近くになって、夕介はおばあさんに言った。
「よかったら、もう少し聞かせてもらえませんか」
「……こんなつまらない話を?」
「つまらなくなんかないですよ。素敵な話です──」
夕介に素敵と言われ、おばあさんは少し照れながらも、じゃあもうちょっとだけ──と微笑んだ。
縁側で並んで座りながら、夕介はおばあさんの話に耳を傾けていた。
主人は犬が好きで、散歩は主人の日課だった、おばあさんの手料理にはいつも美味しいと言ってくれていた──そんな些細な日常をおばあさんは嬉しそうに話した。
夕介も相槌を打ちながら、微笑ましく聞いていた──。
「……お前何してんだよ──」
そして黒岩史葉に声をかけられて、夕介は史葉の方に顔を向けた。
「あれ……? 史葉、仕事は?」
「終わった──ちょうどこっちに用があったから、ついでにお前んちで夕飯代浮かせようと思ってな」
と史葉はネクタイを緩めて夕介を見る。史葉は独身で、アパートに一人暮らしをしている。なので近くに来たりすると、夕飯を食べていく。
「ついでって……」
「それよりお前──」
史葉は眉を寄せて言った。
「さっきから話してたみたいだけど、誰と話してんだ?」
「誰って、今おばあさんと……」
と夕介が隣に顔を向けると、そこには誰もいなかった。
おばあさんがスーパーで買ったはずのみかんが入っている袋も、跡形もなく消えている。
「どうした?」
「……おばあさんに、ご主人の話を、聞いてたんだけど……そっか……、そうなのか──」
夕介は帰ってくる時の周りの視線を思い出し、一人納得する。やたらちらちらと見られていたのだ。
それもそのはずで、おばあさんは夕介にしか視えていなかった。
周りから見れば『一人で話しながら笑っている変な人』だ──。
「……だから『食べてた』だったのかぁ……気づかなかった……」
「夕介?」
「はは……」
と夕介は苦笑いする。
いつもなら途中で気づくか何かしらするのだが、今回は全く気づかなかった。
「……はぁ──」
「今日の夕飯、何だ?」
「え? ……チャーハン」
「チャーハンか──なら俺にも作れる」
と史葉はワイシャツの袖を捲っていく。
「え? なに?」
「作ってやるよ。ついでに、話聞いてやる──」
史葉は靴を脱ぎ、夕介の横にあった袋を掴むと、縁側から部屋に入っていく。部屋に入る前、史葉は「鞄持ってこい」と夕介に鞄を渡した。
「…………」
前も、こんなことあったっけ──と思いながら、夕介も部屋に入った。
*
「特製チャーハン、男の料理──」
ドン、とお皿を夕介の前に置いて、史葉もどっこいしょと座る。
「美味しそう」
「当たり前だろ──」
いただきます──と二人で食べ始める。
「ん、美味しい」
「そうだろ?」
史葉は心なしか嬉しそうに笑った。
夕介はチャーハンを口に運びながら、史葉に言う。
「……史葉はさ、優しいよね」
「は?」
「だって、今もこうやってチャーハン作ってくれたし」
史葉は一瞬考える素振りを見せて、口を開いた。
「べつに。優しくはねえだろ──ただ、なんだ? 落ち込んでる奴ほっといて、鬱とかになられても嫌だろ。なんで落ち込んでるかわかってんのに、それほっといて鬱になられて、周りにいた奴らが悪いって言われたら癪だろ」
とチャーハンを黙々と口に運ぶ。
「そっか──でも前にもあったよ、中学ん時。なんか史葉がアイスくれた」
「アイス?」
「そう。バニラだった。カップの。美味しかったんだ」
「ふーん?」
さも史葉はどうでもいいというように、チャーハンを頬張る。
そして飲み込むと、麦茶を一口飲んでから言った。
「話、聞いてやるよ──ま、信じねえけど」
夕介は、あの時と一緒だ──と思い、小さく笑った。
「なんだよ」
「いや……何でもない」
それから、夕介はおばあさん夫婦の話を始めた──
中学のあの時。
夕介「…………」
史葉「やるよ(アイスを差し出す)」
夕介「いいの……?(受け取る)」
史葉「ああ」
夕介「……ありがとう」
史葉「話、聞いてやるよ──ま、信じねえけど」
夕介「え? あ、うん──(笑顔)」