友人
夕介の友人。
──ピーンポーン……
夕方。小学生が家に帰る時間帯。十川夕介の家のインターホンがなった。
今時、インターホンは一回押すと呼び出し音が繰り返される作りになっているが、夕介の家は古い平屋なので、押した回数しか鳴らない。
「はーい──」
夕介は読んでいた本に栞を挟んで閉じ、玄関に向かった。
「今開けまーす……?」
玄関を横にガラガラと開けたが、誰もいない。一応、サンダルを履いて右側にある庭を見てみたが、特に異変もなく、誰もいなかった。ただ一つあげるのであれば、縁側に猫がくつろいでいることぐらいだ。
「……いたずらかな?」
と少し首を傾げたが、すぐに戻り玄関に入った。
夕介は近所の人から『不審者』や『要注意人物』と呼ばれている。
それは、猫と親しげに話していたり、木に向かって何か言っていたり、何もない所を見て笑ったりするからなのだが、夕介にはちゃんと聞こえていて視えているから仕方がない。
他の人には見えていなくても、夕介には視えている。他の人には聞こえなくても、夕介には聞こえている。小さい頃から──。
それがもう日常になっていた。
だから、インターホンが意味もなく鳴ったりするのも、夕介は何とも思わない。
「続き続き──」
部屋に戻ってきて、少し大きめのちゃぶ台の前に座り本を広げた。
読み始めると、少ししてまたインターホンが鳴った。今度は二回。
はーい──と夕介はさっきより早めに玄関に向かうと、ガラスの向こうに黒のランドセルを背負った男の子が見えた。
玄関を開けると「出たー!」という声とともに、男の子は走っていった。
「ピンポンダッシュ──気づかれる前に逃げなきゃ」
そんなことを呟き、夕介は部屋に戻った。
本を開きながら、今度インターホンが鳴っても出ないぞ、と夕介はどっかりとあぐらをかいた。
夕介の家にやってくるのは、ここから徒歩約五分の所に住んでいる龍野涼ぐらいだ。その涼も今は部活に勤しんでいるので、早々ここに来ることはないだろう。
近所の人だって、わざわざ『不審者』や『要注意人物』と呼ばれている男の家にわざわざ来るわけもないので、夕介は本に集中し始める。
本のページ数が残りわずかになった頃、インターホンが鳴った。
夕介は出る気がないので、その場から動こうとはしない。
すると、今度は立て続けに二回。
それでも夕介は動こうとはしない。意思は堅いのだ。
それから、インターホンがけたたましく鳴らされた。
びくっと夕介は肩を上げ、玄関の方に視線を向ける。ガラガラガラ……と玄関が開かれ、どかどかと廊下を歩いてくる音がする。その音は、夕介の部屋の前に来て止まった。そして次の瞬間、襖が勢いよく開かれた。
「一回鳴らしたら出ろや! 無視してんじゃねえぞ──」
黒のスーツに身を包んだ男性が、眉間にシワを寄せて言った。
「はぁ〜……びっくりした──史葉かぁ」
心臓飛び出るかと思った……と夕介がほっと胸を撫で下ろすと、黒岩史葉はイラついた様子で言う。
「なんでインターホン鳴らしたら出て来ねんだよ。ふざけてんのか? あ?」
史葉はヤクザのように睨みを利かせて夕介を見た。
史葉は夕介の中学からの友人で、会社に勤めている。
もちろん、中学からの付き合いなので夕介がそういう体質なのを知っている。だが、史葉は全く信じない。涼以上にだ。
涼が「そういうこともあるんすね……」と唸るとしたら、史葉は「はっ、冗談──」と鼻で笑うぐらいに──。
「いや、最初誰もいなくて、次はピンポンダッシュだったから、今度は無視しようかと思ってさ」
「ほお……なるほどな──じゃあ今度は連続でピンポンしてやるよ」
と史葉はニヤリと笑った。
夕介は顔をひきつらせてぶんぶん首を振る。
「やめて! 近所の人に『借金取りに金借りて、取り立てられてる』って思われたら嫌だ」
「じゃあ出ろよ──」
史葉は自分の髪をくしゃくしゃと掻いた。ある程度まとまっていた髪の毛が、くしゃりとぼさける。
「前みたいに放心してんじゃねえかと思うだろ」
「え? あー……、はは。大丈夫大丈夫」
と夕介は頬をぽりぽりと掻く。
夕介は前に、呑まれたことがある。
史葉から見たら、放心しているように見えた。
高校の時、帰り道で、勉強を見てもらうという約束をして史葉は夕介の家に行った。
夕介の家に行くと、夕介は自分の部屋でぼーっとしていた。
名前を呼んでも一向に反応しない夕介を、無視していると勘違いした史葉は、無視すんなよ、とど突いた。それでやっと夕介がハッとしてから笑ったのだ。ありがとう、助かった──と。
夕介からすると、黒い何かに呑まれていて、真っ暗だったところで史葉が戻してくれたという話だった。
「あれはビビるぞ」
「大丈夫大丈夫、もう大人だし」
「それが甘いんだろうが」
「あはは──」
夕介が笑って誤魔化していると、涼が史葉の後ろから顔を出した。
「黒岩さん、こんちは──十川さん、玄関開けっ放しでしたよ?」
閉めましたけど──と涼がスポーツバックを肩から下ろしながら言う。
「悪いな。それ俺だ」
「黒岩さんでしたか。珍しいすね、黒岩さんが十川さんち来てるの」
「ちょっとな──」
涼と史葉は、顔見知りだ。
前にも何回か会っている。
「じゃあ二人とも、ちょっと座ってて。お茶出すから──」
夕介はよっこらしょ、と立ち上がり、台所に向かっていった。
二人はちゃぶ台の周りに腰を下ろす。
すると涼が思い出したように口を開いた。
「そういえば、黒岩さんと十川さんって、同い年ですか?」
「そうだな。今年二十四になる」
「へえ。ちなみに、十川さんの仕事って?」
「在宅業じゃないか? 詳しくは知らん」
「へえ──」
この前涼が訊いたら、夕介は笑って「どうかな」と言うだけで気になっていたのだ。
「ならずっと家にいてもおかしくはないか……」
「会社行けって話だ──」
と二人が話していると、お盆に湯飲みを三つ乗せて夕介が歩いてくる。
「はい、お待たせ」
「ありがとうございます」
「サンキュー」
お茶を置いて、夕介はふと視線を史葉の背後に向けた。
史葉の背中に、何か黒い影が漂っている。
「……どうした?」
「史葉さ、背中気をつけた方がいいよ」
「何でだよ」
「え? それは……」
「またお化けだか幽霊か?」
「あはは……」
と夕介は苦笑いする。
史葉は信じないので、こういう話に聞く耳を持たない。
代わりに、涼が訊いた。
「何かあるんですか?」
「うーん、黒い影が……」
「はあ? んなもん、俺には効かねんだよっ──」
と史葉が体をグイッと捻ると、黒い影は散った。
「わ、すごい。史葉強いや──なくなった」
「へえ……」
涼はもともと見えてないが、史葉の背中を改めて見た。やっぱり何もない。
「ふん。俺に憑こうだなんて考えが甘いんだよ──」
と史葉は鼻を鳴らして、湯飲みを口に運んだ。
史葉は精神的に強いんだろうなぁ……と湯飲みに口を付けながら夕介は思った──
夕介「史葉は強いな」
史葉「あ?」
次回、涼の友人。次回の次から、色々出てくる予定です。