『不審者』または『要注意人物』
黄色い毛玉
「……ふわふわだなぁ──」
風に舞う桜を見ながら言ったのではない。
桜とともに、淡い黄色のふわふわとした毛玉を視て、十川夕介は言ったのだ。
「……お」
目の前に舞い下りてきた花びらと毛玉を、片手で柔らかく握り込み、そっと開いてみる。
そこには、花びらと毛玉がちゃんとあった。
「はは、ふわふわだ」
「十川さん──何してんすか?」
とスポーツバッグを肩に掛けた龍野涼が、家の前で一人笑っていた夕介の前に来て訊いた。
夕介は、また近所に咲いている桜の花びらとともに毛玉が舞うのを視て笑う。
「ふわふわだね、涼くん」
「涼くんって呼ぶの、やめてくださいって──ふわふわ? ……ひらひらじゃないんすか?」
と涼は桜を見て言う。
「いや、桜じゃなくてさ。ほら、黄色い毛玉みたいなやつ」
「……毛玉?」
「そう。ほら、ふわふわしててきれいだ──」
可愛いとも言うかな? と夕介は指を差すが、眉間にシワを寄せてみたり、目を細めたり開いたりしてみても、涼には桜しか見えなかった。
「……視えないけど」
「そっか……視えないか──じゃあこれも?」
と夕介は花びらと毛玉がまだ乗っている手のひらを見せる。
涼は多分違うんだろうけど、と思いながら口を開いた。
「花びらっすか? それとも毛玉が?」
「うん。毛玉があるんだけどね──」
優しい手つきで毛玉を摘まむと、ほらねと涼に渡そうとする。
涼は手を差し出して、見えない毛玉を見つめた。
夕介はそっと毛玉を離して、涼の手のひらに置く。
「……今、ある?」
「あるよ。手のひらの真ん中」
涼はそっと真ん中あたりに、片方の指先をちょんちょんと当てる。
なんとなく何かがあるような、ないような……微妙な感じがした。
「どう?」
「……微妙」
「そっかそっか。いつか、涼くんにも視えるといいね──」
あ、飛んだ──と夕介は涼の手のひらから、空へと視線を動かした。
涼もつられて夕介の見た方に顔を向けたが、花びらしか舞っていなかった。
*
「涼くんは、今年高校二年生だっけ?」
夕介はお茶を出しながら訊く。
外で立ち話もあれだから、寄ってきなよ──と夕介に言われ、涼は部屋に上がったのだ。
「はい、そうです。二年になりました──」
いただきます……とお茶を啜って一息吐く。
改めて室内を眺めて、涼は古いよなぁと思う。
夕介は古い平屋で一人暮らしをしている。
各部屋を襖で仕切ってあり、全てが和室。さすがにトイレは水洗だった。
この前涼が借りた時に、ここは水洗なんだな、と思ったのを覚えている。
「どうかした?」
「……いや、十川さんちって、何て言うんすかね、趣のあるっていうか、なんていうか……」
「あー、古いでしょ──」
夕介は涼が気遣っているのにもかかわらず、笑って言った。
「ここ、安かったんだよね、家賃」
「へぇ……、いくらですか?」
「えっとね……」
と夕介は両手を広げて見せる。
「え? 十万……?」
「うん。水洗トイレ、お風呂、家具付きで。安いでしょ──狭いけど庭もあるし、縁側でひなたぼっこもできる」
ずずず、とお茶を啜って夕介は落ち着く、というように息を吐く。
涼は、それおかしくないか?と思った。
「あの……さすがに安すぎじゃ?」
「んー、あ、そうだ。今まで涼くんに言ってなかったけど、ここ曰く付き物件なんだ」
「…………ですよね──」
幽霊、お化け、妖怪などなど、涼は信じないし、視えない人間なのだが、夕介は真逆だった。
視えるし、聞こえるし、話すし、この前は動植物、天気とも会話していた。無機物とも話していたこともある──。
「なんかね、小さい頃からずっとそうだったから、もう慣れちゃって──」
「大丈夫なんすか? それ……」
「大丈夫大丈夫。危ないな、と思ったら関わらないようにしてるし。この家には悪いの居ないから」
何故そう言い切れる──と涼は思ったが、夕介は変わらずに過ごしているので、特に言うこともない。
「……てか、十川さん近所の人に何て呼ばれてるか知ってます?」
「え? あー、なんだっけな……」
と夕介は腕を組んでうーん、と唸る。
「あ、涼くんまだ言わないでね」
「言いませんよ……てか涼くんってやめてくださいって──」
涼は自分の名前が嫌で、夕介に「涼くん」と呼ばれる度にやめるよう言うのだが、夕介はすぐに忘れて「涼くん」と呼ぶ。
「……あ、思い出した! 『不審者』とか『要注意人物』だよね」
「知ってるんすね……」
「いや、こないだ聞いたんだよ。猫と話してたらさ──面白いよね」
そりゃ言われるわ──と涼は思ったが、本人は気にしていないようなので、口にするのはやめておく。
「……そういえば十川さんって、何歳なんですか? 大学生じゃないすよね」
「何歳だと思う?」
「えー……二十代前半?」
「どうかな」
にこっと夕介は笑った。
「働いてます?」
「どうかな」
「……もういいです」
涼はめんどくさくなって聞くのをやめた。
「じゃ、そろそろ帰ります──明日の準備もあるし」
「うん、そうだね──涼くんは何部だっけ?」
「兼部です。まぁ、助っ人ですね。今日はサッカー部でした」
「へえ、面白い」
「でしょ?」
玄関まで見送って、夕介はひらひら手を振って言う。
「気をつけて」
「はい。お邪魔しました──」
ぺこっと頭を下げ、涼はスポーツバッグを肩に掛け直して歩いていく。
夕介は振り返って、影に向かって言った。
「……涼くんには、視えてないよ──いつか、視てもらえたらいいね」
人の影をしたソレは、手らしきモノを振るのをやめて、少ししゅんとしながらススス……と廊下を進んでいった。
「なんか……寂しい背中だなぁ」
進んでいく人の影を見送りながら、夕介はちょっとだけ苦笑いした──
夕介「ふわふわしてるよ」
涼「……はあ(見えない)」