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 かしゃ。

 人差し指に軽く力を込めるだけで、構えたカメラは軽快な音を立てた。左手で支えたレンズを軽くひねると、それまでうっすらと色を滲ませるだけだった背景がさあっと明確な像を結ぶ。まるで霧が晴れるようにピントが合うこの瞬間が好きだ。

 かしゃ、かしゃ。

 再びシャッターを切ること数回。ほう、と緩く息を吐き出して、たった今切り取った風景を確認するためカメラを顔から離した。デジタルカメラのいいところは、撮ったその場で確認できるということ。暗室まで持ち帰り、ドキドキしながら現像するフィルムカメラもそれはそれで魅力的だが、練習中の身としてはすぐに出来映えを確認できる方がありがたい。

「……しまった、絞りすぎたか」

 あまりに見事な夕焼けを背景に、ようやく綻んだ桜の蕾を撮ろうと挑戦したのだが、思ったような画にならなかった。手前の蕾も、背景の夕焼けもくっきりと映っている。きれいに撮れたはいいのだが、本当はもっと背景をぼかしたかった。もう一度、と思ったが、残念なことに太陽はいよいよ高度を下げて、もう頭の先がかろうじて見えている程度。今日のところはあきらめよう。

 カメラを持ち運び用の鞄にしまいこみ、自転車に乗り込んだ。蕾の様子を見る限り、入学式にはそれなりに花開いているはずだ。今度はどんな写真が撮れるだろうか、と心が弾む。思わずにやけながら、ペダルを大きくこいで公園を後にした。



 +++++++



 ―――前世の自分、というものがあると、世の人々は信じているだろうか?少なくとも、多数派ではないと俺は思っている。というのも、そんなことを真剣に言う人間に今まで会ったことが無いからだ。

 ただ、そんな俺自身はというと、前世というものを信じている。信じているというか、あるんじゃないか、と思っている。

 俺には幼い頃から、ふとした拍子に噴出す違和感があった。成長するにつれてその違和感が、たとえば好きな食べ物は「これではない」という否定だったり、自分の家は「別の場所だ」という望郷の念であるということが分かってきた。言葉にすると陳腐なのだが、そう、まるで違う人間の人生が紛れ込んでしまったのではないか、と感じるときがあるのだ。

 小学校の高学年に上がる頃だったと思う。そんな風に感じる自分に恐怖を覚えた。もし自分が以前は違う人間だったのだとしたら、今の自分もそのうちまた別の人間になってしまうのではないだろうか?今の両親を他人と感じる。今の友だちを他人と感じる。今自分が大切だと思う何もかもが、ある日突然すべて無価値なものになってしまう。それは10を越えたばかりのガキにとって、とても恐ろしい想像だった。

 今考えてみると、前世の自分がどうこう、というよりもある種の精神病だったのではないかと思う。ただ、同年代の級友たちが「前世の自分は何々だった」という話題で盛り上がっていたのを聞いて、漠然と前世というものがあるんじゃないのかと考えていた。

 そんな考えに取り付かれて不安定になった俺に、両親は親身に付き合ってくれた。はっきりと不安を口にすることも出来なかった俺に呆れることなく、つかず離れずの位置で見守ってくれた。本当に、感謝してもし足りない。何度も立ち止まって動けなくなりそうだった俺の背を押し、手を引いて、なんとか危ないながらも歩みが続いたのは両親のおかげだ。

 俺がその考えから脱し、前世がどうした!という心境になれたのも両親がきっかけだった。家族のことを調べる、という授業の宿題で、何か無いかと聞いた俺に、母が持ってきたきれいなアルバム。

 表紙をめくれば、華やかな額装に囲まれた父と母が、本当に世界で一番の幸せな笑顔を浮かべていた。その写真の隣には引き気味のアングルで、たぶんこの新郎新婦の写真を撮っているのだろう晴れ着を着た男の写真。

「この写真は、父さんの弟が撮ってくれたんだよ」

 そういって、父がカメラを構える男を指した。斜め後ろから撮られているので叔父さんの表情は分からない。かすかに見える口元は、たぶん笑みを描いていて、でもその背中はとても真剣な様子だった。

「写真、撮ってみたい」

 食い入るように写真を見つめた俺は、気付けばそう言っていた。

 カメラはすごい。十年以上も前の両親の幸せを、すこしも褪せることなく伝えられる。俺は、俺の見たこと、感じたことを残したい。こんな写真を残してみたい。そう思った。

 突然の俺の言葉に、父は一つ頷いて「そうか、撮ってみたいか」と笑った。

 そのとき与えられたカメラは今も俺の手の中で、様々なものを写している。お小遣いを貯めて少しずつレンズをそろえ、今では夕焼けも夜景もドンとこいだ。腕のほうは―――まあ、精進を続けるということで。



 +++++++



 このように、両親には並々ならぬ感謝がある俺としては、父の仕事の都合で転校することに、まったく異論は無かった。それがたとえ中学二年の二学期という中途半端な時期だとしても。転校先の中学が、エスカレーター式の私立だとはすこし驚いたが、勉強は嫌いな性質ではない。編入試験にも無事合格できた。

 私立のエスカレーター式、と聞くと、坊ちゃん嬢ちゃん学校というイメージが沸くだろう。事実、この学校には金持ちの子弟が多いらしい。かといって、俺のような一般家庭の子供がまったくいないというわけでもない。そういうわけで、中学残りの半分を過ごせばそれなりになじむことが出来たし、高等部に上がる頃には部活も決めることが出来た。もちろん写真部である。

 まわりの面子はほとんど中学時代と変わらないので、入学式にもあまり感慨は無い。あえて一つ印象に残ったことをあげるとしたら、壇上で挨拶をする生徒会長が一年ぶりに見たがやはりたいそう麗しかったということくらいか。中等部でも生徒会長だったその人は、自身の卒業の際も見事な答辞を読み上げていたことを覚えている。きっと、高等部の卒業式でもすばらしい答辞を読むのだろう。

(まあ、縁遠い人ではあるな)

 あくびをかみ殺すついでに向かい合わせに座る在校生、すなわち2、3年生を見回せば、所々に会長に負けず劣らずな存在感を放つ先輩がちらほら見える。ほとんどは内部生なので俺でも知っているが、まったく見覚えが無いのは外部受験で高等部に入学した人だろう。

 そこにいるだけで目を惹く、という人物は、被写体としては華やかで写しやすいのだが、その分自分の腕は上がらない。だから、もしカメラを向けても良いと言われたとして、そんなに心躍ることは無いだろうな。失礼な感想だがそう思った。

 万人に賞賛されるものでなくともかまわない。たったひとりでもいい、自分の撮った写真が、誰かの心を動かすことが出来たらいい。

 我ながら青臭くて陳腐な願望だが、高校生活三年間でそんな写真を撮ることが、目下のところの目標である。



 +++++++



 新顔がいくつか加わった新しい生活は、あわただしく過ぎた。気付けば5月の連休も終わり、風景を撮ることがますます楽しい季節となったこの頃、珍しい知らせが情報通の級友からもたらされた。

「転校生?こんな、変な時期に?」

 教壇近くの席に座った学級委員が怪訝な声を上げる。確かにこの時期の転入だったらそもそも4月の入学に合わせるほうが自然だろう。だが、親の都合というのはなかなかこちらの事情を考慮してくれないものだ。ソースは俺。

 だから、転入生には大いなる同情を感じる。うちの高校はエスカレーター式だ。外部生は少数のため、彼らは彼らですでにグループを作ってしまっている。後から入るのは大変だろう。先輩転校生として、困っているようなら積極的に手をかしてやりたい。

 そんなことをつらつら思っていると、先生が転校生とともにやってきた。

 ―――女の子、だ。

「あ……」

「……っ!」

 なんとなく眺めていた俺と、転校生の目が合った。それはもうばっちりしっかり。思わず声を上げたのは俺、息を呑んだのは彼女。その、こぼれそうなほど目を見開いた驚きの表情は、たしかに覚えのあるものだった。


『このカメラの練習なんだけど。一枚撮らせてくれない?』

『………い、いい、けど……。その、ほんとに私の名前分からないの?』


 夕焼けの校庭で、驚いたように聞き返した二つ結びの女の子。記憶にあるよりすこしだけ大人びて見えたのは、髪形を変えたからだろうか。同じ中学だった花岡亜紀は、相変わらず学校中で噂になるような美少女ぶりで、黒板の前に立っていた。



 +++++++



 中学二年生の夏、俺はまさか転校することになるとは思ってもいなかったから卒業アルバム委員に意気揚々と立候補していた。とにかく写真を撮りたくて仕方なかったのだ。撮影用のカメラは学校から貸し出された専用のデジカメで、私物のカメラとの勝手の違いにとにかく練習しようと放課後写真を撮りまくっていた。被写体はそれこそ何でも。迷い犬だろうが体育館裏で告白の練習中の先輩だろうが、「すいません一枚撮らせてください!」という叫びとともにシャッターをきった。

 なかなかに空気読めないな、と今なら思う。

 花岡亜紀と個人的に話したのは、夕焼けの逆光を利用して良い写真が撮れないかと試していたときのことだ。それまでは、同じ学年にすっげーかわいい子がいるらしい、という噂に聞く程度。一学年9クラスだった元の中学で、一番端っこの9組だった俺からすると、反対端の1組の人間の名前なんか知らなくてもしょうがないと思う。

 だから、たまたまそこにいた花岡亜紀に、実に気軽に声をかけた。ちょうど大時計の影が足元まで伸びていて、夕焼け空を背景に時計と人物を一枚に収められないか、と試したかったのだ。

 最初、訝しげに首を横に振った花岡に、さらに頼み込むこと数回。

「頼むよ、えーと……すまん名前分からんけど同じ学年のよしみで!」

「え?」

 丸く目を見開いた花岡は、やや態度を軟化させて俺に事情を聞いてきた。たぶん、あんなに噂になるくらいだ、自分のあずかり知らないところで写真が出回るとかいろいろあったんだろう。だから最初は警戒して断ったんだと思う。

 他意はないこと、アルバム委員で練習中と説明し、決して無断で現像・焼き増し・配布はしないと約束した結果、ようやく撮影の許可を貰った俺は善は急げとシャッターをきった。

 そのとき撮った写真はほんの数枚。ただ、最後に撮った一枚は、我ながらいい出来だったと思う。手元に残すことも出来なかったその写真は、俺のいない卒業アルバムに使われたんだろうか。

 協力感謝、と手を振って別れたその翌日、転校しなくちゃいけないと両親から告げられた。



 +++++++



「なんだお前ら。知り合いか?」

 あんまりじっと見詰め合ったものだから、担任が訝しげな調子で聞いてきた。すると、俺が答えるより先に花岡が勢い込んで大きく頷く。

「は、はい。同じ中学で、あの、その……」

「ああ、お前も転校生だったか」

 花岡の言葉に、担任が確認してくる。

「はい。二年の夏まで同じ中学でした」

 俺の返答にふむ、とわざとらしく頷くと、担任はにやりと笑った。

「学級委員だから敷島に頼もうと思ったが、お前が知り合いならお前の方が良いな。昼休みにでも花岡を案内してやんな」

 確かに、文武両道で女子からの人気が高いうちの学級委員殿が案内するとなると、ただでさえ人目を引きそうな学校案内がさらに耳目を集めてしまうだろう。おまけに花岡は顔が良い。いらぬいさかいの元になるかもしれない。あまり教育熱心な先生ではないが、こういうことに良く気がつく担任だから、瞬時に何が最善かを推し量ったようだ。

 特に用事があるわけでもない。「わかりました」と頷いて、席に向かう花岡に小声で挨拶する。

「初めて同じクラスになったな。よろしく花岡亜紀」

「……名前、覚えてくれたんだ。こちらこそよろしく」

 ちいさく首をかしげて笑う表情があの時と重なって、どうしてだかすこし鼓動が跳ねた気がした。



 +++++++



 昼ごはんを食べる間質問攻めにあっていた花岡を女子の輪から連れ出して、担任に言われたとおり校内を案内する。しばらく無言で廊下を進むうち、花岡が足音に消されそうなほどちいさな声で呟いた。

「ずっと、ありがとうって言いたかった」

「……なにが?」

 心当たりはあったけれど、別に自分が好きでやったことだ。恩に着せたいわけじゃないとはぐらかすことにした。

「私じゃないって証明してくれた。次は自分が標的になるかもしれないのに」

 俺の気の無い返事に乗らず、花岡が独り言のように続けた。

 あの時、何が起こったのかとか、真犯人が誰だったのかは俺は知らない。顛末を知る前に転校したからだ。分かることは当時の級友たちと大差ない。

 花岡の写真を撮った日からまもなく、ちょっとした騒ぎがあった。ある女子の教科書や体操服が、ずたずたに引き裂かれていたというのだ。俺のいる9組まで流れてきた噂では、犯人は花岡だとほとんど断定するような調子だった。被害者の女子は、何かと花岡と衝突していたから、という理由だ。

 ついで、その日の放課後、花岡にはアリバイが無いとも。

 二年の夏まで通った中学校は、公立にしてはかなりセキュリティの整った学校だった。何年か前に刃物を持った不審者が侵入し、止めようとした教師に怪我人が出たことがあったとかで、放課後ともなれば守衛室を通らなければ出入りが出来ない構造である。

 また、校内には夜間の警備のため、何台か監視カメラが備えてあり、昼間は沈黙しているが放課後以降、翌朝までの映像を記録し続けている。そのうちの一台に、問題の教室へ入っていく二つ結びの人影が映っていたのだという。

 噂は噂だ。そもそも一生徒に監視カメラの映像を見せるわけが無い。だから根も葉もないデマなんだろうと思ったが、とうとう事態は生徒指導室に花岡が呼び出されるというところまで進んでしまった。

 そこまで来ると、すでに校内では『犯人は花岡亜紀』などと黒板に書きなぐるもの、新聞の切抜きで怪文書を作るもの、果ては花岡の退学を求める一派まで出現する一種異様な雰囲気が満ちていた。明らかに、誰かが花岡を陥れようとしている。

 そう、花岡は誰かに犯人に仕立て上げられたのだ。俺はそのとき、自分の手の中に花岡亜紀の無実を証明できるものがあると知っていた。

 出回る妙に具体的な『噂』。犯行時刻は午後6時34分。


 その時間、俺は花岡に向けてシャッターをきっていた。



 +++++++



「別に、花岡が気にすることじゃない」

 言ってしまってから、この言い方は誤解を招くな、と付け足した。

「あの後すぐ転校するって知ってたから。言い逃げするくらいだったら俺にも出来ると思っただけ」

 俺は、特別正義感が強いわけはない。たぶん、その後卒業までを過ごすとしたら証拠など握りつぶして素知らぬ顔をしただろう。散々親に迷惑をかけたうえに、いじめ問題など背負わせられない。そんな遠慮があったから。 

「……そう」

 ややあって、花岡がそう呟いた。そこにこめられた感情がいったいなんだったのか。残念ながら、花岡を良く知らない俺には推し量ることは出来ない。ただ、一歩後ろを歩く花岡が、吐息だけで笑ったのはわかった。

「      」

「は?今なんか言った?」

「うん。これからよろしくねって」

「ああ、よろしくな」

 そのまま特別な会話もなく、特別教室棟や学生食堂、購買の場所を案内したら昼休みは終わってしまったが、説明を聞く花岡の表情に陰りは見えなかったのが、なんとなくうれしかった。



 +++++++



 花岡はやってないです。

 たったそれだけの言葉を搾り出すのに、多大な努力が必要だった。声が震える。みぞおちの辺りは冷たくなって寒気さえ感じるのに、喉はからからに渇いていた。

 職員室中の目が俺に集まっているのを肌で感じる。

 どうしてそんなことをする気になったのか、自分のことなのに良く分からない。ただ、思ったのだ。ここで俺が自分の撮った写真を握りつぶして、そうしてなかったことにしてしまったら、何かを裏切ると思ったのだ。

 何を裏切るのか?うまくいえない。

 最初の一枚、逆光のせいで黒くなった自分の顔を指して「真っ黒じゃん!」と笑った花岡だろうか。

 俺に、決して安くは無かったはずのカメラを与えて、思うように撮ってごらんと言った両親だろうか。

 あの幸せな写真を見て、こんな写真を撮ってみたいと思った俺自身だろうか。

 そのどれも違うような気がするし、全部であるような気もする。

 だから俺は、放課後の職員室で声を上げたのだ。

 証拠として示した写真が決め手となったのか、それとも先生方は最初から花岡が犯人ではないと思っていたのか、その後すぐ転校してしまった俺は知らない。花岡に礼を言われるまで、花岡の疑いが晴れたのかどうかも知らなかった。

 でも、明るい顔で自己紹介をした花岡を見て、素直に良かったと思う自分がいる。もしかしたら、自分の写真で心動かせた最初のひとりだったのかもしれない。

 その想像は予想外に俺の気持ちを浮き立たせた。

 だから、最初の予定通り。新たな転校生に、積極的に手を貸していこうと思う。

 俺は屋上からあの日と同じ夕焼けの空にシャッターをきって、ちょっとだけ笑った。




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