『闇の人』
「――『魔法使い』」
呆然とする私に顔を向けて呼びかけてきたその人を、警戒するようにレアルードが一歩前に出た。
「近付くな」
静かだけど明らかな拒絶を含ませた声音。『闇の人』は動きを止めて、思案するみたいに間を開けて、再び口を開く。
「邪魔を、しないでもらおう」
淡々と言って、片手に提げたままの大剣を無造作に振り上げた。その軌跡が闇色に揺らめいて、特異な魔法陣をつくりあげる。
咄嗟にレアルードの前に出て、魔法陣を顕現させようとした――瞬間、脳裏に映像がなだれ込んできた。
――アンタにとっても、悪い話じゃないだろ?
――お前は一体何がしたい。
――何、ねぇ……できれば全員シアワセに、とかそんなんだって。
――随分と夢見がちなことだ。
――夢は大きく、って言うだろ?
――おめでたいことだ。……そんなお前の言葉に乗る俺も、愚かなんだろうな。
真意を読ませない笑顔。僅かに滲まされた苦笑。向かい合うふたりを『シーファ』はよく知っていて、だけれどそんな会話は、やりとりは――『知らない』。
(だって、『闇の人』は知らないはずで――違う、知っているとは限らない、これもまた彼の気まぐれなのかもしれない。だって彼は、自分から『道筋』の外、に――)
『シーファ』の思考がとめどなく流れ出すけれど、今はそんな場合じゃない。
霧散しかけた魔法陣を、ほぼ無理やり顕現させる。構成が歪な状態だけどなんとかなるのは、ひとえに『シーファ』の飛びぬけた『世界干渉力』故だ。
『闇の人』のつくりだした特異な魔法陣がその効力を発揮する前に、どうにか間に合った。魔法陣からぶわりと溢れ出した闇色を、盾になった青色が押しとどめる。
「っ、シーファ!」
焦ったようなレアルードの声。そんな切羽詰った声出す場面じゃないと思うんだけどなぁ、なんて呑気に考えられるのは、『闇の人』がどうやら本気でやりあうつもりじゃないことが分かったからだ。
魔法陣を介しての感触からすると、どうやらこれは牽制らしい。……うん、まあ、仲間になる場合は終盤からだっただけあって、『闇の人』は強い。諸々の事情もあって変則的な強さであるのは否定しないけれども。
……だけど、おかしい。『シーファ』の記憶にある『闇の人』は、こういう攻撃をする人じゃなかったはずだ。何故なら、彼は身の内の『闇』を利用できるほどの余裕、は――、
――ああ、そうか。さっきの、映像。
(……『ジアス・アルレイド』――君か)
その可能性を、『シーファ』は考えなかったわけじゃなかった。だけど今まで、ジアスはそちらに手出しをしていなかったから、無意識に思考から排除していたらしい。
選択肢としてはむしろ真っ当で分かり易い――『闇の人』を引き入れる、というジアスの行動を。
だけど、その事実を認めて。一番に浮かんだのは、――『安堵』だった。
(――ジアスは、彼を案じていた、)
似ていた、から。境遇と、選択が。
(だからきっと、悪いようにはならない。――少なくとも、『闇の人』にとっては)
気付いたら、唇が弧を描いていた。
私じゃなくて、『シーファ』の『記憶』がそうさせた。『シーファ』も彼を、案じていた、から。
「――目的は、何だ」
問いかけると、『闇の人』は攻撃の手をふっと緩めた。代わりにレアルードとタキの雰囲気が張り詰める。
「……見ておきたかった――だから、争う気はない」
今は、と。口にされずともその瞳が雄弁に語る。
『ジアス・アルレイド』が何を考えているのかも、『闇の人』が何を望んでこうしているのかも、実のところ正確にはわからない。
ただ、それが――『致命的』でないことだけはわかっていた。
「ならば、退いてもらおう。今、ここで、相対することに必要性などないんだろう」
どこまで知っているのか。本当は問い質してしまいたい。私一人だったら間違いなく敵だとかそういうの吹っ飛ばして訊いていただろう。
だけど今は背後にレアルードもタキもピアもいる。――訊けるような状況じゃなかった。
まあ、どうせ『闇の人』自身か、もしくはジアスに訊く機会があるだろう。きっと、そう遠くないうちに。
だからいいか、と結論づけての言葉に、『闇の人』は少しだけ、何か物言いたげな雰囲気になった。けど結局、何も言わず――。
一瞬で、辺りを闇に染めた。
「なっ……!」
予想外の事態に驚愕する。
ここはどう考えてもそのままお別れがベストでしょう! 『闇の人』、無駄が嫌いだから絶対退いてくれると思ったのに……!
何せ『前』は戦闘中はほぼ単語しか発しなかったし、日常では基本だんまりだったし! ……あれこれただの口下手?
シーファ、これ『無駄が嫌い』とはちょっと違うと思う……!
記憶と『知識』にツッコミを入れつつ、気配で皆の無事を確かめる。そもそも攻撃されたわけじゃないから、分断されたわけじゃないことだけ確かめられればよかったんだけど、――これ、は。
「……何のつもりだ」
もちろん、無事だった。無事だけど――『止まって』……否、『止められて』いた。まるで一枚の絵のように、一瞬を切り取られた写真のように。
彼の持つ『闇』だけじゃこういう芸当はできないはずだから、これは多分、ジアスが力を貸したんだろう。今のジアスなら『世界干渉力』を他人に移すことは容易だ。
『闇の人』がジアスと同じ側になったのだから、可能性としては十分考えられることだった。これが『闇の人』にとって初めての『繰り返し』だとしても、あって困るものじゃないのは確かだから。
「『魔剣』を、」
「――は?」
思わず間の抜けた声が漏れた。だけど『闇の人』はそれに特に頓着することなく、淡々と言葉を重ねた。
「『魔剣』を渡せば何もしない」
「……あれが欲しいのか? だがあれは、君にはただの剣と変わりない代物だと思うが」
「欲しいわけではない。持たせておきたくないだけだ」
「…………は?」
さっきよりも格段に間の抜けた声が漏れた。しかしそんなときでも表情の崩れないシーファの表情筋の頑固さはすごいと思う。
なんて関係ないことを考えてしまうくらいには、予想外の返答だった。
だってその言い方だとどう考えても――。
「……私は別に、持っているだけだから問題はないんだが」
「今までに試したことがあるわけではないと聞いた」
「身につけるつもりも予定もないんだが」
「だったら俺に渡したとしても同じようなものだろう」
そう言われればそう……いややっぱり違うだろう。『魔剣』を『魔剣』として利用される可能性がゼロじゃなくなるのは大きい。
――きっと『闇の人』はそういうことをしないとわかってはいるけれど。
「だからといって渡すと思うのか」
若干の呆れを込めて言えば、『闇の人』は「まあ、そうだろうな」とあっさり頷いた。それはそれで釈然としない。今の問答の意味はどこだ。
「ならば、せめて――」
前触れなく『闇の人』が眼前に移動してくる。反射で逃げそうになったところで背後の存在を思い出して留まった。流れからして皆に手を出すことはないだろうけど、だからって庇えない位置に動くことはできない。
(守らなければ、)
(守らなければ、守らなければ守らなければ――『今回』こそ)
湧き上がる焦燥感は『シーファ』のもの。守れなかった、守りたかった、今度こそ――だけどその気持ちは、本当はここで抱くものじゃないはずだ。
それでも『私』はここを動けない。その『シーファ』の気持ちが強すぎて。
『闇の人』の手が私に伸びる。袷から滑り込んだ指先が、身体に刻まれた黒色の魔法陣に触れる。
「……ッ、ぅっ……!」
奇妙な感覚に、耐え切れず声が漏れた。ぞわりと背筋が凍る。体内から何か、上澄みを掬い奪われていくような、何とも言い難い感覚。
体内に蓄積した『魔』を抜き出されているのだと理解できたのは、がくんと膝から崩れ落ちかけたのを片腕一本で支えられてからだった。
頭が痛い。絶え間なく悪寒が身体を駆けのぼる。力を入れようにも腕も指先も震えるばかりで何もできない。
「誰が、こんなこと、っ……してほしいと、言ったッ……!」
かろうじて動いた口で悪態をつくと、「自己満足だ。気にするな」なんて淡々と言われる。
一応『今回』は敵対関係になったはずだと思うんだけど何それ。意味が分からない。
綻びかけていた『呪』を『ジアス・アルレイド』に強化された状態だった上、濃い『魔』にさらされ続けたせいで蓄積した『魔』を取り除いてもらえるのは、正直に言えば有難い。『シーファ』にとっては毒みたいなものだし。
でもどうしてこんなことをするのか理解できない。わざわざ空間と時間弄ってレアルード達を『止めて』まで、敵であるはずの私の手助け(のようなもの)をするなんて理解不能だ。
……それとも、私の推測が間違っているんだろうか。『闇の人』が『ジアス・アルレイド』側についた、イコール敵対関係になった、と考えたこと自体間違っている?
『魔族』を殺したことだって、立場からしたら微妙なところだ。――元々ジアスは純粋な意味で『魔王』側になったわけじゃない。だから、そのジアスに引き入れられた『闇の人』もそうである可能性は高い。
――あの、『シーファ』の『知らない』やりとりのこともある。
それだとしても、この状況には納得いかないんだけど……!
思いつつも行動には出せない現状に、若干遠い目をしてしまったのは仕方ないと思う。というかそうするしかないと思う……。