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4.目覚めの花びら

 3日、過ぎた。


「ルナ……」


 ガラス越しのベッドをじっと見つめるアイリーンが不安げな声を漏らす。


 エスティア総合病院。その中の集中治療室に、フォルテの姿はあった。

 蔦によって傷ついた肌は包帯やガーゼに覆われ、付けられた酸素マスクが不規則に白く曇る。


「これでも、だいぶ症状は落ち着いた方なんだよ。昨日までは熱も高くて、意識は戻らないままだったし、身体は緊張や痛みに反応して心拍も速かった。血液とかレントゲンとか、あらゆる検査をしてみたけど、原因は分からなかったよ」


 医者として不甲斐無いね、と隣の男がこぼす。


「傷は完璧に処置したし、今は様子見しかない。摘出した蔦は研究所に送ってあるから……早く解析結果が出れば、少しは対処の仕様もあるかもしれないけど。こればっかりは、待つしかないね」


 それよりも、と隣の男―――フォルテの主治医、アルバート・オクスウェル―――はフォルテから目を離してこちらを向いた。


「イヴァンは身体の具合、どうだい? 傷は浅かったから1日での退院も仕方なく許可したけど……以降、何か変わったことは?」


 柔和な笑みの裏に、「隠さず話せ」という圧を感じる。この友人相手に隠しても意味はない、とため息をつき、口を開いた。


「……今日の朝、胸を締め付けるような息苦しさと体中が痺れるような感覚があった。たぶん1、2分くらいだと思う。だが、その一回きりだ」


 病室のガラスの先を見つめていたままのアイリーンが、目を見開き飛びついてくる。


「待って待って、あたし聞いてないわよ! なんで報告しないの! イヴァンいつも自分で言ってんじゃない。ホウ(報告)レン(連絡)ソウ(相談)しろって!」


「お、落ち着け。すまなかった。一度、手を離せ」


 怒りに震える彼女は、アルバートの制止も構わず俺を揺さぶる。ようやく俺が解放されたのは、面会終了時刻間近になってからだった。


 俺の視線は再びフォルテのベッドに戻る。意識はまだ戻らない。しかし、身体は反応している。わずかな痙攣が時折手足に走り、医療モニターの数値が、無言の叫びのように異常を告げていた。


 ―――早く、目を覚ましてくれ






 * * *


「―――次に、来週の兵団との合同訓練についてだ。想定は市街地での抗争。俺らは敵陣営側だ。カイ、ライアス。遊撃を頼む。アイリーンとリヒトは典型的な経路での抵抗。俺とフォルテ……いや、俺は囮として兵団を引き付ける」


「この報告だが、フォルテ……は、いなかったな。カイ、どう思う」


「行くぞ、フォル……あぁ、またか」




 ふとした時に彼女の名を呼んでしまう。空っぽの席は、いつまで経っても慣れない。



「今日も行くの? また顔見に?」


 帰宅準備をする俺の背後で、アイリーンがいつもの調子で口を挟む。


「ついでだ」


「ふうん、ついで、ね。ここ最近毎日だけど」


 アイリーンは小さく鼻で笑った。怒っているわけではない、けれど少し茶化している様子だ。


 そんな彼女を振り切って、病室へと足を進める。あれから1週間。集中治療室から一般病棟へと移ったフォルテのベッドは、もうガラス越しではなく直接面会できる距離にあった。


 隣でカルテを書き込んでいたアルバートが俺に報告をくれる。


「熱もほぼ落ち着いているし、手足の痙攣もだいぶなくなってる。ここまで回復してくれて良かったよ。本当に」


 ベッドに眠るフォルテの顔色は相変わらず青白い。しかし、呼吸は安定しているし、モニターの数値も徐々に落ち着きを見せていた。


「後は、目が覚めてくれたらいいんだがな」


 俺の願いは、今日も届かない。部屋の片隅で、花瓶がカタリと動いた気がした。








 * * *


 最初は些細な異変だった。


 風もないのにカーテンが揺れる。

 花瓶に生けられた花が、ゆっくりと回転する。

 落としたペンが、空中でピタリと止まる。


 ナースが駆けつけると元に戻る。背筋にぞくりとした感覚が走った。


「解析器では何も検出されない。でも、磁場が少し歪んでいるかな。……あたしたちにとって未知のエネルギーが作用しているんだろうね」


 眉を寄せたノルンが、隣のアルバートに声をかける。面会が制限されたこの空間は、異様な雰囲気で包まれている。窓から刺し込む光が、僅かに揺れる。


 ふるりと身を震わせたノルンは、解析器からベッドへと視線を移す。視線の先には、周囲を無数の機械に覆われたルナの姿。白い枕に広がる黒髪は、その先端が濃い紫色に変化していた。


「でも、これではっきりしたよ。研究所に送られてきた蔦の周りでも、変な現象は起きていたから」


 ノルンの表情は、暗い。


「ルナちゃんは、あの蔦を銃で壊して逃れた。その際に、欠片が体内に残ったんだ。おそらく……ルナちゃんは、あの蔦と同じように、何らかのエネルギーを放出する体になってしまった」


 アルバートが信じられない顔でノルンを見やる。


「だから、彼女のまわりで物が浮いたり、動いたりする、と? ……そんなの、まるで魔法じゃないか」


「いい得て妙だね」


 くくく、と笑いを漏らすノルンが深呼吸をして目を閉じる。

 次に開かれた瞳は、研究者として覚悟を持った眼差しだった。


「いいよ、やってやろうじゃん。魔法? 上等! 必ず解析して丸裸にしてあげるよ」


 だから、と彼女は続ける。


「あたしに任せて、今はゆっくり休むんだよ。ルナちゃん」


 2人に見つめられたルナの胸が、ゆっくりと上下した。






 * * *


「ルナ、入るね」


 返事が無いと分かっていても、声をかけるアイリーンの後に続いて病室に入る。面会用の椅子をベッドの傍に並べ、腰を下ろした。


「ルナ、調子はどう? 昨日よりは顔色が良いんじゃない?」


 アイリーンが明るく声をかけても、返ってくるのは心電図の音だけ。フォルテの意識がまだ戻らないこと、そしてその身体から、以前は見られなかった揺らぎが漏れ出ていることを、目の前で目撃するたびに心が締め付けられる。


「今日も……様子見だな」


 俺の言葉に、アイリーンは小さく頷く。努めて明るく振舞っていた彼女も、不安を隠さずにいた。


「早く起きて、ルナ」


 その言葉には、願いと同時に無力感が滲む。

 先日、アルバートとノルン所長から教えられた事実に、俺たちは驚きを隠せなかった。


『フォルテ副隊長の体内から、通常の生体反応では説明できないエネルギーの漏出を確認。そのエネルギーは摘出された蔦のサンプルからも検出されている。このエネルギーにより、周囲の物が浮遊する、空間が歪むなど現象が見られた。以降、このエネルギーを魔力、現象を魔法と呼ぶ。―――』


 非現実的なことに、最初は疑いしか持てなかった。しかし、今ではそれが真実だと分かる。

 フォルテが小さく息を吐くたび、隣の水差しの水面が波打つように揺れた。


「魔法、か……こんな状態じゃ、面会が制限されるのも無理はない」


 あの日から、もう既に1か月が過ぎようとしている―――











 基地内会議室一角。


 総司令や国の大臣も交えた定例会議に、俺はカイや、他の隊の長たちと共に参加していた。


 ブブッ、と耳のTACS(タックス)に振動が走り、メッセージが受信する。

 ちらりと視界の端に視線を送り、送信者の名前を見る。


『アルバート』


 思わず息を飲んだ。あいつが、私的なメッセージを勤務中に送ってくることなんて、滅多にない。あるとすれば、それは―――



『目が覚めた』



 時が、止まった。



「カイ」


 怪訝な顔でこちらを向くカイの肩に手をかける。


「急用ができた。後は任せる」


 後ろから何か言っている声が聞こえたが、どうでもいい。

 俺は病院へと足早に向かった。


 数分もしないうちに、通いなれた病室の前に着く。

 ドアにかけた手が、震える。


「本当に、目が、覚めたのか……?」


 俺の幻想だったら。その不安をかき消すように、ふぅ、と深呼吸をする。

 覚悟を決めた俺は、病室のドアをスライドさせた。








 足を、室内に踏み入れる。


 枕元に立っていたアルバートが道を開けて、その顔が見えた。

 ゆるりと、まだまどろみの中にいる瞳が俺の姿を映し出す。


「フォルテ……」


 その色は、以前のような黒ではなく、髪先と同じ紫に染まっていた。しかし、目の温かさは変わらない。


 すとん、と傍らの椅子に腰を落とすと、彼女の口からふ、と息が漏れたのが分かった。


「おはようございます、隊長」


 掠れた小さな声。しかし、俺の胸はいっぱいで苦しい。


「ああ、おはよう。……待っていた。フォルテ」


 彼女の口角がわずかに上がる。




 花瓶の花びらが、一枚だけふわりと舞い上がり、空中を舞う。

 意識しなくても魔力の気配を感じる―――静かな、喜びの瞬間だった。

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