2.静寂の森
「あっち行ったぞ!」「追え!」
小型飛行バイクのエンジン音に混じって、怒声が背中を打つ。チラリと後ろを見れば、思わず舌打ちが漏れた。人数が多すぎる―――そんな状況は想定外だった。
「くそっ。こんな危ない仕事なら引き受けるんじゃなかったぜ。水晶盗むだけって聞いたのによ!」
片腕に抱えた水晶をぎゅっと抱え直す。正直、中に模様が見えるだけの水晶が大した価値を持つとは思えない。けれど、今さら投げ出すわけにもいかない。
もう一度舌打ちをした瞬間、後ろから思わぬ衝撃が襲ってきた。体勢がぐらりと傾き、手から水晶がするりと滑り落ちる。地面に向かって真っすぐ落ちる水晶を、必死に追いかけようとした、その瞬間―――
新たな衝撃で全身が宙に投げ出された。
冷たい風が耳を裂くように吹き抜け、暗闇の中で体がぐるぐると回転する。視界の端に、網の縁と兵団のバイクの影。身体を締め付ける感覚が次第に強くなり、目を開けた瞬間、俺は網で吊り下げられた状態だった。
「くそったれ!」
闇夜に俺の声だけが大きくこだまする。抵抗しようと手を動かすが、網が身体を拘束し、全く思うように動けない。後ろから迫る通信の怒声やバイクのエンジン音がますます大きくなり、俺は絶望と苛立ちの狭間で揺れた。
バイクが低く旋回して森の外へ出た時、もう逃げ場はなかった。依頼に失敗した俺には、安心できる場所が、どこにも、無い……
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―――喧騒の去った森の中。
割れた水晶の中からぐにゃりと蔦が伸びていく。
地面に突き刺さったそれは静かに、ゆっくりと根を広げていく。その周囲の草木は生命を吸い取られるように、枝葉を枯らして垂れていった。
そして、夜の森は、不気味な静寂に包まれた―――
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―――デルタイト帝国上空。浮島エスティア。
遥か昔から空に浮かぶこの島の上に、私たちヴァリアント・デルタの基地が存在していた。島の中央に位置する基地は重厚な構造を誇る。敵の攻撃にも耐え抜く堅牢さを持ちながら、壁面や通路には金属とガラスの滑らかなラインが施され、洗練された美しさを見せている。周囲には人の手によって植えられた花や樹木が風にそよぎ、帝国にとっての重要施設が整然と並び立っていた。
「昨日のテロ事件、犯行の目的は不明なままらしい」
今朝の議題1つ目は、昨日のテーマパークテロ事件。人質の怪我は無し。犯人も全員捕らえた。ただ、シンボル像の持っていた水晶は行方不明で、犯人の目的も分からない。
「今兵団の方で調査は続けている。何かあったらまた報告が来るだろう」
隊長の言葉に頷き、次の議題へと移っていった。
朝のミーティングが終われば、次は書類業務。いつもならば端末と向き合って作業を始めるところだけれど……
「おはよう! 諸君!」
元気な声と共に、小柄な人影が部屋に飛び込んでくる。研究所所長、ノルンさん。朝の気だるげな雰囲気を打ち消すように、快活な笑顔が顔いっぱいに広がっている。
「おはようございます、ノルン所長。来ることはうかがっていましたが、早かったですね」
「えー? 時間なんて気にしなくていいじゃない。ルナちゃんと私の仲でしょ? それに、今日は新人君にエスティアをまるっと案内しなきゃいけないんだから! あ、こちらが例の新人君ね」
「初めまして。帝国兵団特殊部隊、ヴァリアント・デルタ所属のフォルテです。よろしくお願いします」
「そそ! 私はルナちゃんって呼んでるけどね! 挨拶はOK? んじゃ、さっそくレッツゴー!」
本日の午前の仕事は、ノルン所長に連れられた研究員さんの案内。手にしていた端末を置いて、私は事務室の外へと足を向けた。
「ここがヴァリアント・デルタの指令区です。普段は地上にいるデルタイト兵団との連絡や指示、作戦の情報管理を行っています」
手元の端末を使い、各隊員の活動スケジュールや建物内の映像を壁のスクリーンに映し出す。私達の歩みに付いてくるように、映像は壁を流れていった。
「来月からお勤めになる所なのでご存知とは思いますが、付属の研究所や病院はこの建物の隣です。情報のやり取りも多いので、これからお世話になることもあるかもしれませんね」
研究員さんに案内をしつつ、頭の片隅で今日の流れを思い返す。午前中は案内と書類整理、午後は体術と射撃訓練―――いつも通りのスケジュールだ。
広い通路を抜け、部屋をいくつか見学すると、最新機器や訓練用シュミレーターが並ぶ空間に出た。
「私達の使っている訓練場です。研究所がデータを取るときにも使っています。もしご興味があるようでしたら、本日の午後は射撃訓練がありますので、見てみてください」
ふと視界の隅に目を向けると、案内予定時刻まであと少し。ここでノルン所長と研究員さんと別れ、私は仲間たちのいる事務室へと戻っていった。
そこまで、と鋭い声が響く。ふぅ、と息を吐いて構えていた銃を降ろすと、真横のパネルに的が表示される。中央に6発、その周囲に残りの4発。
「身体にブレがある。もう少し前に重心を持て。的が動いても重心の位置は忘れるな」
「はい……」
指摘に従い銃を構え直す。肩に添えられた隊長の手の感触に、一瞬呼吸が乱れ、胸がざわつく。
「呼吸を止めるな。……そう。その位置を忘れるなよ」
一つ一つの言葉は厳しい。でもその眼差しの温かさに、私は構えた銃を強く握り直した。
10発撃ち終えた的を見て、隊長が頷く。
「よし、いいだろう。だいぶ上達したな、フォルテ」
お疲れ、と声をかけて離れていく隊長の後ろ姿を思わず目で追う。ふと横を見ると、アイリーンがにやにやと壁の向こうから覗いていた。
「隊長に褒められて嬉しいーって顔ね。ルナ」
やけに「隊長に」を強調されて、思わず視線を逸らしてしまった。やましい事なんて何もないのに。頬が熱くなっている気がする。
「ち、違うわ。別に、隊長に褒められたからって……」
またまたぁ、とからかってくるアイリーンを手でよけて、壁の向こう側を覗き込む。そこには、的に全弾命中させたアイリーンのバディ、リヒトの姿があった。
「さすが元兵団のエーススナイパーね……」
端末に表示されているアイリーンの的は中心を外しているが、それもまた彼女らしい。医療分野の才覚を活かしつつ、射撃は日々修行中のよう。
こちらに気づいたリヒトは、キリリとした表情で敬礼をしてくれた。
さらにその奥では、もう一つのバディ、カイとライアスがお互いに競い合うように訓練している。お互いに正反対の性格なのに、なぜあんなにも息が合うのか不思議なくらい。
「ルナ、そろそろ切り上げましょ。もう時間だし」
アイリーンの声に、片づけを始める。ずっと銃を構えていた腕が、少し重たい。
窓から差し込む太陽の光は、既に西へ大きく傾いていた。
「今日も平和な日だったわね……」
ゆったりとした時間の流れに、肩の力が抜けた。
口元が、自然と緩む。




