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15.小さな希望

 目が覚めたとき、まず目に入るのは無機質な石壁。隙間から入り込んできた冷たい風に身体がふるりと震える。


 ここに連れてこられてから今日で3日。ドアの隙間から粗末な食事を差し入れられる以外、何も起こらない。天井近くにある窓の外も、空しか見えない。そろそろ自分の中の何かが狂ってきそう。

 そんな私を現実に引き留めているのは、毎日朝と夕方に聞こえる、子どもたちの声だった。近くの通路を通っているのだろう。たまに遊びながら駆けていく声に、癒しを感じていた。


 いったい何人の子どもが、何故いるのかは分からない。だからこそ、私は今日も耳をすませて僅かな隙を探っていた。






 ドサッという鈍い音が、廊下の向こうで響いた。夕暮れの中、これまでとは違う子供たちの焦る声に、ドアに耳を寄せる。


「ヨアン!?」


「起きてよ、ヨアン!」


 次々と発せられる子供たちの声。一緒に居るのであろう男の怒号もお構いなしだ。

 そのうち、泣き声が聞こえ始めたかと思うとそのボリュームはだんだんと大きくなって収まりがつかなくなってきた。


 向こう側をじっとうかがっていたが、いい加減胸の奥が苦しい。私は目の前のドアを始めて、拳で叩いた。


「お願い、ここを開けて!」


 子どもたちの泣き声に加え、私の懇願。荒い靴音が近づいてくると、激しい音を立ててドアが蹴られた。


「お前には関係ねえだろうが。黙ってろ! くそっ。子どもだけでもうっとおしいってのに」


「関係あるわ。子どもに保護者は必要なのよ。……私に任せてくれないかしら」


 男はしばらく黙っていた。このチャンスを逃したくはない。畳みかけるように、私は提案した。


「私の存在は手持ち無沙汰なはずよ。私をここから出してくれたら、子どもの面倒は見るわ。約束する」


 じりじりして相手の返答を待つ。数秒後、鍵の外れる音がした。




 開いた扉の隙間から、湿った空気と鉄の匂いが流れ込む。

 廊下の床に倒れていたのは、十歳ほどの少年だった。顔色が悪く、呼吸が浅い。少年の周りには幼児と呼べる年代から学校に通うくらいの年代まで、4人の子が集まっていた。


 皆泣きながら少年を揺すっている。そこに近づくと、おそらく少年に次いで年長の少女が私を睨みつけた。


「来ないでっ!」


 私は男達と同じ立場の人間だと認識されているようだった。逃げ腰になる少女らの傍にしゃがみ込み、落ち着いた声で言う。


「大丈夫。彼のようすを少し見せてね」


 少年の手を取り、脈を診る。ざっと身体に目を向けるが、外傷はなさそうだ。


「倒れたとき、頭を打ったりしていた?」


 隣の少女はふるふると頭を振った。


「打ってないと思う。ヨアン、リーナの方に倒れてきたもん。だからぎゅって捕まえたの」


「そう。良かったわ。……頑張ったのね」


 自らをリーナと呼んだ少女の目に涙が浮かんでくる。今も、不安でいっぱいなのだろう。


「ヨアン君、聞こえる?」


 頬を軽く叩く。反応は薄いが、完全に意識が落ちているわけではない。

 唇が乾いている。指先も冷たい。


「……ヨアン君、ご飯はちゃんと食べていたの?」


 子どもたちが一斉に目を伏せた。


「今日はごはん、へらされちゃったから」


「ヨアン、ぼくたちに分けてくれたの」


 それに同調するように、くぅ、と誰かのお腹が鳴る。


「教えて。どうして、ご飯を減らされちゃったのかしら?」


「魔法の練習が下手だったからって。何回もやり直したのに!」


 胸の奥がひどく痛む。同時に、男たちに対して怒りが湧く。


 ―――こんな仕打ちを、受けていいはずがないわ。


 喉元まで何かが熱く込み上げてくる。成長期の彼には辛すぎる。私はそっとヨアンの額に手を当てた。

 魔力を回復する手段は、今のところない。ただの気休めでも、冷えた私の手は心地よかったのか、呼吸が少しだけ深くなった。


「……ねえ、お姉ちゃんは何者?」


 少女―――リーナが睨んだまま問う。私は視線を合わせた。


「私はルナ。あなたたちの味方よ」


「嘘!」


 子どもたちの目が揺れる。


「今まで誰もリーナたちのこと助けてくれなかったくせに! 嘘つき!」


 周りにいた子たちも、「嘘つきだもん」「大人はみんな、こわい」と口々に言う。

 これまでの彼女たちの生活環境が垣間見えるようだった。


 だから私は、静かに両手を広げた。


「なら、これから助けさせてね。ご飯のことも、怪我をした時も任せてちょうだい。これでも大人だから、ね」


 良いでしょ、と背後を見やると、私達の会話を黙ってみていた男が舌打ちをした。


「勝手にしろ。ただし、妙な真似したら撃つ」


 銃声よりも冷たい声。

 でも、構わない。


 私は再びヨアンの手を握った。


「大丈夫よ。もう、貴方たちだけで頑張らなくていいからね」


 その言葉に、最年少だろう男の子が、震えながら私の服を掴んだ。


「……おねえちゃん、ほんと?」


 震える小さな指が、私の服をぎゅっと握る。しゃがんだまま、私は笑う。


「ほんと」


 その瞬間、リーナの目から、初めて警戒以外の感情がこぼれた。






「1つ教えて」


 ヨアンを抱えて立ち上がった私は、背後の男に尋ねた。


「この子たちの部屋に、キッチンはあるのかしら」


 眉をひそめた男の反応で、答えは分かった。


「あるわけないだろ。作らなくても、飯くらい差し入れてる」


「今の状態を見て、まともに食べていると言えるの? お願い。少しでもお腹を満たしてあげたいの」


 男の目線が子どもたちに向けられる。彼らの表情、ふらふらの足取り。一目見れば分かるはず。


「私に作らせてちょうだい。材料さえもらえたら、あとはこちらで何とかするわ。貴方たちにとっても、わざわざ私達の分の用意が無くなるのよ」


 男は、黙って考えるように視線を泳がせていた。

 ちらりと子どもたちを見て、肩をすくめる。


「……いいだろう。キッチンのある部屋に入れてやる。ただし、勝手に何かしないことだ」


「約束します」


 私は小さく頷き、男に連れられて足を進めていった。






 扉が開かれ、子どもたちと共に狭いキッチン付きの部屋へと入る。

 流石に包丁は置かれておらず、こじんまりとしたもの。しかし、これで十分。


 しばらくして差し入れられた食材は、今日と明日のお腹を満たすことが出来そうだった。先程少しだけ回復したヨアンがちらりと目を輝かせる。


「ここなら……少しは、マシに食べられるかも」


 自分が倒れてなお、年長として気を張っていたのだろう。ゆるゆるとあがった口角と、ほっとした雰囲気に、私は微笑んだ。ほんの少し、皆の表情も和らいでいる。


「よし、まずは簡単に作れるものからね。包丁を使わないでできるもの……腕が試されるわね」


 食材を手にすると、子どもたちの目が輝く。


「これ、なに?」「どうやってやるの?」


 小さな質問に答え、盗み食べの手を出しそうな子には、ピーラーを持たせる。

 子どもたちは少しずつ、ぎこちないながらも楽しそうに動き出した。


 僅かに訪れた穏やかな時間―――それでも、私の神経は緊張でピンと張り詰めている。

 敵の監視はいつ来るか分からない。

 それでも、今は子どもたちと一緒に居る。それが私の中で希望になっていた。

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