10.炎の中で
混乱は、日がすっかり落ち切ってから、ようやく落ち着いた。
兵団の規制線のまわりにたむろっていた野次馬も、少しずつ帰路につき始めている。焦げた匂いと、まだ熱を帯びた空気だけが、激しさの名残だった。
「怪我人の搬送はすべて完了です。現場の復旧工事も、この後業者が来る予定になっています」
兵団の報告に頷き、後処理を任せる。私たちのやれることもここまでだ。散り散りになっていたデルタ・ワンのメンバーに召集をかける。
VANTに向かっていると、規制線の向こうでざわめきが起こった。
「デルタだ……」
「本物だよ」
向けられたカメラの光へちらりと目を向けると、ひときわ強い視線があった。
煤で汚れた頬の、小さな男の子だ。食い入るように、こちらを見ている。
目が合うと、慌てたように背筋を伸ばし、その瞳をキラキラと輝かせた。
「かっこいい……! ぼく、デルタになりたい!」
隣の母親が苦笑する。
「じゃあ、まずは宿題をちゃんとやらないとね」
周囲から小さな笑いが起こる。けれど子どもの目は、冗談ではない本気の色をしていた。
守る側に立ちたい。
あの光の中に立ちたい。
そんな憧れを、かつての私も持ち、そして何度も見てきた。
仲間たちが戻ってくる。疲労はあっても、誰一人として俯いてはいない。
―――この場所まで、追いかけておいで
そんな気持ちを込めて、私は男の子にひらりと手を振って返した。
* * *
現場の熱気とは対照的に、研究所の空気はひやりと冷えていた。
「……かなりマズイね」
今日も今日とて魔法のデータを取り、ようやく休憩に入ったところで出た話題は、もちろん最近多発している魔法事故のことだ。
ノルンはモニターに映る数値を睨みながら、ゆっくりと言葉を続ける。
「魔法事故の規模や発生理由と、原因者の魔力量を照合してみたんだよね。……ほら、これ見て。はっきり相関が出てる」
「相関、ですか?」
「魔力量が多い者ほど、制御を失って魔法の暴走へ至る確率が高いんだよ。しかも規模も比例してる。魔力が多いほど、大規模だ」
部屋の空気がわずかに張りつめる。 ノルンは湯気の立つ紅茶にふーっと息を吹きかけ、ちびちびと飲みながら話を続ける。
「暴走状態に入った魔法は、もはや“魔法”じゃない。制御を外れた瞬間、それはもう自然現象と一緒だよ。術者の意思は介在しない」
研究員たちの脳裏にデルタ隊員の放つ派手な魔法が再生された。あれが、もし人の手を離れて暴れまわったとしたら……
「一度暴走すれば、本人にも止められない。魔力は使い切るまで流出し続ける」
「でも……魔力が尽きれば? エネルギー源が無くなれば、魔法も止まるはず」
誰かの問いに、ノルンは首を横に振った。
「ダメダメ。魔法の使い過ぎでふらふらになった被験者のこと忘れたの? おそらく、魔力は血と同じだよ。極端に失えば、命に関わる」
静まり返る室内。いつか、重大な事故が起きる。それこそ、死人が出るような―――
「今のところ分かっているのは、感情が引き金になること。恐怖、怒り、強い興奮。特に振れ幅が大きい子どもだと最悪だね」
重苦しい空気の中で、しかしそれでもノルンは諦めていなかった。
「だからこそ、私は作ろうと思ってるんだ。魔力の制御装置を」
「……完成の目途は?」
「無いよ。理論はある。でも実用化はまだ遠い」
それでも手伝ってくれる? そう問いかけるノルンの表情は、研究員たちを鼓舞……否、煽るような笑みだった。
* * *
暗いはずの空は、その一部だけ赤く染まっていた。
夕焼けではない。
夜の帳を押しのけるように、じわじわと広がる赤。
その中心で、炎が柱のように立ち上がる。
「……魔力反応、急上昇!」
観測班の声が裏返る。
「位置は……北西住宅区! 市街地中央から2キロ!」
そのころ。
「やだ……やだぁ……っ!」
小さな声が、炎にかき消される。その男の子の足元からは、赤い光が漏れていた。
震える指先から火花が散る。
「ぼくも……デルタみたいに、できるもん……」
胸の奥に残っていた高揚。興奮。憧れ。
それが、制御を知らない魔力を強く揺さぶった。
ぼっ、と空気が爆ぜる。炎は一瞬で膨れ上がり、周囲の空気を巻き込む。
「ひっ……ママぁ!」
泣き声と同時に、熱風が吹き荒れた。
VANTの飛行音に紛れて、ノルンの声が低く唸る。
『今データを確認したよ。表示される数値は、年齢推定の演算結果と一致。子どもの魔力暴走だ』
以前聞かされていた最悪の予想が、早くも現実になってしまった。
『止める方法は、今のところない。可能性があるとすれば、子どもの感情をおさえることくらいだよ』
「それでも、出来ることがあるならばやれるだけやります。所長、夜遅くにありがとうございました」
『いいっていいって。んじゃ、後は頼んだよ?』
通信が切れると同時に、VANTが急降下に入る。高く上がる火柱は、夜の空を大きく切り裂くようだった。
「着地と同時に防御展開! 一般人の退避を最優先!」
機体が地面を蹴る。扉が開いた瞬間、熱気が叩きつけてきた。
中心で、炎が渦を巻いている。その中に、小さな影。
だが、燃え広がる火とは別に、ひときわ濃い赤が、少年を包むように脈打っていた。
屋根を焼く炎は橙色だ。黒煙を上げ、木材を爆ぜさせる、見慣れた火。
けれど中心のそれは違う。
色が、深い。
空気が震え、耳鳴りのような低い唸りが混じっている。
「延焼を抑えろ! 周囲は通常火災だ!」
リヒトの水が屋根を叩き、蒸気が上がる。
隊長が燃え移った火を切り裂く。
それでも、少年の周囲の赤だけは、形を崩さない。嗚咽に呼応するように、脈打っている。
「包囲するな。子どもを刺激するだけだ。二方向からゆっくり近づくぞ!」
隊長が踏み出したその瞬間。
少年の顔がこちらを捉えた。瞳が恐怖に歪む。
「来ないでって言ってるのにぃっ!」
爆ぜる。
濃い赤が裂け、三方向へ解き放たれる。空気を震わせる炎塊が、一直線に隊員たちへ迫った。
「回避ー!」
炎を避けて地面を転がる。しかし、次に顔を上げたときには、第2波が放たれていた。
その炎が向かう先は―――
咄嗟に、私は隊長に伸ばした。でも、間に合わない……!
「やめてーーー!」
空間が、ぐにゃりと歪んだ。弧を描く様に回転し、紫の光が灯る。
小さな、球。
一瞬の間を置いて、炎塊が直撃する。
しかし、爆ぜるはずの衝撃はやってこなかった。
赤が呑み込まれる。渦を巻き、火の奔流が引き寄せられる。
紫の光球はわずかに明滅したかと思えば、静かに空気の中へ溶けていった。
屋根を焼く炎はそのままだ。瓦礫も、煙も、消えない。
ただ、あの濃い赤だけが―――消えていた。
くわん、と世界が揺れた気がして、片足が後ろにずれる。
「…………もしかして。今の、私が?」
耳鳴りが、まだ消えない。
けれど。
少年の周囲で、濃い赤が再び揺らいだ。まだ、終わっていない。
「……吸収、できる」
自分の両の手を見つめ、小さく呟く。震えそうになる指先に力を込め、私は前へ踏み出した。
「フォルテ、待て!」
声を振り切って、焼け焦げた地面を越える。壁を焼く炎が頬を炙る。
それでも、私は無事に子どもの傍に来ていた。
「迎えに来たよ」
震える声。
ゆっくりと、手を差し出す。
「もう、大丈夫だからね」
少年の胸元から溢れる赤が、か弱く脈打つ。
けれど、まだ“ある”。
今度は、はっきりと意識して、手のひらに球体を生み出す。それを子どもの胸に触れさせた途端―――
赤い光が糸のように解け、吸い込まれていく。少年の身体から熱が抜け、炎の唸りが、止まる。
私は膝から崩れ落ちた子どもを抱きとめた。
「こわかったね。よく頑張ったね」
嗚咽が、ようやく普通の泣き声に変わる。それに伴って、周囲に残っていた“濃い赤”が、完全に消えた。
残るのは、普通の炎だけ。
「延焼処理に移れ!」
隊長の声が響く。
世界が、ようやく動き出す。胸の奥に、安堵とかすかな熱の残滓を覚えた。
私は子どもをしっかりと抱え直すと、未だ燃える火の中を駆けて行った。




