離散数値的な刺青
東武宇都宮線、壬生駅。
9:00AM。
駅前のロータリーは、通勤通学のひと波が去ったあと、静けさを取り戻していた。
通学用の自転車が数台、置き去りにされたみたいに並び、
自販機の前では作業着の男が、缶コーヒーを一本開けている。
改札からは、定期をタッチする乾いた音が、たまに聞こえてくるだけだった。
「きみ!」
「きみ!」
俺はしばらく周囲をキョロキョロと見渡し、
顔出し看板に頭を突っ込んでいる酔っぱらいと、目が合った。
「…抜けなくてね」
おじさんは真顔で言った。
「…なんで?」
「なんで?昨日出張でこっち来て、同僚としこたま飲んで、目が覚めたらこうなってたんだよ」
その時、主婦らしき女性が目の前を通り過ぎて、改札を通って行った。
俺は電車が気になったので、改札の上にある電光掲示板を覗き込んだ。
もう一本見送るか。
「きみはアレか?学生か?」
「ええ。高校生です」
おじさんはロータリーの中央に建つポール時計に目をやった。
「もう9時じゃないか。遅刻だろ!」
「だから急いでるんですよ」
改札の方に向き直ると、
「まてまてまて!わたしを置いていく気か!わたしゃ、いまどうなってるんだね!」
引き留められて、仕方なく俺はおじさんの置かれた状況をじっくり観察した。
「土方歳三になってますね。顔の横の吹き出しに『最後まで戦い抜くゾ!』って書いてます」
「ひじ…もういい。そこの携帯をとってくれ」
「どこ?」
「ほらそこ!そのかばんの中!」
よく見ると、おじさんの足元には高そうなブリーフケースが落ちていた。
携帯で助けを呼ぼうとしたが、ギリギリ手が届かないらしい。
俺はカバンから携帯を取り出して、
おじさんの写真を撮った。
画面を見せる。
「ほら、こんな感じですかねー」
「いいから、その携帯を貸せ―!ああ、怒鳴るとアッタマ痛てー!」
「この財布のお金で水買って来ましょうか?」
「てか、おい!なんでパスワードが分かったんだ?」
「財布に免許証が入ってたので、誕生日を入れてみました。危機管理甘すぎ」
おじさんの伸ばした手が空しく看板の縁を掴んだ。
「こら返せ!ああ、もどかしい!…てか今のそれ、ものすごい顔パンパンじゃなかった?だからか?だから余計抜けないのか?」
改札の向こうで、発車ベルが鳴っている。
まいっか。
「あ、SNSやってるんですね」
「こら!見るな」
「さっきの写真、一応投稿しておきました」
「何してるんだ!」
通知音が鳴り始めた。
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「リプきました…ヒメさん、『キモかわいい』」
「いいよ!そんなの!」
画面はもう荒れていた。
「あっという間に拡散されて、歴史マニアが炎上してますよ」
「あ、でも、擁護派の間では『パンパン副長』って名前がついて崇められてます」
「バズらせるなー!」
「あ、すごい。ほら、トレンドに《パンパン副長》が載りました」
ロータリーでは、さっきと同じ作業着の男が、もう空になった缶をゴミ箱に放り込んでいる。
遠くでエンジン音がして、タクシーがゆっくり駅を離れていった。
この町は、何も起きていないみたいな顔をして、平日の朝を続けている。
「ああ!なんだって昨日のオレは土方歳三なんかになりたがったのかなあ!?」
「なんか、出張先の解放感でアガっちゃったんすかねえ」
「だいたい君ら若いひとたちは、コレ見てピンとくるのか」
「や、よくは知りませんね。土方歳三はこんなとこで何をやってたんすか?」
「知らん。何をやったんだね!」
(おじさんの携帯で)検索してみた。
「あー戊辰戦争のとき、なんかこの辺で小競り合いがあったみたいですねー。でも土方が活躍したのは宇都宮城だから、ちょっと無理やりかなー」
「でもアレだろ?土方はアレと最後まで戦い抜く覚悟で、ここの、アレだ、4号線を駆け抜けて行ったんだろ?」
「そっすねー。あーすごい。AIで動画になってる。おじさん、ほんとに突撃してますよ。ほら」
俺たちは、しばらく黙ってそれに見入った。
「あ、撃たれた。死んじゃってるじゃないか!」
「今日は東京帰らない方がいいと思うなー。有名人になっちゃってるから」
通知が鳴った。
〈壬生タウン観光組合があなたの投稿をリポストしました〉
「あー。てかもう抜かない方がいいかもですね。アルゴリズム的には、もはやその看板込みで公人扱いみたいだから」
「世の中狂っとる」
「そういう感じで言われても、なんかなあ、説得力ないなー。じゃあ俺もう行きますね。ここ、9時台は一時間に二本しか電車来ないんで」
俺はブリーフケースのポケットに携帯を戻すと、おじさんに背を向け、早足で改札に向かった。
「こらーー!」
ホームからもう一度確認してみたが、おじさんはまだ、吹き出しで『最後まで戦い抜くゾ!』と決意を叫んでいた。
完




