ガイダンスと謎の女
入学式が金曜日だったので、もうあれから3日経ったということだ。
僕は大学からガイダンスに関する説明会などを含めて色々とあるということで来ていた。
僕としては面倒だが、さすがに大学に関する説明は受けておいた方がいい。明日からサボるにしても今日サボるのだけは止めておいた方が良い。それにサボろうと思っても僕の隣の椅子に座っている奴がそれを許してくれない。
賣井坂花織だ。賣井坂は土曜日に住むことが決まり、日曜日には自分の部屋から持ってこれるものは僕の家に持ってきた。
もちろん、一晩寝た日から賣井坂はずっと僕の家で寝ている。それに関しては何も感じないが、さすがにしばらく一人で過ごしていたこともあって人がいることに違和感がある。
僕は視線を隣の賣井坂に向けると、賣井坂もそれに気付いたようでこっちを見てきた。
「どうしたの?」
「いや、賣井坂が隣だと少し目立つと思ってな」
「そう?」
「そうだろ」
本人はそこまで感じていないのか、慣れていて感じることが出来ないのかは分からない。だが、確実に男からの嫉妬の視線は感じる。まあ、まだ顔を合わせるのが多くても2回ぐらいだろうしな。僕と賣井坂が普通に隣同士に座って会話をしていることに違和感があるんだろう。
「私としては愛音くんの方が人気だと思うけどな~」
「それはないな。この人を殺しそうな目をしている僕のことを好いてくれるような人間の方が珍しい」
自分でも目付きが悪いのは分かっている。それを矯正しようとした時もあったが、もう面倒になった。
「今のところ僕に対して接してくれるのは賣井坂ぐらいだからな。そう考えると賣井坂は少し特殊だな」
最初から僕のことを恐れている感じがほとんどしなかったしな。
「愛音くんに話し掛けるのはそんなに難しくないと思うけど。それに普通に優しいしさ」
「優しいか……そんなことを言われるのは本当に久しぶりだ」
そんな話をしていると周りの視線がもっとひどくなっていくのを感じながらも始まるまでの間は賣井坂と話して時間を潰した。
大学に関する説明は……聞く意味がなかった。書類だけ賣井坂に取ってきてもらえば来る必要はなかったというのが聞いてみての感想。
説明が終わると午後は自由だ。サークル勧誘などもしているので、サークルを決めたい奴はそっちに行って色々と迷えばいい。だが、生憎僕はサークルには全くと言っていい程興味はない。
賣井坂は「サークルみてくる~」と言ってどこかに消えていった。
そして僕はもちろん、帰路へと付くはずだった。
僕の目の前に一人の女が立ち塞がっている。その女は黒髪ショートで顔立ちは良いほうなので、有名な奴なのかもしれない。それも両手を広げて通さないという意思を示してくる。無理矢理通ることは可能だが、そうすることで変な注目を集めるのは避けたい。
「なにか用?」
「少し時間いい?」
「どれくらい?」
「10分くらい」
それぐらいの時間であればそこまで問題ない。ここで30分以上の時間を言われたら断ろうと思っていたが。
「それだけであれば」
場所を移すことになり、僕と黒髪ショート女はちょうど使われていない教室にきた。僕としてもこんなところまで移動してくるとは思わなかったが、一度歩き始めてしまったし止まるのも面倒なので大人しく従うことにした。
「それで何の用なんだ?」
「まず、山崎くんだよね?」
「ああ、山崎愛音だ」
「じゃあよかった。人間違えで声を掛けたわけじゃなかったんだ…」
どうやらこの女はそこが少し不安だったらしい。
「それで山崎だが、僕はキミのことを知らない」
「うん。私はまだ名乗ってないから」
「僕は名乗っていないのに苗字を知らせていたんだが」
「それは私が知っていたから」
「なんで知っていたんだ?」
「そのことを言う必要はないと思う。ただ私が一方的に山崎くんのことを知っていただけでそれ以上でもそれ以下でもないから」
これ以上、聞かれても答える気がないと言うのを伝える意味だろう。少し腑に落ちないところはあるが、ここで時間を割いても無駄だというのは分かった。
「本題に移ってくれ」
「うん、私が山崎くんのことを呼び留めたのは興味があったから」
「興味?」
「興味がある。山崎くんの人を人として認識しているのか分からないような目、どんなことに対しても対して興味がないような感じがね」
こいつは僕のことを知っているのか。だが、僕が今まで知り合ってきた人間の中に目の前の女がいた記憶というものは全くない。僕が忘れっぽい性格で忘れている可能性はゼロではない。でも、僕はまだ物忘れをするような年ではない。
「それは褒められていると思っていいのか?」
「山崎くんが褒められていると思うんだったら喜べばいいんじゃない?」
「それもそうだな」
目の前の女を一言で言い表すんであれば…得体のしれない人間という言葉が正しいかもしれない。別に僕は超能力者というわけではないのだ。女が何を考えているのかもわからなければ、いまいち僕に話し掛けた理由も分からない。
興味が湧いたと言っても僕がこいつと知り合ったのは3日前の入学式のはずだ。土曜日と日曜日は家から出ていないことを考えれば、こいつと会ったのは入学式と今回の2回だけ。その2回で話し掛けようと思われるような行動を起こした覚えはない。
それなのに話し掛けてきた。そしてこの女は分からない。人間は雰囲気や言葉遣いで少しはどういう人間かというものが見えて来るものだ。
それがこいつには全くといいほど見えない。まるでそれがないように……。逆に言えば、入学式の日に知り合った賣井坂はまだ分かりやすい方だった。賣井坂も少し読み取りにくかったが。
「山崎くんは何のために生きてるの?」
「その問いに答えることで僕に何か意味があるのか?」
「私が気になる。山崎くんの生きようと思う理由は何なのか?」
こんなの答えたところでこいつに理解できるはずがない。それに僕は自分が普通の人間ではないというのは分かっているしな。
「答える必要がないな」
「答えて」
「じゃあお前が先に答えろ。その問いをするのであれば、お前から先に答えるのが筋だ」
「うん…そうだね」
そして女は僕の瞳を射抜くような感じで見て来る。僕の目付きの悪い目をこんな風に見つめて来る奴はいなかった。そしてこいつには恐怖という感情が全くないのだ。そんな人間はいなかった。
「私が生きるのは私の生きる目的を探すため」
「では今、お前に生きてる目的というものがないということか?」
「うん、私は生きる目的がない。私はずっと自分がなんでこの世に生まれたのかを探し求めている。その答えを見つけ出すのが私の生きる目的」
「そうか」
「私は話したよ。今度は山崎くんが答えて」
さすがにここで答えないというわけにはいかないか。
「僕の生きる目標は……愛されるため」
「愛される?」
「ああ、僕は誰よりも愛に飢えている。それを自分で自覚できるほどにはな。愛されることで僕は心を安定させ、普通に生きることが出来る。だから、なぜ生きるのかと問われればそれは愛されたいから生きるという答えが一番合っているはずだ」
こんなことを人に話したことはない。だが、目の前の女が生きる目的を語ったのに僕だけ話さないというのはさすがに居心地が悪い。それにどうせウソを言ったとしてもこいつは分かるはずだ。なぜだか分からないが、そんな気がした。
「そっか。山崎くんは愛されるために生きているんだ」
「ああ、そんなお前は生きる目的を探すために生きているんだな」
「うん、生きる目的を見つけるために」
そして僕は少し話して10分経ったので帰ることにした。あいつも呼び止めることをしなかったので僕は振り返ることなく帰路に付いた。




