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 灼けつく丘の斜面から、ニコラス伯爵は眼下を進む巡礼の列を見下ろしていた。

 それは谷を横切り、曲がりくねった道に沿って続く――まるで黄金色の砂原を這う蟻の行列のようだった。広大な砂丘を前に、彼らの姿はあまりにも小さい。真昼の太陽は容赦なく頭上に居座り、砂を揺らめく熱の海へと変えていた。


 磨き上げられた鎧は陽光を反射していたが、長旅の埃によって、その輝きはすでに鈍っている。外套の下、背には布で厳重に包まれた細長い物が固定されていた――その形は明らかに剣であるにもかかわらず、柄は見えない。盗賊の刃のように斜めに吊るされたものではなく、荷物のように真っ直ぐ背骨に沿って据えられている。


 ニコラスは馬を進め、下方で旅人たちを見守る二人の騎士のもとへ向かった。


「伯爵閣下」


 近づく彼に、騎士の一人が頭を垂れる。


「神のご加護があらんことを」


「あなたにも」


 ニコラスは応じつつ、疲れ切った巡礼たちから視線を離さなかった。


「様子はどうだ?」


 騎士は静かにうなずく。


「想定どおりかと、閣下。聖月のあいだは停戦が守られておりますし、巡礼の数も日ごとに増えております。谷向こうの部族でさえ、自らの民を聖都まで護送しております」


 ニコラスは騎士の示す方角へ視線を移した。細い峡谷を隔てた先で、部族の護衛たちが自分たちの巡礼を見守っている。強い日差しに目を細めながら、ニコラスは彼らの慣習に従い、胸に手を当て、わずかに頭を下げた。


 護衛たちはそれに気づき、無言のまま同じ所作を返す。ヴェールの奥に表情は読み取れない。その後、彼らは何事もなかったかのように持ち場へ戻った。


 背後で、砂を踏みしめる足音がした。


 振り返ると、砂色の衣をまとった男が馬を引きながら斜面を上ってくるところだった。この地を治める公爵、シドラである。


「伯爵殿」


 公爵は眉をわずかに上げ、砂漠の熱を思わせる穏やかな声で言った。


「何ゆえここに? 巡礼の観察は、あなたの務めではあるまい」


 ニコラスは礼をもって頭を下げる。


「学ぶためです、公爵閣下。この地と、そこに生きる人々を知るために。聖戦が訪れる時、勝利を得るには、すべての丘と谷を知っていなければなりません」


 公爵の口元がわずかに緩む。是とする表情だった。


「立派な心がけだ、ニコラス伯爵。あなたほどの身分で、そこまで……観察に時間を割く者は多くない」


 その視線には、敬意と、かすかな苦笑が入り混じっている。


「もっとも、聖都というものは、いつの時代も様々な者を引き寄せるがな」


 ニコラスは巡礼の列に目を向け、かすかに笑った。


「神の御心、ということかもしれません。何のために戦うのか――それを知るために」


 温かな風が砂漠を渡り、祈りのささやきと、疲れた足が砂を踏む微かな音を運んでくる。


 シドラ公爵は手綱を整え、再びニコラスを見た。


「聞かせてくれ、若き伯爵よ」


 思案するように、静かな声で問いかける。


「この地を、自分の目で見た今――どう思う?」


 ニコラスは眼前に広がる大地を見渡した。


「……思っていた以上に過酷です、公爵閣下。容赦がない。ですが――そこに、ある種の気高さがあります。苛烈さの中にこそ宿る、美しさとでも言うべきものが」


 シドラ公爵はわずかに首を縦に振り、その眼差しを鋭くした。


「的確な見立てだ。我らの地は多くを与えてはくれぬ。だが、その強さは耐え抜く力にある――民もまた同じだ」


 公爵の視線は谷へと流れた。聖都へ向かう道に巡礼たちが集い、並んで歩きながらも、互いに距離を保っている。


「この停戦は脆い、ニコラス。信仰と誓約の名誉、それだけで辛うじて繋ぎ止められているにすぎぬ」


 ニコラスは静かにうなずいた。


「どれほど儚くとも、公爵閣下、それは役目を果たしております。巡礼たちは、その守りを信じている。――そして、それこそが誠意というものではありませんか」


 公爵の唇が、かすかに揺れた。


「よく言った。だが覚えておけ、ニコラス伯爵。剣が再び抜かれる時、信仰だけでは我らを守れぬ。停戦が終われば、備えが必要だ」


 ニコラスは手綱を握る手に力を込めた。


「だからこそ、私はここにおります。その時が来れば、我が兵と共に戦う。名誉のためだけではない――自らを守れぬ者たちを護るために」


 公爵はしばし黙して彼を見つめ、やがて、ゆっくりとうなずいた。


「高潔な志だ、ニコラス伯爵。砂が赤く染まる時、その言葉を忘れぬことを願おう」


 その時、丘を越えてラッパの音が響いた。

 聖都からの一行の到来を告げる合図だった。


 巡礼たちの群れが左右に分かれ、白衣に身を包んだ少数の司祭たちが姿を現す。頭を垂れ、聖印を施した杖を携えている。


 シドラ公爵の表情が和らいだ。


「来い」


 馬を進めながら、そう言う。


「行軍に臨む者への祝福だ。聞いておくがよい」


 ニコラスは公爵と並び、近づいてくる司祭たちのもとへ馬を進めた。

 ざわめいていた人々の声は次第に鎮まり、頭が垂れられる。やがて、司祭たちはニコラスがまだ学び始めたばかりの言語で、厳かな祈りを唱え始めた。


「旅路の守りを。

 心の強さを。

 そして、倒れし者すべてに、慈悲を――」


 その声は、遠い波の満ち引きのように、静かに高まり、また沈んでいく。

 熱気の中で、ニコラスは不意に寒気を覚えた。これから待ち受ける現実が、確かな重みとなって胸に落ちてくる。


 祈りが終わると、先頭の司祭が群衆へと向き直った。巡礼、騎士、護衛――一人ひとりに視線を巡らせ、最後にニコラスで止まる。


「若き卿よ」


 年を重ねた声は柔らかいが、揺るぎない威を帯びていた。


「汝は、残された平和と、その後に訪れる戦の双方を目にする運命にある。今ある平和を、心して抱きしめよ」


 ニコラスは深く頭を下げる。


「忘れません、神父」


 司祭は満足そうにうなずき、両手を掲げて祝福を与えると、集いを解散させ、同胞とともに聖都へと戻っていった。


 シドラ公爵は去っていく司祭たちを見送り、思索を帯びた表情でニコラスへと向き直った。


「平和を慈しめ、ニコラス伯爵」


 先ほどの言葉を、あらためて繰り返す。


「それは長くは続かぬかもしれぬ。だが、嵐の前の静けさを味わうことにも、確かな知恵がある」


 ニコラスは再び、谷を下ってゆく巡礼たちへ目を向けた。


「そうかもしれません、公爵閣下」


 静かな声で応じる。


「そして、その時が来れば――私はそれを胸に携えて臨みます」


 司祭たちの姿が遠ざかると、ニコラスはその場に留まり、砂に霞む地平を見据えた。言葉の重みは感じていたが、その熱情を共有してはいなかった。彼にとって信仰とは、民草のための盾であり、不確かな時代に寄り添う慰めだった。力あるものではある。だが、それが彼をここへ導いた理由ではない。


 シドラ公爵は、見極めるような眼差しで彼を観察する。


「この地を訪れた者を、私は数多く見てきた、ニコラス伯爵。多くは天啓に突き動かされ、あるいは征服の栄光に魅せられてな」


 一拍置き、眉をわずかに上げる。


「だが、あなたは違うようだな」


 ニコラスは、かすかに笑みを浮かべた。


「そうかもしれません、公爵閣下。私には私なりの理由があります。――それは、征服でも、敬虔さでもありません」


「では、何のために?」


「栄光です」


 ニコラスはためらいなく公爵の視線を受け止めた。


「私は信仰のためにも、神のためにも戦いません。ですが、そうして戦う者たちを尊重しています。彼らの信仰は、それ自体が奇跡だ――人々を結びつける力なのです」


 公爵の表情が変わり、好奇の光が宿る。


「では、この地を誰が治めようと、聖都を誰が手にしようと、気にはせぬと?」


 ニコラスは肩をすくめた。


「為政者が正しければ、それで十分です。聖都を手に入れても、鉄の支配で治めるのなら、何の意味がありましょう。人々には、信仰を尊ぶ統治が必要です。――虚ろな約束のために戦うくらいなら、私はそのために死を選びます」


 シドラ公爵は低く笑い、その声が静かな砂漠に響いた。


「若き日の私を見るようだ、ニコラス。栄光と尊敬を、何よりも求めていた男をな」


「それを得られましたか、公爵閣下?」


 公爵はしばし沈黙し、記憶を探るように地平へ視線を投げた。


「得たとも。だが、得られなかったものもある。栄光も、尊敬も手にした――だが代償も大きい。友を、敵を、かつて兄弟と呼んだ男たちを、私は埋めてきた」


 声が、わずかに和らぐ。


「栄光というものはな、若き伯爵よ。時として、ひどく孤独な伴侶だ」


 ニコラスはうなずき、その表情は揺るがない。


「そうかもしれません。ですが――受け入れる覚悟はあります」


 公爵は長いあいだ彼を見つめ、やがて口を開いた。


「ならば、砂があなたの道を導かんことを、ニコラス伯爵。もし戦場で相まみえることがあれば――今日の言葉を思い出してほしい」


 そう言い残し、公爵は馬首を巡らせた。蹄が砂を蹴り、土煙を上げながら丘を下っていく。


 ニコラスはその場に残り、砂漠の風が耳元で囁くのを感じながら、公爵の背が巡礼の群れに溶けていくのを見送った。


 聖都が待っている。

 遠き褒賞であり、同時に警鐘でもある場所が。


 そしてニコラスは知っていた。

 その時が来れば、自らは信徒としてではなく――

 己の遺した名を求める一人の男として、それに向き合うのだと。

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