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怪奇作家の書生  作者: よしじまさほ
2/13

猫と香箱

 先生は骨董品を偏愛している。


 月に何度か骨董品店を訪ねては、どうしてこんなつまらないものに大枚をはたいてくるのかといわんばかりの古い壷や香炉、出所の知れない仏像や錆びかけている刀などを買ってきては奥様にあきれた顔をされている。


 そのたびに先生は、「骨董の良さがわからぬとは、人生の半分を損したようなものだ」と気の毒そうな顔をしておられる。

 しかし、気の強い奥様は「夕餉の席に出すことも出来ないような古びた大皿など買ってこられても迷惑なだけですわ」とあっさり一蹴している。



 馴染みの骨董品店の主もちゃっかりしたもので、高名な作家である本田鉄斎を相手にしているのを意識して、多少値段を高めに設定しているようだ。


 骨董に定価はない。

 勿論品物の価値に見合った価格はあるが、実のところ売り手が買い手の懐具合を見定めて、ものの値段を決めることがまかりとおるのだから恐ろしい。


 先生が先日買ってきた古代の波斯ペルシア王朝時代の壷とやらいう怪しげな古い壷は千円近くもしたそうで、先生は久々のいい買い物だと自慢し、奥様は無駄遣いにも程があるとあきれ果て、ちょっとした夫婦の諍いにまで発展したようだが、実はこの壷、先日までは骨董屋の店頭で同じものが数十円で売っていたのを私は知っている。


 先生は明らかに騙されている。


 だけど、このことを先生に言えば卒倒しかねないので、黙っていることにした。

 正直者であることが、常に正しいとは言い切れない。

 なにも知らずに騙され続け、ありえぬ夢を見ることも、人にとってはたまに必要なことだから。






「吉岡君、ちょっといいかね?」


 先生が、私の部屋に顔を出した。


「はい。先生。何か御用でしょうか?」

「うむ。実はな、これを見て欲しいのだ」


 先生は大事そうに抱えた包みを私の前に差し出した。


「これはなんですか?」

「先日、骨董屋から勧められて買った品物なのだが」


 またか。

 先生は、骨董を買うと、奥様と必ず揉めるのに嫌気が差したのか、最近は私のところにやってきて、自分の目利きした品を見せびらかす。

 迷惑とまでは思っていないが、どんな品物も必ず誉めて、先生の目利きの凄さをたたえなければならないので、いささか疲れてしまう。


 そんな私の心を知ってかしらずか、先生はにこにこしながら風呂敷に包まれたそれをおもむろに取り出した。

 中から出てきたのは、黒い漆塗りの地に、虹色に輝く螺鈿や、まばゆい金色の蒔絵が全体にちりばめられた美しい香箱だった。


「どうだね。素晴らしい香箱だろう?」

「はあ……なかなかの一品でございますね」

「おお! 君にはこのよさがわかるかね? 吉岡君」


 先生はすっかりご満悦だ。


「ええ。これは、かなり珍しい品ですよ。先生」


 私は香箱の上をじっと凝視した。

 そこには、つんとすました黒猫が、香箱を守るように蓋の上に座っていたからだ。

 もちろん、先生にはこの黒猫は見えない。

 常人に見えざるものを見ることができる、自分の目だからこそ見える猫だった。


 黒猫は私の顔を、穴があくほどじっと凝視している。


「実は吉岡君に頼みがあるのだが」

「何でしょう? 先生」

「この香箱を持って、寺か神社でお祓いをしてもらってきて欲しいのだ」

「……お祓い……ですか?」

「うむ。この香箱を近くに置くと、なにやら肩が重くなるのだ……古い品物だから、物の怪がとり憑いておるのかもしれん」


 その読みは正しかった。

 香箱を守る黒猫は、先生の肩によじ登り、目を細めて居眠りなどしている。

 肩が重くなるのはあたりまえだ。


「先生は物の怪を恐れておられるのですか?」


 すると、先生はちょっとばつの悪そうな顔をして言った。


「失敬な。私は仮にも妖怪話を書いて、日々の糧を得ている作家だ。物の怪など怖くはないわい……と、言いたいところなんだが、やはり実際我が身に憑かれるのはあまり気持ちのいいものではないからな」


 先生は正直者だ。私は先生のこういうところに好感を持っている。

 面倒な話だが、そんな先生の頼みだから、私は引き受けることにした。


「お気持ちはわかりますよ。先生……それならばお祓いをするより、いっそ手放されたほうがよろしいのでは? 物の怪が取り付いた香箱など縁起がよろしくありません」

「何を言うかね吉岡君」


 先生はあきれたような表情をする。


「このような見事な品を手放すなどもっての他だ。私は絶対に手放さないぞ」


 どんなときでも人間の欲深さは果てしない。

 この業の深さが物の怪を呼ぶというのに。

 私は小さく溜息をついた。


「ところで、つかぬことを伺いますが、どうして先生自身がお祓いに行かれないのですか?」

「……実はな、今日が原稿の締め切りなのだよ。頼む吉岡君。このとおりだ」


 先生は両手を合わせ、拝むような仕草をした。

 原稿の締め切りが近いのは事実だった。

 先生の遅筆は、先生の作品の掲載雑誌の編集者たちの間でも折り紙つきだ。

 だから、先生の締め切りは実際の締め切りより早く設定してあるのだと、ある編集者がこっそり教えてくれた。

 もちろん、先生には内緒だが。


「仕方がありませんね。では、知り合いの住職のいる寺に行ってまいります」

「頼んだぞ」






「よう、吉岡君。今日はどこへ行くんだい?」


 大通りを歩いていると、古くからの友人の各務君が近づいてきた。

 友人といっても、ただの友人じゃない。

 賑やかな街の人ごみが大好きな変わり者の狐だ。

 人の姿に変化できることをいいことに、しょっちゅう街へ降りてくる。

 そして、何か面白いことを思いつくと、偶然を装い突然、人ごみの中から私に声をかけるのだ。自分の暇つぶしにつき合わせるために。


 もちろん、偶然じゃない。

 絶対に狙ってやっていると私は思っている。


「君か……今日はサイダアは持っていないよ」

「なんだ、それは残念」


 各務君はおどけたように目深に被った帽子をひょいと持ち上げてみせた。

 今日の各務君は明るい紺の三つ揃えの背広姿。水色のシャツに赤い水玉のネクタイ、ソフトハットにロイド眼鏡で少しつり上がり気味の目を隠し、洒落たステッキまで持っている。

 今日の彼は典型的なモダンボーイの格好だ。

 お洒落な彼の格好は、出会うたびに違っている。


 私とおなじ地味な袴姿の書生の格好をしているかと思えば、あるときは大店おおだなの坊ちゃんのような洒落た羽織姿や、渡世人風の粋な着流し姿の時もある。

 ただ、服装や髪型は変わっても、吊り上った鋭い切れ長の目のおかげで、ひと目で彼だとわかるのだ。


「今日はモボにかぶれているのかい? 各務君。相変わらず君は流行り物が好きだなあ」

「そうともさ。麗しいご婦人方に見合うように、これからは男子も洒落た格好をしなければな。それにひきかえ吉岡君は相変わらず野暮ったいなあ」


 各務君は馬鹿にしたようにけらけら笑う。


「その格好でどこに行くんだい?」

「評判の可愛い女給がいる店があると聞いたのでね。吉岡君も連れて行ってやろうか?」

「遠慮しておくよ。私はこのとおり金に余裕のない書生の身だから」

「金なら俺が出してやるのに」

「笹の葉で偽造した金で飲み食いするのは嫌だよ」

「面白みの無いやつだな。心配しなくても金は本物さ」


 一瞬、嫌な予感がした。

 私は各務君をちらりと横目で見ると、各務君はにやっと笑う。


「……また、賽銭箱に手をつけたね?」


 すると、各務君は悪びれる様子も無く、ふふんと鼻で笑った。


「普段、人間どもの願いをかなえるために働く我々にとって当然の報酬だ。大神おおみかみ様もこの程度はきっとおめこぼししてくださるさ」


 彼の正体は、正一位の稲荷大神に仕える眷属の白狐。

 各務という名も本名ではなく、社の神鏡かがみをもじってつけた名前だという。


 彼は変わり者で、お社にじっとして、人の願いを聞きながら、ひがなのんびり暮らしているのが我慢ならず、こうしてしょっちゅう人里に下りてきては、人の姿に変じて遊んでいる。

 彼との出会いは随分昔で、いままでにもいろいろあったが、なぜか彼に妙に気に入られた私は、人の姿をしたときの彼の友人ということになっている。



 それはともかく、今は各務君とここで雑談をしている暇は無かった。


「まあいい。君が賽銭をどう使おうが私には関係ないことだし。それより、私は今から先生の御用があるから、どちらにせよ各務君には付き合えないよ。では、失礼」


 各務君が絡むと話がややこしくなるので、私はさっさとその場から退散しようとした。

 しかし、各務君はにやにや笑いながら後ろをついてくる。


「女給の店に行くんじゃなかったのか?」

「そんな店なぞいつでも行ける。吉岡君の用事のほうが面白そうだからな」


 興味を持ってしまったらしい彼から、逃げ切るのは無理そうだ。







 市街地から離れて、小一時間ほど山のほうへ歩くと、いきなりのどかな田園風景になる。

 さらに私がどんどん山道に入っていこうとすると、各務君は怪訝そうに私に聞いた。


「どこへいくんだ? 随分山奥まで行くんだな」

「これから行くのは金宣寺こんせんじさ」

「金宣寺?……ああ、あの狸親爺のところか」


 各務君はつまらなそうに言った。


「知ってるのかい? 各務君」

「知ってるも何も、たかだか数百年生きた化け狸の癖に寺の僧侶を気取っている有名な狸だ。吉岡君はあやつとも知り合いなのか?」

「昔、ちょっと縁があってね……たまに茶飲み話をする仲だ」

「ふうん」


 各務君は面白くなさそうな顔をしている。


 幸か不幸か特殊なこの目のおかげで、物の怪や人ならざるものとの縁が出来やすく、気づいたら、風変わりな知己が沢山できていた。


「狸親爺のところへ何しに行くんだ?」

「先生が買った香箱に取り憑いた猫のあやかしを祓ってもらうのさ」


 すると、各務君は大声で笑い出した。


「狸親爺がお祓い? クックックック……そりゃ愉快だ」

「そんなに笑うことないだろう? 各務君」


 すると各務君は笑いすぎて目尻に溜まった涙を片手で拭きながら言った。


「いやいや、失敬失敬。物の怪が物の怪を祓うなんてあまりに可笑しかったのでな」

「そんなに変かな?」

「そりゃあ変さ……まあいい。お手並み拝見といこう」


 やっぱり彼がかかわるとろくなことにならない。

 にやにやしながら歩く各務君を横目で見て、私はまた小さい溜息をついた。



 金宣寺は訪れる人も殆ど居ない小さな寺だ。

 もとは人間の住職がいるちゃんとした寺だったが、住職が亡くなり、跡を継ぐものが居なくなってからは廃寺となり、すっかり荒れてしまった。

 しかし、数年前から良白りょうはくという名の和尚が、いつのまにかそこに住み着いた。

 それが各務君の言う『狸親爺』だった。



「おお、吉岡君ではないか! こんなところまでわざわざ訪ねてくれるなんて珍しいことがあるもんだ。さあさあ、どうぞおあがりなさい」

「はい」

「む……?」


 良白和尚は私の背後にいる各務君を見つけると、明らかに態度を変えた。


「どうしてここに稲荷の使い走り風情がおるんじゃ」

「使い走りだと? 客に向かってご挨拶だな」


 各務君の口の端が歪む。よほど機嫌が悪いのか、小さな牙まで見えている。


「お前は客でもなんでもないわい。ここは儂の寺じゃ。使い走りの狐には無縁の場所じゃ。帰れ帰れ」

「何を偉そうに。ただの化け狸の癖に、卑しくも大神様の眷属の俺に向かってなんと失礼な物言いをする田舎狸だ」

「大神様は神であってもお前は使い走りの狐ではないか」

「まだ言うか」


 この二人はどうやら犬猿の仲であるらしい。

 それを知っていれば各務君をここへ連れてこなかったものを。

 私は酷く後悔した。


「だいたいなんだ、その浮ついた格好は。これだから狐は下品きわまりない」

「洒落心もわからない田舎狸にはその墨染めの地味で薄汚れた袈裟で充分だ」


 二人がいつまでも言い争いをやめないので私はついに大声を出した。


「いい加減にしてくれ!」





 どうにか二人を宥めすかして本題までこぎつけるまで二時間かかった。


「で、その香箱とやらを見せてもらおうかの」

「はい」


 私は、良白和尚の目の前に香箱を取り出した。


「ほほう……これはこれは……」


 良白和尚は香箱をあらゆる角度から見て感心したような声を上げている。


「大陸よりの渡来の品ですな」

「わかるんですか? 和尚」

「わかるとも。この螺鈿で作られた桃の文様は皇帝への献上品等でよく使われた流行の文様……儂も昔、古都の寺に住み着いておったころ、これとよく似たものを見たことがある……どれ……」


 良白和尚は香箱を触ろうとした。

 すると、突然、香箱がカタンと音を立てて跳ね上がった。

 それと同時に女の声が聞こえた。


「汚い手でわらわに気安う触るな」


 香箱のあった処には妙齢の美女が座っており、その手には例の香箱があった。

 驚いた良白和尚はその場で腰を抜かし、それを見て各務君は大爆笑した。

 私はというと、唖然として声も出せなかった。


 女は色白の艶かしい美女で、美しく艶やかな黒髪を綺麗に編んで、桃の花の髪飾りをしていた。

 古代のの国の服と思われる光沢のある生地の黒い服には銀糸で見事な桃の花の柄の刺繍が施されている。

 あれは確か旗袍チーパオ(※1)と呼ばれる中華民国の民族衣装の一種だ。

 高襟で半袖、首元から胸元にかけて取り付けられた特徴的な装飾用のぼたん、くるぶし迄の丈だが、両腿の中途まで深い切れ込みが入っており、動きやすそうだった。

 彼女はとても美しかったが、瞳だけは鈍い黄金の輝きで、その瞳孔は獣を思わせる縦長。それこそが彼女が人ならざるものであることを物語っていた。


「さっきは猫だったのに……今度は女に化けたのか」

「そこの人間。妾をこの香箱から祓おうとしても無駄ぞ。この香箱は妾が皇帝の命を受け、守っておるものだ。そう簡単に祓われてたまるものか」


 女はそう言って私を睨みつけた。


「守っている?」

「そうじゃ。大切な香を入れるこの箱を守れと妾は皇帝陛下に直々に命じられたのじゃ」



「これはこれは失礼致しました。美しいお嬢さん。この不調法な人間も、そこで情けなく腰を抜かしておる狸めも礼儀を知らぬ田舎ものゆえ、どうぞお許しを」


 各務君がしゃしゃり出てきた。

 良白和尚は面白くなさそうな顔をしていたが、まだ抜けた腰が戻らず、悔しそうにしている。


「そなたは何者じゃ?」

「稲荷大神の眷属の白狐でございます。こちらでの通り名は各務。何卒お見知りおきを」


 各務君はうやうやしくお辞儀をした。


「おお……稲荷の大神といえば我が主人たる皇帝の縁深き一族に連なるもの……そなたがその眷属であれば妾も安心じゃ」


 そういえば歴史の本で読んだことがある。

 稲荷神社の建立に関わったのは大陸より渡来したとある一族の者であり、代々の社家を継承しているはずだ。そして、その一族といえばかの国の皇帝をその祖先にもつらしいと。


「宜しければお嬢様の御尊名ごそんめいをお聞かせ願えませぬか?」

「妾はヘイマオじゃ」


 大陸の言葉で「ヘイ」は黒。「マオ」は猫のことだ……どうやらそのまま「黒猫」という名前のようだ。

 通り名か本名かはしらないが、あまりひねりのない名前だ。


「ヘイマオ嬢はなにゆえこの香箱に宿っておいでなのですか?」


 各務君が聞くと、ヘイマオ嬢はあっさりと答えた。


「妾は宮殿の宝物殿の鼠を目当てに住み着いておった猫じゃ……あるとき、宝物殿の中に不思議と安らぐ匂いのする箱があって、その中に入り込んで眠っておったら、そのまま蓋を閉められて、皇帝陛下の御前に連れて行かれてしまった。あとで知ったことだが、これは陛下のお気に入りの香箱だったんじゃ」

「ほう。それで?」

「陛下は妾が箱の中から出てきたのを見て大層驚かれたが、妾の頭を撫でてくださって、『お前はこの香箱が好きか?』とおっしゃられるのでにゃあと鳴いて返事をしたら、陛下は『では今日からお前は朕の大事なこの香箱を鼠から守っておくれ』と仰せになったのじゃ」

「ふむふむ。それで香箱に宿ったのですか」

「そうじゃ。陛下がお隠れになられてから、妾も寿命が来たが、妾は陛下のご命令を守るため、冥府の鬼人を追い返し、長くこの香箱に寄り添うて眠っておった。随分長く眠ったと思って目覚めたら、いつのまにやら妾は骨董屋の店先にいて、あちらこちらの家を点々とするはめになった」


「なるほど。それで最終的にこの地へ流れて来たのですね」

「そうじゃ」

「ではさぞやご苦労なされたことでしょう?」

「まあ、長い間には色々あったがの。でも、そう悪い旅でもなかった」


 ヘイマオ嬢は満足そうに目を細めた。


 彼女の話が本当だとしたらこの猫は悪いものどころか、香箱の守り猫だ。


「人間。妾の香箱を買ったあの男は好きでも嫌いでもないが、あの家は居心地がいい。妾はあそこに暫くいることにする。二度と妾を香箱から祓おうなどと思うでないぞ」

「しかし、先生に祓ってもらって来いと頼まれたしなあ」


 すると、各務君が言った。


「本田先生には祓ったことにしておけばいいじゃないか」

「でも、先生はヘイマオ嬢がいると肩が重いと仰るんだ。それがずっと続けば、今度はご自分でお祓いに持っていかれるだろうよ」

「なんだ。妾があの人間の肩に乗らねばよいのか?」

「はい」

「でも、妾はあの男の膝や肩の乗り心地のよさが気に入っておる。昔、陛下の肩や膝に乗せていただいた時を思い出すのじゃ……」

「それは困ったな……」

「なんとかならぬのかえ? 人間」

「うーむ……」


 物の怪とはいえ、美女に懇願されては断りにくい。


「それならば儂がいい方法を教えて進ぜよう」


 やっと出番が来たと良白和尚が割り込んできた。








「吉岡君。おかげで肩が全く凝らなくなったよ。やはり君が知り合いの住職とやらから貰ってきたおたまが魔を祓ってくれているのかな」

「さあ、どうでしょう」

「それにしても、おたまは本当に可愛い猫だ。人間にしたらさぞ美人だろうな」

「では、先生。おたまを題材にして猫の話でも書いてみたら如何でしょう?」


 すると先生はにこりと笑って大きく頷く。


「そうだな。それはいい考えかもしれん」


 そう言った後、先生はふと何か思いついたかのようにパチンと手を叩いた。


「うむ、ひらめいたぞ。ある男が骨董屋から買ってきた香箱には猫の守り神がついていたが、男に懸想した守り猫は、人間の美女に化けて男の目の前に現れる……という話はどうかね?」


 私は一瞬ぎくりとした。

 偶然とはいえ、なかなか核心をついている。


「な……なかなか面白い話かと……」

「よし。では早速草稿を書くぞ……しかし、おたまはどこへいったのだろう?」

「台所にでもいるんじゃないでしょうか?」

「どれ、では、探してみるかな」


 先生はそう言って部屋を出て行った。


「おたまー。おたまやー。ででおいでー」


 先生は猫なで声を出しながら台所のほうへ行ってしまった。





 ヘイマオ嬢は猫の姿に変化して、いまは我が家にいる。

 良白和尚の思い付きだ。


 現身うつしみの猫の姿でいれば堂々と先生の膝や肩に乗り、可愛がってもらえるうえに箱を守ることもできるだろうと。


 私は「物の怪を祓う力を持つ猫を貰い受けてきた」と偽り、かくしてヘイマオ嬢は我が家の一員となった。


 先生はすっかりヘイマオ嬢が気に入り、おたまという名をつけて可愛がった。


 彼女はいつもあの香箱のそばで、足を体の下に折り込んで座り、うとうとしていることが多い。

 先生はその姿を見て言った。


「香箱の隣で猫が香箱を組む……実に洒落がきいていて面白いじゃないか。おたまはひょっとしたら魔を祓う猫ではなくて、香箱の守り神そのものなのかもしれないねえ」


 いくらなんでも先生の目の付け所は鋭過ぎる。

 猫が体の下に足を折り込んで座ることを「香箱を組む」とか「香箱座り」というのは確かだけれど、そこからそういう発想になるのは何とも奇妙な感じがする。



 私のこの目のことは誰にも話してはいない。もちろん先生にも。

 だけど先生は、実は何もかもお見通しではないのだろうか?



 もしもそうなら、私は当分先生を超えられそうにないかもしれない。



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(※1)チャイナドレスの事。

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