体の内で蠢く獣
「見合い!?」
驚愕の声を上げる修一に、俺は至極あっさりと肯いた。
この話を聞いてから、もう何度もシミュレーションを重ねたのだ。
無様に動揺するような醜態を演じなくてもいいように。
修一の心に、負担を与えないように。
「うん、この週末に。向こうがめちゃくちゃ熱心らしくて、親も根負けしてさ。なんか悪い人じゃなさそうだし、俺も会うだけならって」
「え……それ、会った後で断れるのか?前の時は、会ったら断れないから会わないって言ってたじゃん」
「ふふっ、よく覚えてるな」
心配そうな修一に吹き出して、俺はそっと目を伏せる。
じっと見つめてくる真摯な眼差しが心地よい。
修一の心を一身浴びて、俺は独りよがりな満足感の中で揺蕩った。
「高校の時の見合いとは違って、今度の人は真面目な良い人らしいよ。親も今度の人はお勧めらしくて。せめて会ってみるだけ会ってみたら?ってうるさいんだよ」
会うだけ、なんてあり得ない。
アルファとオメガの婚姻に、オメガの希望などほとんど関係がないのだ。
アルファに「気に入った」と言われて仕舞えば、もう『決まり』だ。
けれど、そんなことを修一に言う必要はないから、俺はそっと目を伏せた。
「とりあえず、一回会ってくるよ。お互いに気に入らなければ、それでお終いだし」
極力軽やかに告げて、俺はさも何でもないことのように笑って肩を竦めた。
「これもある種の親孝行だからな」
父が、見合いの話を持って帰ってきた夜。
普段は至極理知的で穏やかな父は、「こんな良い話は二度とない」と、興奮したように早口で語った。
母とは駆け落ちの恋愛結婚のくせに、俺には見合いを勧めるのか?と嘲るように口にした俺を叱ることもなく、「良いから会え」と一点張り。
「っんだよ」
見合い写真を押しつけてくるその手の強引さに苛立って、力任せにアルファらしい太い腕を払い退ければ、高級そうな釣書が床に落ちた。
「今週末とかなんなんだよ!勝手に決めるな!」
「こら、貴志」
知らぬ間に組まれていた見合いの日程に怒り、父へ反発する俺を、母が穏やかな声で宥める。
「とりあえず落ち着きなさいな。もう二十歳になるのでしょう?子供みたいに癇癪を起こさないの」
普段は子供の意思を第一に尊重するはずの母すらも、笑って言うのだ。
「良いから、会ってごらんなさい。きっとあなたも好きになるわ」
妙な確信の篭った言葉への不快さに、一抹の不安が混ざる。
両親はなぜ、これほどまでにその男を勧めるのか。
金や出世や名誉など気にしない両親が、愛する家族が健康で幸せであれば十分すぎると笑う両親が、なぜ俺の話も聞かずに一人の男を推すのか。
まるでそいつが、俺の意に沿わぬはずがないとでも、言うように。
そして、俺の疑問は、見合いの席ですぐに判明した。
その男を見た瞬間に、俺は運命というものの残酷さに絶望したのだ。
一般人には存在すら知られていない料亭で、両家の親とともに食事をした後の帰り道。
母親がはしゃいだように俺に言った。
「ね、あの人、修一くんにそっくりでしょう?」
「っ、」
俺の脳裏には、先程の男と修一の顔が交互に過る。
母にかけられる言葉が頭の中でワンワンと反響し、脳髄はガンガンと痛んだ。
無言の俺をよそに、父と母は上機嫌に話し続ける。
「あちらは、貴志のことを『運命の番』だと仰っている」
「私も写真を見てびっくりしたの。でも納得もしたわ」
「あぁ、僕も彼に会って驚いたよ。フェロモンまで修一くんの体臭に似てるんだからなぁ」
「貴志が修一くんに惹かれたのは、運命の番に似ていたからなのね」
得心したような顔で笑い合う両親に、怖気が走る。
修一が、あの男の……俺が会ったこともなかった『運命の番』の代用品だったと、そう言うのか。
馬鹿馬鹿しい。
なんとも寒々しい見当違いだ。
体の奥で獣が蠢く。
あの男に会った瞬間に感じたそれは、恋情とはかけ離れた凶暴な感情だった。
憤怒や憎悪、もしくは殺意だったかもしれない。
なぜお前がアルファなのか。
なぜ修一がベータなのか。
似たような魂の色をしているくせに。
ああ、お前か。
お前が、修一から俺の番としての性を奪ったのか、と。
理不尽極まりない、八つ当たりじみた非難だ。
そんなことは分かっていた。
分かっていたけれど、抑えられなかった。
オメガの性に従い、オメガの本能のままに、あの男に抱かれることを望むには、俺は修一を愛しすぎていた。