ハッピー・ハッピー・ウエディング1
待ちに待った結婚式の日。
朝から僕は浮かれていた。
「やっと!やっっっと由貴さんを正式に拘束できる!しかも最高に着飾った由貴さんを見せびらかしながらパレードできるっ!幸せすぎるでしょう今日!!」
「まったく、呑気な子ねぇ」
リビングで万歳三唱する僕を呆れ切った顔で見つめて、両親はため息をつく。
「こんな大々的な結婚式当日に、そんな浮かれきったことが言えるんだから、本当に大物よねぇ」
「いやぁ、まったく……君の子だと、しみじみ感じるよ」
「え?」
「い、いや何も」
父がぼそりと呟いた言葉に、母がにっこりと笑う。
美しすぎる母の微笑に怯えた父が視線を逸らした。
「子供達が二人とも、逞しく育ってくれて嬉しいなぁと言ったのさ。……巣立っていくのは寂しいけどね」
「何言ってるの、父様。一生巣立たなかったら、それはそれで心配のくせに」
「そうよ。第一、かれこれ六年も婚約していて、今更破棄されたらそっちの方が困るでしょうが。大戦争よ」
「……ああ言えばこう言う……子供の結婚式の日くらい浸らせてくれよ……」
僕と母からの口撃に、感傷に浸ることもできずに父が肩を落とす。
極めていつも通りの風景だ。
けれど、笈川颯斗としての最後の朝であった。
別に、ちっとも悲しくはなかったので、気にしていなかったのだけれども。
挙式前の親族顔合わせを控え、僕と由貴さんは二人で座っていた。
黒の紋付袴を着た由貴さんは、なんというか、もう、ものすごく好い男だった。
着付けを終えて顔を合わせた時、僕はこれまで由貴さんを讃えるために学び続けてきた語彙というものを一切手放した。
「え……うそ……由貴さんが男前すぎてどうしよう……分かりきっていたけどめちゃくちゃカッコよくてもう息が苦しくなってきた……」
ただでさえ締め上げられた胴回りが、尚更苦しくなって、僕は胸を押さえた。
そんな僕を呆れたような、けれど愛おしさが山盛り込められた瞳で見つめて、由貴さんは苦笑した。
「少し帯を緩めてもらったらどうだい?……颯斗くんも、とても綺麗だ。やっぱり君には白が似合う」
「えへへ、そうかな?」
由貴さんの褒め言葉に息を吹き返した僕は、そっと由貴さんの横に並んだ。
僕は柄にもなく、白無垢を纏っている。
何を着るかは正直迷った。
由貴さんは好きなものを着れば良いと言ってくれたから、黒の紋付袴にするか、白の紋付袴にするか、白無垢にするかで、正直悩んだ。
ものすっごく悩んだ。
お揃いの黒紋付も、色違いの白紋付も、対に見える白無垢も良い。
だがやはり、その中でも、白無垢の特別感に惹かれた。
でも、今更?と思ったのだ。
もう何度も、数えきれないほどヒートのたびにイチャイチャして、ベタベタのドロドロになっておいて、今更白無垢?と悩んだ。
全然無垢じゃないし、僕はもうとうに由貴さん色に染まりまくっている。
そこは胸を張れる。全力で胸を張れてしまう。
「うーん……」
散々試着して、迷って、悩んで。
でもまぁ、結局、白無垢にした。
母様と姉様が着ていたのが綺麗だったし、紋付袴はこれからも正式な行事があれば着る機会はあるけれど、白無垢なんて着る機会は最初で最後だから。
そう決めた僕に、由貴さんはちょっとだけ嬉しそうに笑った。
「本当?白無垢、見てみたかったから嬉しいな」
「えっ、言ってくれたら迷わなかったのに!」
驚いて言う僕に、由貴さんは「颯斗くんが着たいものを選んで欲しかったから」と言った。
「でも、颯斗くんの着たいものと、僕が着て欲しいものがかぶって、嬉しい」
「由貴さん……っ」
照れ臭そうに言う由貴さんは心底可愛かった。
思わず全力で唇を奪い、そのままソファに押し倒してしまったくらいだ。
残念ながら「結婚式前に妊娠したらどうするの!」と真っ赤になった由貴さんに叱られてしまったのだけれども。
「かっこいいなぁー、黒紋付がこんなに似合うとか、由貴さんってばイケメンすぎる」
かく言う僕もプロの手で綺麗に着付けられ、見た目だけは絵に描いたような『花嫁さん』だ。
もういつ式が始まってもいいほどに、準備は万全である。
あとは言われるがままに立って歩いて座ってお辞儀して、としていればいいだけだ。
「顔が良いし体も良いし身のこなしも完璧とかもう本当に無理」
着せられている感が否めない僕と比べて、由貴さんはもう、見事に着こなしている。
さすが久遠本家の男児、見事だ。
着物が人間に媚びているのかと思うほどハマっている。
「目が潰れそう……最高だな僕の旦那様……眼福が過ぎる……」
「……そろそろ落ち着いてくれる?颯斗くん」
背筋を伸ばし、楚々として椅子に腰掛けながら、僕は横に座っている由貴さんの艶姿を眺めていた。
そして、ひたすら幸福感を言語化していたのだが、しばらくして由貴さんに止められた。
「そんなに見ないでくれ。だんだん恥ずかしくなってきたよ」
「えー、これからもっとたくさんの人の前に立つのに、大丈夫?」
「それとは違う……」
頬を赤らめる由貴さんに、僕は幸せと恋に蕩けた顔で破顔する。
僕の言葉に不満げに眉を寄せる様も可愛らしくて、僕は声を上げて笑ってしまった。
すると。
コン、コン、コン
扉が控えめに叩かれた。
「由貴様、失礼いたします。お母上様……御生母様が、お見えでございます」
現れた久遠家の使用人は、強張った表情で告げた。
その言葉に、由貴さんの体も、びくりと固くなるのが分かる。
そっと手を伸ばして触れれば、指先はひんやりと冷えていた。
「お通し、致しましょうか?」
躊躇いがちに問われた言葉に、由貴は一瞬目を伏せた。
そして、小さく頷く。
「あぁ、入れてくれ……『母』と、少し話したい」
「……久しぶりですね、母上」
「由貴……」
現れた由貴さんのお母様は、確かにどこか由貴さんと似た空気を纏った人だった。
まっすぐに伸ばされた背筋と、癖のない髪、強い光を宿した瞳、よく通るテノールの声。
「今日は、ご招待ありがとう。……とても、嬉しかったよ」
にっこりと微笑んで、お母様が軽く頭を下げる。
由貴さんも、わずかに微笑を浮かべて、静かに返した。
「いえ、……母方の祖父母も招くつもりでしたし、……良い機会かと」
二人の声はよく似ていた。
迷いはなく、一歩間違えば頑なさににも通じるような、芯の強さを感じさせるところが。
「母上、こちらが僕の妻となる颯斗くんで……僕の、『運命の番』です」
「うんめいの、つがい……」
どこか挑むように宣言した由貴さんに、僕は驚きながら、そっと頭を下げる。
由貴さんの言葉を鸚鵡返しに呟き、小さく息を飲んだお母様の様子に首を傾げ、そして、思い出した。
由貴さんのご両親は、運命の番だったのだ。
けれど、何をどうしてかは分からないが、番の契約を解消したのだ、と。
少しだけ張り詰めた空気に、僕は息をひそめるように二人の様子を見守った。
「そうか……そうか。二人とも、幸せそうで、何よりだよ」
しばらくの沈黙の後、様々な感情を飲み下したような顔で、お母様が破顔した。
「由貴と、颯斗くん、君たちが、自分で選んだ運命なんだね。……本当に、良かった」
全てを理解したような顔で、切なそうに目を細める。
運命に選ばれた番である僕たちは、けれど自分の意思でもって、この運命を自ら選んだのだ。
そのことを、何も言っていないのに、お母様は察したのだろう。
ほっと安心したように相好を崩した。
「正直、子供の結婚式を見ることが出来るとは思わなかったからね。とても幸せな気分だよ。本当にありがとう」
自分の選択が、由貴にとって残酷であったことを自覚しているのだろう。
お母様は、自嘲気味に目を伏せて言った。
由貴さんは、その言葉に小さく首を傾げて、あっさりと問う。
「……『あの方』とのお子はいらっしゃらないので?」
「ふふ、歳も歳だし……まぁ、ベータとオメガだからね。いろいろと難しいんだよ」
「そうですか」
誤魔化すような口調で言葉を濁したお母様に、由貴さんはあまり興味なさそうに肩をすくめた。
「父上と新しい母上の間には、 お子が生まれました。大変可愛い妹です。今日はピアノを弾いてもらう予定ですから、楽しみにしていてください。……父は、幸せそうですよ」
「……そうか」
お母様は安堵したように「それは良かった」と小声で呟いて、視線を逸らした。
カーテンのひかれていない窓の外は、太陽が白い光を振りまいている。
未来を祝福するような晴天に目を細め、お母様は「本当に良かった」と繰り返した。
由貴さんは、そんなお母様の様子をじっと観察しながら、再び口を開く。
「披露宴でも、父上達と、席は離してあります。挙式の際は、両親の席には今の母上に座って頂きますので、母上達は親族席の端の席ににお座り願います」
「あぁ、分かっているよ。お気遣いありがとう。……修一も招待してくれて、嬉しかったよ」
「こんな孤立無援の場所に、母上に一人で来いとは申し上げませんよ。それに、……私も、あなたが運命の番と息子たちを捨ててでも手に入れたいと願っていた男の顔を見てみたかったので。……外に居るのでしょう?彼も入って下さいよ」
びくりと怯えたように由貴さんの顔を見るお母様の顔に浮かんでいるのは、警戒と悲しみだ。
「……私がお前たちに恨まれているのは仕方ない。けれど、修一は悪くないのだから、……頼むよ」
いっそ悲愴なほどの顔つきで、お母様は由貴さんを祈るように見つめる。
けれど由貴さんは表情を変えず、淡々と答えた。
「別に、何もするつもりはありませんよ」
「……分かった」
諦めたように頷いて、お母様が部屋を出て行く。
きっとパートナーを連れてくるのだろう。
「由貴さん……?」
「大丈夫だよ」
どことなく不安な気持ちで由貴さんを見つめ、そっと手を握れば握り返された。
こちらを向いた由貴さんの瞳には、怒りや憎しみは浮かんでいない。
由貴さんがいつも通りの穏やかな目をしていることと、握った指先に熱が戻ってきていることに安堵し、僕はにこりと微笑む。
「喧嘩は、しちゃダメですよ」
僕の言葉に一瞬驚いたように眉を上げた後で、由貴さんはくすりと吹き出して、頷いた。
「……もちろんだよ」