きれいな君の虚しい悲鳴
貴志は、綺麗だ。
幼馴染の欲目かもしれないが、俺は本気でそう思っていた。
まだ出来上がっていないしなやかな体は少年と青年の境目の危うさで、丸みを帯びた頬は柔らかな菓子のようだ。
黒い髪はどこまでも深く柔らかで、長い睫毛に縁どられた瞳も同じように夜を閉じ込めて輝く。
どの角度、どの瞬間を切り取っても、ため息をつくほどに美しい。
同じ人間とは、思えないほどに。
隣の俺の家から持参した夕食を二人で食べながら、俺はふと尋ねた。
「……オメガって、みんな貴志やおばさんみたいなの?」
貴志の母の、いつまで経っても老いない可憐さを思い起こして尋ねれば、貴志は「うーん」と言いながら首を傾げた。
「俺たちみたいってのも、よくわかんないけど」
苦笑しながらも、俺の意図は通じたのだろう、優雅にフォークでパスタを絡め取りながら貴志は口を開いた。
「俺らは結構『上』のオメガだと思う。ヒートでも、ある程度思考をコントロールできるし、頭も体も、そこそこ丈夫だしさ」
「へ?そうなんだ」
貴志以外のオメガを知らない俺は、素直に驚きを露わにした。
「オメガにも、上や下があるんだ?」
「うーん、純粋な上下じゃないけど、やっぱりある気がする。多分普通のベータには想像出来ないくらい、アルファやオメガの中の階級意識は根深いから。特に、上流階級ほど、キツイ」
嫌そうに顔を顰め、貴志はため息をついた。
「そもそも、母さんはアルファ揃いの一家から生まれた稀な、上等のオメガだったらしいし、色々大変だったみたい。で、名門財閥家の嫡男に嫁入りが決まってたらしい。……葛城一族って知ってる?」
「知ってるよ。知らない奴いないだろ」
不意に悪戯めいた目で、貴志が俺を見た。
馬鹿にするなと言葉を返せば、貴志は楽しげに目を細めた。
「母さん、そこに嫁入りが決まってたの」
「まじで?!」
誰もが知る有名な一族の名前に、思わず目が丸くなり、大きな声を上げてしまった。
「へぇー、おじさんは、それを奪ったんだ」
もはや命知らずと言っても過言ではないな、と嘆息すれば、貴志は平然とした顔で、更に強烈な事実を告げた。
「うん。父さんは、自分の兄貴の婚約者を奪って逃走したんだってさ」
「兄貴?」
さもなんでもないことのような貴志のセリフに、思わず思考が停止する。
「……え、おじさん、葛城の人なの?」
「うん、本家の次男」
「…………やばいやつじゃん」
絶句した後に絞り出した馬鹿みたいな感想に、貴志はひょうきんな素振りで肩をすくめた。
「そ、やばいよ。だから散々追われてたらしい。今は苗字も変えてるし。逃避行の時に、頭も金も運も使い果たしたって、いつも言ってる」
ケラケラと笑う貴志が遠い人に感じて、俺は眩暈がするような気がした。
驚きの連続だった夕食を食べ終え、なぜか慣れ切った台所で皿を洗っていると貴志が冷蔵庫と戸棚を開けてゴソゴソ物色し始めた。
「あ、あった」
「え?……お前、何してんの?」
「見れば分かるだろ?」
パスタだけでは足りないとぼやきながら、貴志はホットケーキを焼き始める。
「そんなに甘いものを、夜遅くに食べるもんじゃない」
渋い顔をする俺に、貴志は「発情期は腹が減るんだよ」とおどけたように笑った。
その言葉に対してはコメントを差し控え、俺は皿を洗い終えると台所の椅子に座って器用にホットケーキを焼いていく貴志をぼんやり眺めた。
「……それにしても、よく食うな」
焼き上がったそばからフォークで突き刺して食べていく貴志を呆れ半分に見守れば、「お前も食えよ」とフォークが突き出された。
「いや、甘いだろ、これ」
「シロップたんまり掛けたから感謝して食え」
「……十一時にこれはキツイだろ?」
笑った目のままで引かない貴志に観念して、俺は口を開けた。
押し込まれる柔らかでしっとりとした物体。
フォークからとろりと伝わり舌に垂れる蜜を零さないように舐めとり、ふわりとケーキを噛み締めればじゅわりと染み出す甘さ。
やはり、夜更けに食べるものではない。
渋い顔をして咀嚼する俺を楽しげに見つめながら、貴志は新しく一切れを口に放り込んだ。
俺が先ほど舌先で追いかけたフォークの尖った先端を、貴志が同じように舐る。
ちろちろと覗く赤い舌が、薄紅色の唇の隙間で蠢く。
それを目にした瞬間、背筋をぞわぞわとした感覚が走った。
悪寒とも、興奮ともつかない震え。
「っ、あっまい」
咄嗟に目を背け、俺は味の感想を口にした。
今の感覚はきっと、ホットケーキの甘さのせいだったのだと信じた。
***
時計の針が天を示してから一時間以上経過した頃。
何となく眠れず、寝返りばかりを打っていたら、突然隣の部屋から駆け出す音が聞こえた。
最初は、貴志がトイレにでも駆け込んだのかと思った。
けれど、ザーッという水音に、シャワーへ行ったのか、と気づく。
また発情の波が来たのだろうか。
そう考え、貴志の冷静な顔が赤く火照り、夜色の瞳が色欲に潤む様をつい想像してしまい、俺は頭を抱えた。
なぜ俺は、幼馴染の媚態を妄想し、体を熱くしているのだろう。
俺だけは、貴志に下卑た目を向けてはいけないのに。
貴志の信頼を裏切るわけにはいかないのに。
罪悪感に打ちひしがれながら廊下の外の様子を伺っていると、ガタンッと大きな音が聞こえてきた。
その後呻くような声がバスルームから聞こえたので、俺は慌てて部屋を飛び出した。
「貴志?!大丈、ッ」
ノックもなしにドアを開け、後悔した。
「た、か……」
バスルームの光景は俺の想像を超えていた。
バスタオルにくるまった貴志は、フェイスタオルを口に押し込んで、声を殺していた。
おそらく座ったまま、台の上のタオルを無理やり引っ張ったのだろう。
台の上に置いてあったはずの小物がばらばらと散らばっている。
音の正体はこれか、と思った。
「……ぁ」
ゆらり、と開いた扉の方へ視線を向けた貴志の目が俺を捉えた途端、背筋を電流が走った。
「た、かし」
あまりにも扇情的な幼馴染の姿を目の当たりにして、急速に喉がカラカラに渇いた。少ない唾液を無理やり嚥下すれば、ゴクリと喉が鳴った。
「しゅ、いち」
ぽろり、と口からタオルが落ちる。真っ赤な顔の貴志が、ぐしゃりと顔を歪めて呻いた。
「た、すけて」
掠れ声の懇願に、俺の手は考えるよりも先に伸ばされた。