ほんとうの初夜
「祐正……私の祐正」
じわじわとこみ上げる愛おしさに溺れて、雅哉は酸素を乞うように祐正の肌にくちづけた。
額、鼻、頬、耳朶、首、鎖骨。
「愛しているよ、私の可愛い人」
しっとりとした吸い付くような肌に唇を滑らせる。
少しだけ塩の味がする汗に、満たされなかったこの何十年の渇きが癒されていくようだった。
「いとしい、私の番」
「まさや、さま……」
左手で優しく髪を梳きながら、右手で華奢な体の線を何度も撫で下ろす。
恥じらって顔を伏せ、唇に手を当てる幼気な姿を見下ろしながら、雅哉はゆるく笑んだ。
「可愛い顔を、もっと見せて」
唇は甘く耳朶を喰み、甘い睦言を耳孔に流し込む。
怯えさせぬよう慎重に、生まれたての仔犬を舐める親のように優しく。
そして、少しずつ祐正の体の強張りを、解いていく。
「どうか、君の全てを私に与えておくれ」
祈りのような告白を耳元で囁けば、祐正はますます頬を赤らめた。
「……雅哉さま……」
祐正は照れたように顔を伏せ、そして、そっと顎を上げた。
少しだけ開かれた唇が清艶な色香を滲ませる。
くちづけを待つような仕草に、雅哉は軽く目を見張って、そっと問いかける。
「唇に、触れてもいいのかい?」
「……っ、もうっ、聞かないでくださいませ」
「だが」
頬をさらに赤く染めて恥じらう祐正に、雅哉はそれでも躊躇った。
思い切りの悪い雅哉に、祐正は居た堪れなさそうに顎を引く。
そして、唇を軽く噛んだ。
「……雅哉様は、全てと言いながら、どうして唇はお避けになるのですか?」
「だって……君の、最後のキスを、上書きしてしまってもいいのかい?」
不安げに尋ねる雅哉に、祐正は虚をつかれたように一瞬固まった後、柔らかなため息を吐き出した。
「ふふ、本当にあなたは…… やさしすぎる、ひとですね」
呆れたように、けれどどこか嬉しそうに、祐正は苦笑する。
そして、清々しい声で言い切った。
「構いません。……あなたの最後のキスを、僕が頂いても良いのならば」
それは、これから先の永遠を誓う言葉。
雅哉は声をなくして、祐正の胸元に顔を埋めた。
「……祐正、君は少々男前すぎるよ」
年甲斐もなく真っ赤になった雅哉は、必死に頬の熱を抑え込もうと息をつく。
祐正が目隠しをしていて良かった、と心底思った。
しかし。
「ねぇ、雅哉様、ネクタイを外して下さいませ」
悪戯な声でねだる祐正の言葉に、雅哉はびくりと震えて首を振った。
「だめだ。……私が、見られたくない」
「でも、僕はあなたの顔を見たいのです。いけませんか?」
意地悪な、けれど甘い声の誘惑に、雅哉は唇を噛む。
もしも嫌ならば自分で解けばいいのに、祐正は雅哉に求めるのだ。
それはきっと、祐正からのメッセージ。
二人でともに、前へ進もう、と。
「雅哉さま?」
「……」
包み込むような穏やかな囁きは、意気地のない雅哉を励ますように優しい。
その声に背を押されて、雅哉はそっと祐正の頭の後ろに手を伸ばした。
シュルリ
結び目が解ける。
はらり、とネクタイを落とした。
閉じられていた白い瞼がゆっくりと上がる。
視界を開き、二人がきちんと見つめ合う。
それはきっと、過去からの決別と、未来への決意の象徴だ。
「祐正」
「雅哉様」
ゆっくりと確かめるように互いの名を呼び、瞳の奥を見つめ合う。
目の前の存在を、しっかりと網膜に刻み込むように。
そして同時にふわりと笑い、ゆっくりと顔を近づけた。
「……ん」
鼻から漏れる吐息は甘く、けれど、飢えが満たされたように、満足げに響いた。
どちらともなく微笑み、そして。
再び、唇を合わせた。
祐正の体は、どこもかしこもが甘かった。
奥ゆかしく匂い立つフェロモンの香りに陶酔し、雅哉はじわじわと祐正の肌を味わった。
快感に揺蕩う祐正は、夢見るような瞳で雅哉を見つめる。
「まさやさま……」
名を呼ぶ声はいとけなく、表情はあどけない。
全身の力が抜けて、信頼し切ったような様子が愛おしかった。
「まさやさま……」
瞳を合わせたまま、雅哉はそっと全身で祐正を愛でた。
愛を交わし、呆然と脱力している祐正の上にのしかかるようにして、雅哉は祐正を抱きしめた。
「愛している、祐正。……どうかずっと、私の側にいて欲しい」
「まさやさま……」
他に愛する人が出来たら手を離すと言ったのと同じ口で、雅哉は祐正を縛り付ける願いを口にした。
そのことを指摘するでもなく、祐正は幸せそうに笑って、恥ずかしそうに目を伏せた。
そして、震える腕でぎゅっと雅哉の首を引き寄せ、耳元で甘くねだった。
「次のヒートでうなじを噛んでくださいな、……僕の旦那様」
「……っ、あぁ、もちろん」
細い体を力の限り抱き締めて、雅哉は幸福の絶頂で何度も頷いた。
ふわりと視線を流せば、窓の外には真ん丸に満ちた月がぽっかりと浮かんでいる。
雨は、いつの間にか止んでいた。