いつまでも守りたいひと
発情期を迎えてから、貴志はずっと人間不信だ。
そして、自分のオメガ性を否定し続けている。
自分へ欲望の眼差しを向ける人間を恐れ、憎み、最終的に貴志はアルファ性もオメガ性も拒絶し、彼らとの交流を絶った。
ベータ性ならば、オメガのフェロモンに中てられることはあっても、程度が知れている。
だから貴志は、ベータばかりの高校へ入学したのだ。
「なぁ、修一」
黙り込んで過去に思いを馳せていた俺に、貴志は落ち着いた声で話しかけた。
「ふふっ、ベータの修一には、わかんないかもしれないけど。……性別のせいにできるって、ちょっと逃げにも使えるんだ」
「え?」
意味が分からずに首を傾げれば、貴志は悪戯っぽい顔で人差し指を立てた。
「『この感情も、欲望も、俺のせいじゃない。俺がオメガだからだ』って」
「へ?」
ますます理解できず眉を寄せる俺に、貴志は肩をすくめて説明した。
「例えば、さ。誰かを欲しいと思った時。その人を欲してしまうのも、その人を頭の中で汚してしまうのも、自分のせいじゃない、自分が醜いせいじゃない。この醜い性のせいだって。そう思うことも出来るんだ。卑怯だけどね」
冷めた目でお道化たように語る貴志は、やはりちっとも性を受け入れてはいない。
けれど、俺はいつものように彼の自分へ否定的な思考を窘めることも出来ないほど、衝撃を受けていた。
「貴志……、お前、好きな子がいるのか?」
「へ?!」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まった貴志に、俺は「まじか……」と呟いて、額に手を当てた。
猛省に駆られていると、貴志が肩を震わせて笑い始めた。
「くくくっ、何でお前が神妙な顔してんだよ」
「いや、気づかなかったな、と思って。反省してる」
「反省!?」
弾けるように大笑いする貴志に、俺は真剣に言った。
「笑いごとじゃないだろう。協力できるなら、したい。そうすれば、お前の発情期は、楽になるんだろう?」
オメガはアルファと番えば、有象無象の人間を引き寄せてしまったりはしなくなる。
オメガのフェロモンはたった一人のアルファにしか効かなくなるから。
そうすれば、きっと貴志の行動範囲はとても広がるし、いろんな相手と交際しやすくなるだろう。
貴志は生きることが楽になって、きっと世界が広がる。
「ふふふっ、お前、馬鹿だなぁ」
俺は精一杯考えて口にしたのに、貴志はしみじみと呟いた。
優しい顔で苦笑して、目を穏やかに細めた。
「俺が惚れてるのがアルファとは、限らないだろうが」
「……え!?」
「ふっ、あはははは!冗談だよ、冗談。マジになるなって」
「いや、だって、ダメだ、それは」
それはダメだ。
絶対ダメだ。
だって、アルファが相手じゃないと、貴志の苦しみは楽にならない。
貴志が、満たされない。
「それはダメだ、貴志。お前が不幸になる」
必死な俺に、困ったような顔で、貴志は眉を落とした。
「なんでお前が、そんな悲壮な顔をしてんだよ」
「だって、……俺は、お前には、幸せになって欲しいから」
愛情深く、頼りになる、優れたアルファと結ばれて欲しい。
そして、一生、大切にされて暮らして欲しいのだ。
たとえ自分の手に届かない場所に居ても、安全に、満たされて暮らしていると思えれば、耐えられる。
けれど、不幸な恋は、して欲しくないのだ。
そんなの、俺が、耐えられないから。
でも。
好きな子がいるのならば。
交際範囲がとても狭くて、もはや人嫌いと言っても過言ではないような貴志に、好きな子が出来たというのならば。
それは、貴志のためには、きっと良いことなのだろう。
ならば俺は、応援しなくてはいけない。
「ベータかオメガの子で、お前と仲が良い子、か……」
「あ、こら!考えるな!」
真剣に熟考し始めた俺に、貴志が慌てて制止をかけた。
しかし考えるなと言われても、考え始めてしまった思考は止まらない。
頭の中には、数少ない貴志の友人が次から次に浮かんでは消える。
「そりゃ考えるだろ。えっと、部活だと……」
「やーめーろ!まぁ、考えても、絶対分かんないからいいけど」
「いや、そんなことは……」
「分かるの?」
「……うぅ、確かに分かんねぇ。お前、誰と親しかったっけ?」
全然思いつかない、俺は貴志のことを全然知らないのかもしれない、と悲しみに暮れる俺の頭を叩いて、貴志は呆れたように言った。
「そんなことで落ち込むなよ、馬鹿。ってかお前、アルファ以外との恋愛は反対って今言わなかったっけ?」
「いや、でも、確かに学生時代に少しくらい甘い青春を味わったところで、悪いことはないもんな、って思って。相手を言え。協力する」
真面目に言えば、はぁ、と大きなため息をつかれた。
「何をマジになってんだよ。ってか、それはお前もだろ、童貞」
「うるさいな。俺はいいんだよ、大学に入ってからでも、働き始めてからでも」
「は?なんで?」
きょとんとした貴志に、俺は大真面目な顔で、堂々と言い切った。
「少なくともお前と同じ場所にいる間は、お前を隣で守るのに手一杯だから。当分彼女はいらない」
自明の理だとばかりに断言すれば、貴志はくすぐったそうに変な顔をした。
「……ふふっ、本当に、馬鹿なやつ」
照れたように目を逸らして、くしゃりと微笑む貴志が綺麗で、俺は思わず目を細めた。
「馬鹿って言いすぎだろ、馬鹿」
見惚れていたことに気づかれたくなくて、わざと悪態をつけば、貴志が愉快そうに吹き出す。
笑った貴志の体が揺れて、髪の先からふわりと雫が落ちた。
透明な球体は、きらきらと光りながら床に落ちて、美しく弾けた。